2009年11月09日(月) |
娘の頭突きで目が覚める。というより、目の中で火花が散る。相当勢いよく彼女にぶつかられたらしい。頭を振りながら起き上がると、娘は私の方向に頭を、布団のずっと端に足を放り投げて眠っている。あまりの痛さに彼女の鼻をつまんでやる。びくともしない。私は諦めて立ち上がる。 昨日娘に掃除をしてもらってすっきりしたらしい、ミルクもココアも調子を取り戻してくうかぁ寝ている。娘の手の中では全く噛む気配のない彼女らの姿に、ちょっと閉口したものだ。でも何よりショックだったのは、「ママ、これじゃぁストレスが溜まるに決まってるじゃない!」と娘に言われるほどになっていた巣の有様に、自分が全く気づいていなかったことだ。どうも、私の心の目には映っていなかったらしい。私がいないときにはそのくらい注意してあげてよね、と娘に言われる始末。生き物に対して私なりに注意を向けていたはずなのに。どうも自分のことにばかりかまけていたらしい。まったくもって、情けない。 ベランダに出て髪を梳く。辺りはまだ暗い闇の中。空気もすっかり冷え込んでいる。それでも多分、今日は天気がいいのだろう。空気が適度に乾き、風もやわらかい。空に雲はなく、ただ地平の辺りに少し、うねっているだけだ。 アメリカン・ブルーは、この週末に小さな新芽をたくさん出してくれた。薔薇と違ってその新芽は最初から萌黄色で柔らかい。決して赤くは染まらない。薔薇よりずっと植物らしいのかもしれない。薔薇は風の中、じっと佇んでいる。マリリン・モンローの蕾だけが時折ゆらりゆらりと揺れる。その脇で、全く水をやっていない鉢の中、ムスカリやイフェイオンが緑をつやつやと輝かせている。不思議だ。母のアドバイスに従って水を一切やっていないというのにこの艶やかさ。何故なんだろう。彼らは一体何処から養分を得ているのだろう。 少しずつ少しずつ東の空が明るくなってゆく。その明るみの中、私はお湯を沸かし、お茶を入れる。
友人が亡くなったという知らせを受けたのは、実家でだった。正直、彼の記憶はあまりない。そんなに親しい間柄ではなかった。そういう間柄ではなかったのに、友人代表で葬式に出てくれと電話が来る。そういう電話がちょっと不思議だった。 首を括ったのだという。詳しい事情は知らない。首を括ったということだけが、なんだか一人歩きしているようで、私は落ち着かなかった。そういう話はあまり、聞きたくなかった。どういう死に方をしたにしろ、死んでしまったことに変わりはない。 葬式にはどうして、こんなにも白い花が似合うのだろう。でもここに、もし、黄色やオレンジの花があってくれたら、どれほど救われるだろう。そんなことを思う。晩秋の空の下、それはあまりに寂しい葬式だった。張り詰めた葬式だった。 何処までも何処までも、寂しい葬式だった。
黄色く、または紅く、染まった木々の間を歩く。水面がまるで鏡のように光り輝く川が流れている。耳に突っ込んだヘッドフォンからは懐かしい歌が流れている。誰もいない。車が通る気配もない。そんな中、私はじっとしゃがみこんでいる。 父はこうした場所で暮していた時期があったのか、と、改めて思う。父の叔父がいつも話してくれたのは、競争で負けると父が棍棒を持って追いかけてきてばしばしと勝った奴らを叩きつけるという話だ。「負けるのがよほど嫌いだったんだなぁ」と笑いながらその叔父は話してくれたが、いかにも父にはあり得そうな話だった。まだ戦中、米がない時に、珍しく大きなおにぎりを持って山に行った時のこと、そのおにぎり四つを残らず一人でたいらげてしまった話もあった。黙々と食べ続ける父に、叔父は何も言えず、自分の分も差し出したのだという。 そんな叔父も、もう半ば呆けてしまった。私が誰だかなど、わからなくなってしまった。せいぜい覚えているのは、父の顔だけだという。そうして毎日のように、本家分家の墓参りに通っているのだという。 山々の陰はどこまでも続き、周囲をぐるり、囲っていた。いつも海を見慣れている私には、そうした風景は少し、窮屈で。何となく押しつぶされそうな圧倒されそうな気配さえ感じ。そうした中で父は幼少期をずっと過ごしていたのかと。父はこの自然の中で何を考え、何を思ったんだろう。
