2009年11月11日(水) |
雨の音で目が覚める。強い雨の音。窓を開ければ、その音はぐんと大きくなって私の鼓膜を揺らす。昨日から空気が湿っぽかった。やはり雨か。私はそう思いながら外を見やる。まだ点いている街灯の明かりの環の中、雨粒が激しく揺れている。 鏡の前で髪を梳く。梳きながら、抜けた髪を見下ろす。一本、また一本と長い髪が抜け落ちる。それがまるで母の髪のように思えてくる。母は今毎朝どんなふうに髪を梳かすのだろう。梳きながら抜ける髪をどんなふうに見下ろしているのだろう。女にとって髪はやはり、大切なものなのだなと、改めて思う。 降り続ける雨に、薔薇の樹が気になる。大丈夫だろうか。うどんこ病は酷くならないだろうか。それが心配だ。あれ以上広がらないように気づいたものは全て切り落としたつもりだが、もし残っているものがあったとしたら。きっと明日はとんでもないことになっているんだろう。窓際に立ちながら、薔薇に降りかかる雨を恨む。
娘の勉強に、だんだんと私がついていけなくなっている。特にそれは算数だ。国語や他の教科はどうということはない。しかし、算数の解き方に、私は戸惑う。算数と数学の違い。私は数学になって数字が好きになった。算数の時代は大嫌いだった。嫌いな科目を挙げろと言われたら、迷わず算数と言っていたものだった。それが今再び、目の前にある。 ねぇママ、これ分からない。どれ? この問題。うーんと…これ、教科書に載ってなかった? 覚えてない。じゃぁまず教科書見てごらん。解き方載ってたら、それに沿ってやってごらん。うーん。 教科書を一緒に眺める。心の中、こんな難しい問題、あったっけ、と呟く私。いちいちこんなことを求めなければならない算数って何だろう、と思わずやけっぱちになる。 答えが一つしかない。それが、私は好きじゃなかった。国語ももちろん主要な答えはあるのだけれども、その表現には幾つか術があったって許された。私はそれが面白かった。こんな表現もあるのか、あんな表現もあっていいのか、と、それが面白かったのだ。しかし。娘は、「答えが一つだから算数が好き」と言う。答えが幾つもあるなんて曖昧でいやだ、と言う。不思議なものだ。親子でもこんなに違う。
たった一枚のネガから、何通りもの絵が生ま得る。私はそんな写真が好きだ。気持ちによって、その時によって、たとえば単純に濃い絵にしたかったり、たとえば要らないものを全て排除した絵にしたかったり、いろいろある。そのたった一枚を、幾十枚の焼きの中から見つけ出す作業は、私を夢中にさせる。まるで心の澱の中から、宝石を見つけ出すかのような作業に思える。 ネガは楽譜、プリントは演奏。まさにその通りだと私も思う。
友人と靴を買いにゆく。靴を買うなんてどのくらいぶりだろう。隣の友人も、今履いている靴は実はもう小さな穴が開いているのだという。そういう私も、先日母にサインペンで色を塗られるくらい、靴の塗料が剥げている。 私は足のサイズが大きい。普通の女性サイズからはみ出ている。だから、かわいい靴を買うというのは夢のまた夢だ。いつもごつい靴になってしまう。今回も、サイズを店員に告げ、そのサイズがある靴はどれですか、と訊いてみる。やはり、最初ちらりと見ていた靴の中には全くなく、別の種類の靴を指さされる。仕方ない。そこから選ぶしかない。 結局、少しヒールのある紐靴になった。色も、もうそれしか残っていないという代物。友達が私を慰めるように、Gパンには似合うと思うよ、と言ってくれる。その言葉に励まされ、そうだそうだ、と自分を納得させる。 外に出ると、あまりにいい天気で。私たちは暑い暑いといいながら歩く。歩道橋の向こう、海の横たわる方の空はあまりに眩しくて、私は少し目を細める。
