2009年11月02日(月) |
夢にうなされて何度か目が覚める。そのたび、枕元の時計を見る。まだ。まだまだ。夜明けまではまだ遠い。そうして何度寝返りを打っただろう。打ち疲れて私は起き上がる。 昨日買って来た一輪挿しに早速挿してみたマリリン・モンロー。陶器ととてもよく合っているように感じる。ほんのり染まった橙色。その花びらの色味と陶器の渋い色が、台所でふんわり浮かんで見える。マリリン・モンローは今まさに開いたというところで、芯は固くまだ閉ざされている。それでもこの芳醇な香り。花は一体何処からその香りを放っているのだろう。いつも不思議に思う。 空は濃灰色の雲で覆われており。今日は一日曇りだろうか。そんな気配。私は窓を開け、大きく息を吸い込む。冷たい空気が一気に身体に流れ込む。
サミシイ。サミシイサミシイサミシイ。心が泣いている。何故こんなに寂しいのだろう。理由はひとつ、分かっている。分かっているけれど私はそれを見ないようにしている。見ないようにして、見えないようにして、気づかないふりをしている。だから心が余計に喚く。サミシイヨ、サミシイヨ、サミシイヨ。私は耳を塞ぎ目を閉じて、その声を自分の中に貯めておく。放出したって何にもならない。貯めて貯めて、貯めておく。
ブラジャーを頑なに拒否する娘に、私はかわいい桃色のブラジャーを買ってきてみた。どういう反応をするんだろう。朝起きた娘に、枕元にあるブラジャー、プレゼントだよ、と言ってみる。娘、あっさり一言。これするのは、まだまだ先だね。ど、どうして。だってでかいよ、ママ、これ。そ、そうかな。でもすぐ胸なんて大きくなるよ。大きくなったらかわいいブラジャーの方がいいじゃん。今クラスで、ブラジャーしてる子、いじめられるんだよ。うん、そうだってね。別に今しろって言ってるわけじゃないし。ま、もらっとく。はいはい、もらっといて。 年頃の娘は、なかなか難しい。
益子の町に行く。ちょうど市の立つ日で、すさまじい人出。私はその端っこの方を選んで歩く。気になるものを幾つかチェックしながら、とにかく歩く。隅の方で、益子焼とはいってもちょっと毛色の変わった焼きを見つける。近寄り、手に取ってみる。何となく作家と話を始め、彼女が少し前まで東京にいたことを知る。自分の焼き物を極めたくて、この町に一人移ってきたのだとか。来年にでも東京の方で個展ができたらいいと考えているという。だから住所を交換することにした。彼女の陶器はある意味とても冷たく、薄い。けれど、存在感がある。伝統を踏まえながらも、自分の色を探しているのがありありと分かる。私は小さな皿二枚とマグカップ二つを買う。そのマグカップのうちの一つは、シリーズでやっていこうかと思っているものらしい。でも、私は違うものの方に惹かれた。だからその理由を彼女に告げる。彼女がなるほどなるほどと頷く。じゃぁこれもシリーズで広げてみます、と真っ直ぐな目で答えてくる。制作に本当に真摯なのだな、と思った。そういう作家が好きだ。手を振って別れる。 途中気になったものを幾つか。飲んだくれクダを巻いている作家もいた。俯きながらも必死に作品を守っている作家もいた。本当にひとそれぞれ。 手がじかに作り出す陶芸という作品。そしてそれは、日常の生活の中で使われてゆく。使われながら味が深まる。 最後、一輪挿しを二つ、買った。一つは置くタイプのもの、もう一つは壁にかけるタイプのもの。みな、多分、名前の残らない、小さな小さな作家たちの作品。それでも、私の部屋に置かれ、愛でられ、深みを増してゆくに違いない。
自分の部屋じゃない場所で目を覚ます。いつもよりずっと早い時間。だから私はカーテンを開け、窓の外をじっと見やる。 地平にたまっている雲はぐいぐいと東に流れ、あっという間に空一面を覆い、いつの間にか雨を降り出させている。一瞬の出来事。私は窓のこちら側からそれをじっと見つめている。あまりの急激な変貌ぶりに、私は半ば呆気にとられる。景色はいつのまにか霧に覆われ、しとしとと雨を滴らせ、もう空をゆく鳥の姿もない。朝焼けも一気に呑まれてしまった。時計はそんな天気に構わず時を刻む。チクタク、チクタク。 朝食を終えて私が外に出る頃には。今度は晴天。紅葉が美しく陽を受けて輝く。そんな天気。さっきの雨は何処へいったのだろう。さっきの霧はどこへ消えたのだろう。こんなことなら、霧の中、少しでも散歩しておくのだった。少しの後悔。
ねぇママ、私、好きな人、分からなくなっちゃった。あら、そうなの? うん。好きだと思ってた人が何となくそんなに好きじゃない感じがしてきて、それで、こんな人好きにならないと思っていた人のことが気になり始めちゃったんだよね。ふぅん、そういうのもあるよ。そうなの? だって、絶対好きになんかならないと思ってたんだよ、その子のこと。どうしてそう思ってたの? 友達だから。うーん、友達から好きな人に変わっていくことだってあるよ。そうなのかなぁ、なんか納得いかないんだよね。ふぅん。まぁ、自然に任せておけば、じきに本当に誰のことが好きなのか、分かるときがくるよ。ふぅん。
サミシイ。まだ心が泣いている。サミシイ、サミシイ、サミシイ。心が泣き続ける。いくら泣いたってどうにもならない、何にもならない、何も変わらないし、何も得るものもない。だから私は心に落ちてくる涙を次々拭う。拭って、泣いてなんかないよ、という顔をしてみる。いくら寂しくたって、それは私の勝手。どうにもならない。何にもならない。それならいっそ、にっと笑ってみる方がいい。笑って、なんでもないふりで笑って、めいいっぱい笑って過ごした方が、ずっといい。
じゃぁママ、病院行くね。うんうん、それじゃぁね。合唱コンクール頑張ってね。うん。手を振って娘と別れる。私はバスに乗り、電車に乗り、病院の最寄の駅へ。先週のことが頭をよぎる。いや、もうあれは過ぎたこと、過ぎてしまったこと、終わったこと、今週は今週、また別の日。同じことが起こるわけじゃない。増殖する不安を私は打ち消す。 ふと、薔薇の花を思い出す。今頃うちの台所で咲いているはずのあのマリリン・モンロー。凛として、しんとして、咲いていた。誰の力も借りず、ひとりで凛と。 そうだ、大丈夫、どんなことがあっても、私は私の力で私を支えてゆくしかないのだから。これがだめなら、また次。進めばいい。葛藤はあるけれど、それでも前に進めばいい。押し潰されることなく、這い上がればいい。ただ、それだけ。 灰色の街。今日は展覧会会場にも顔を出すことになっている。やることはたくさんある。ひとつずつひとつずつ、やれることを積み重ねていこう。私にできることは、それだけなんだ。 それだけだ。 |
|