まだ弟は不安定なままだ。父や母のところにも何の連絡もないらしい。私のところにもここしばらく連絡はない。弟のところの長男が、ちょうど七五三の年だ、今年は。どうするんだろう。人並みのことをしてやりたいと義妹は言っていたが、その余裕はあるんだろうか。あれこれ考え始めると止まらない。私の娘の七五三は、一年遅らせて為した。私にそれだけの蓄えがなかったからだ。そうして為した七五三、まだ父も母もあの頃は元気だった。一緒に八幡宮へ行き、孫の七五三を祝ってくれたっけ。着物という窮屈な代物に閉口し、緊張していた娘も、途中からようやく笑顔が見られるようになり、その顔を父と一緒に、カメラで追いかけたんだっけ。懐かしい。そういう時間が、私たちにもあった。 弟は今、何を思っているんだろう。
ママ、裏山でね、あけびを見つけたんだよ。ほお、まだあったんだ、あけび。でも、おいしくないね、あれ、私、一口しか食べられなかった。ははは、まぁ好みがあるだろうね。ママは食べたの? ママ? ママは食べた。でも、ばぁばと裏山に行ったことはなかった、いつもママはひとりで裏山に行ってた。ええ、そうなの? うん。ばぁばと行けばよかったのに。ばぁば、いろんな鳥の名前も知ってるし、植物の名前も知ってるよ、教えてもらえばよかったのに。そうだよねぇ、今ならそう思うよ。 そう、私は、いつでも一人で裏山に行っていた。裏山は私にとって、一種、聖域のようなものだった。そこでなら泣いてもいい、というような。父母との関係でいつも悩んでいた私は、クラスメイトともあまり良好な関係は結べていなかったように思う。何でもできる子、いつも代表の子、そのような目で私は見られていた。そんな中、私はいつでも背筋を伸ばしていなければならないような気がして。だから、弱気を見せられるのは、ひとりきりのときだった。私は深呼吸するために、裏山に通っていた。 裏山では何をしようと私の自由だった。木に登ろうと、膝を抱えてそこで眠ろうと泣こうと、誰も何も言わなかった。お気に入りの本やリコーダーを持って行くこともあった。覚えたての歌をひたすら歌うこともあった。そうしてひとり、時間を過ごしていた。大事な大事な、あの頃の私には必要な場所だった。 ママ、裏山のね、ここら辺の入り口のところに、巣箱がとりつけられててね、多分あれ、リスが住むよ。へぇ、そうなの? うん、誰かがつけてくれたんだね。小さいこれくらいの巣箱。手作りだったよ。よかったねぇ。うんうん、だからね、これから毎週、見に行くんだ、ばぁばと。そっかぁ。 私にとっての、ひとりきりの裏山は、そうして娘に受け継がれてゆく。ばぁばと過ごす大事な裏山として。
葬式で、隣に座った人が、ぽつり、零していた。どうせいつか死ななきゃならないってのに、どうして自分で死ぬ必要があるんだろうなぁ。 どうしてだろう。分からない。 そういう私もかつて、自分を消去したいと願っていた。死にたいのとはちょっと違う。ただひたすら、自分の存在を消去したいと、そう願い続けていた。こんなに穢れた自分など、存在していてはいけないのだと、消去してしまわなければならないのだと、そう信じて疑わなかった時期があった。 でも私は。死ぬことはなかった。だから、分からない。彼がどんな気持ちでどんな想いで首を括ったかなど、私は知る由もない。 いつか死ななきゃならない時まで、待つことができなかった。そんなもの、見ることさえできなくなった。今この場で自分を、断つことしか考えられなかった。 だとしても。 死んで何になる? あんたが死んでも、あんたがここに在たことは消せないんだよ。ここに残った人たちはそんなあんたのことを、何処までもいつまでも覚えていくんだよ。そのこと、知ってる? もし途中で命を断つなら、全てを消去してからにしてくれよ。おまえさんがここにいたこと、ここに存在していたこと丸ごと、消去してからにしてくれ。 私は、そう思う。 そして、そんなことは、不可能なんだってことも。
今日は病院だ。私は娘に手を振って、少し早めに家を出る。ココアを頭に、ミルクを手に乗せて娘は見送ってくれる。じゃぁね、またあとでね。 バスに揺られ、混み合う電車に揺られ、最寄の駅へ。あっという間に時間は過ぎてゆく。頼んだカフェオレも、瞬く間に冷たくなってゆく。 もうじき時間だ。 そうして一日が、また回ってゆく。私の上にも娘の上にも父や母の上にも平等に、その時間はやってくる。 |
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