友人も私も同じPTSDを背負っている。そんな彼女と、ぼそぼそと話す。病気に逃げたくはないよね、と。もう私も彼女も十年以上この病気と付き合っている。それでもまだ、コントロールする術は模索している最中だ。かつての主治医が言っていた、PTSDは一生涯付き合っていく病ですよ、と。言われたあの時は、なんて残酷なことを告げるんだろうと思った。しかし、言われていてよかったと今は思う。そのおかげで、私は覚悟ができた。一生付き合っていかなければならないのなら、うまく付き合っていく術を見つけていこうと思うことができた。そうして今の私が在る。 そんな友人は今週末が誕生日だ。彼女にリクエストされ、象の置物をプレゼントする。でも。誕生日には間に合わないけれども、今手元で作っているものがある。それが多分、私の本当の贈り物。それまで待っていて欲しい。
真夜中、遠くの友人から電話がある。やはり来たか、と思った。その友人と共通の友人の、命日が近いのだ。友が電話の向こう、ぽそりと言う。今年もやって来るね。私も応える。そうだね。ねぇ今年はどうする? 墓参り、行く? 私は行かないよ。やっぱり行かないの? うん、私は行かないって決めてるの。死んでからいくらでも会えるから。今はいかない。ごめん。そっか。分かった。じゃぁ私は行ってくる。うん、わかった。電話は切れる。 私は基本的に、墓参りには行かない。よほどの気持ちと理由がなければ、行かない。病死したり事故死した場合は別だ、そういうところにはよく墓参りに行く。でも、自殺した友のところには、基本、行かない。 私がかつて、自分を消去したかったように、彼らもまた、自分を消去したくてしたくてしたくて、そうして遂にしてしまった。もしかしたらそうしながらも彼らは、自分を思い出してほしいと思うことがあったかもしれない。自分を思ってほしいと思うことがあったかもしれない。でも。 残酷なようだが。勝手に逝ったんだ。私の中には君たちの気配がありありとまだ残っている。君たちが消したのは君の命だけであって、君が存在していたそのことは、まだこうやって私の中にありありと残っている。 勝手すぎるよ。君は死ぬことを選んで、それでよかったかもしれない。納得できたかもしれない。でも、遺されて今を生きる私たちには、もう選びようがない。君はここの胸の中にいつまでもしこりのように残っている。居残っている。消えることは、ない。 だから、私は行かない。次に会うのは。私が死んだその時だ。そう思うから。だから部屋で真夜中ひっそりと、君を思って過ごすくらいで、やめておく。
ねぇママ、ハムスターの身体にはぶつぶつがいっぱいあるんだね。うん、なんでだろうね。ねぇ、ハムスターって冬眠するの? え? 冬眠? 本にはなんて書いてあった? 冬眠のこと書いてない。じゃぁ冬眠はしないんじゃないの? 寒がりだってよ。どうする? うーん、木屑を多めに敷いてあげるしかないよねぇ。そうかぁ。ハムスター用の湯たんぽとかないのかなぁ。見たことないなぁ。あったら買う? お小遣いで買いなさい。えーーー。ママのケチ! ははははは。
じゃぁね、それじゃぁね。またね! 手を振って雨の中別れる。私はバス停で、友人に電話をかける。近くまで行くからバースデーケーキ食べない? 昨日パニックを起こしたという友人。まだ具合の悪いのだろう彼女の声が小さく受話器から伝わってくる。じゃぁS駅まで行くから、そこの近くのケーキ屋さんで会おう。うん。じゃ、またあとで。 ちょうどバスがやって来る。雨のバスはこの前以来だ。私はすぐに動けるよう、出口近くに立つ。私の周囲には女性だけ。それを確かめ、ようやく少し安心する。大丈夫、そんな、災難は何度も何度も起こらない。自分に呪文をかける。大丈夫、大丈夫、私は大丈夫。 サイレンの音が後方から響いてくる。二台の救急車。そういえば救急車に私は何度お世話になったろう。もう覚えていない。 バスに乗って、電車に乗って。そうすればS駅なんてすぐに来る。大丈夫大丈夫。 まだ開店前の花屋の前で、私は立ち止まる。時間がもう少し遅かったら。花を買っていけたのに。それがちょっと残念。 でも友が待っている。急がないと。来週には今作っているプレゼントを手渡せるはず。
耳奥で、まだサイレンの音が響いている。 |
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