2009年11月12日(木) |
いつもより少し早めに起き上がる。外はまだ雨。まだ明けない紺色の闇の中、ぼんやり点った街灯の灯りの環の中、斜めに降っているのが分かる。窓を細めに開け、風を部屋に入れながら、私は台所に立つ。 挽肉に下味はもう昨日のうちにつけておいた。鶉の卵も茹でてある。それを一つずつ、挽肉で包んでやる。ちょっと歪な丸形。沸かしておいた湯の中に、そっとそっと入れてゆく。浮いてきたものを菜箸でちょいちょいつつきながら、もう少し茹でる。かために茹でる。そうして水を切り、今度はフライパンへ。照り焼きソースを作って絡めてやれば、鶉卵入り肉団子の出来上がり。 ブロッコリーはもう昨日のうちに茹でておいた。ミニトマトもある。それらで弁当箱を彩りながら、私は同時にお茶を沸かす。沸かしてから、そういえば娘のリクエストはポカリスウェットだったと思い出す。ひとつ失敗。 パイナップルの缶を開けて、最後に弁当箱に詰めてやったらそれで終わり。あぁ、おにぎりを用意するのを忘れていた。いけないいけない。 そうして一通り用意を終えた私はようやく深呼吸。時間は五時過ぎ。まぁこんなもんか、と自分を慰める。娘ががつがつと食べてくれれば、それでいいのだけれど。ただそれだけを考えてみる。 少し緩んできた空の下、ベランダに出る。多分、うどんこ病の病葉があるはずだ。私は目を皿のようにしてただひたすら薔薇の樹の葉を見つめる。やはりあった。ここにも、そこにも。挿し木からようやく出てきた新芽の一部も。私は爪と爪で挟んでそれらをちぎる。このまま雨が続いたら、明日もまた、別の葉に病斑点は現われるのだろう。それでも飽きずに私は病葉を摘む。
激しく揺れるように降る雨の中、電車に乗る。揺られ揺られてS駅へ。私はこの駅のことを殆ど知らない。学生の頃何度か来たことはあったはずだが、覚えていない。ただ、なんて寂しい駅前なのだと思ったことは覚えている。そうして今もその寂しげな様は変わらないらしい。いや、店やビルは所狭しと並んでいる。私が言う寂しさは、緑のない寂しさだ。人でごったがえす横断歩道を俯いて渡りながらしみじみ思う。煤けた街だ。まるで排気ガスで塗りこめられたような街だ。 少し遅れて友人がやって来る。昨日パニックを起こし、夜通しその衝撃に揺れていた身体はその気配をそのまま連れていた。まだ焦点が微妙に定まらない、そんな感じだった。 彼女がチェリーパイを、私はチーズケーキを注文し、二人して向き合いながら珈琲を啜る。私は彼女が話すことよりも、彼女の体から醸し出される気配に耳を傾ける。
ゴム版の作品になったと友人から届いたDMには書いてあった。ゴム版と言われてイメージできることは、私にはたかが知れていた。そして実際に作品を前にして、目が覚めるようだった。ここまで緻密な、それでいて雰囲気のある絵ができるものなのか、と。四季をそれぞれイメージして作られた四点は、しんとして壁に掛かっていた。グループ展ゆえ何人かの人たちの作品もあったのだが、その中でもとりわけ彼女の作品は光っていた。見る者を決して強いらない、それでいてこちらを惹きつける、そういう力を彼女の作品はいつも持っている。それはきっと、いつでも彼女が祈りを込めて画を描くからだろう。その祈りが、ゆったりとした旋律にのって、こちらの心に届くのだ。 私は彼女の油絵も水彩画も銅版画もそれぞれに見知っている。その中でも私は彼女の銅版画が好きだった。細かく細かく描きこまれた線は何処までも何処までも続いてゆくようで、目を閉じても瞼の裏にその絵は浮かび、ゆったりと流れ動くのだった。 そんな、銅版の線とは異なる、もっと素朴な線が今回の作品の中にはあった。絵の中で祈りは、歌のように浪々と木霊していた。
ボタンがない、ボタンがない、それは僕のボタンじゃない、僕のボタンはもっと大きいんだ、それは僕のボタンじゃない、僕のボタンはもっと丸いんだ! 娘がバスの中、突然そんなことを言う。私は驚いて隣に座る彼女を見つめる。ど、どうしたの。え? 台詞の練習。台詞って? うん、学芸会でね、劇やるんだ、私、じゃんけんで一人勝ちして、この役やることになったの。娘が得意気にまた台詞を言おうとする。その口をおさえて、家でやろうよ、家で、バスの中ではちょっと、と止める。周囲からの視線に、私は縮こまり、最寄のバス停に着いた時には、半ば逃げるように駆け降りる。娘はそんな私にお構いなく、何度も何度も口の中、台詞を反芻している。 そして朝、おはようの後にやってきた、台詞の練習。ボタンがない、ボタンがない! 隣の部屋に絶対聴こえていると思うような、そんな大きな声で彼女が連呼する。これが学芸会が終わるまで続くのか、と、私は苦笑してしまう。一体どんな顔をして舞台に立つのだろう、娘は。 昔、二都物語を学芸祭の出し物に選んだ。その中の一役を、私は演じたことがあった。舞台には思わぬ魅力が山ほどあった。自分が演じれば演じただけ、返ってきた。できるなら、ずっと舞台に立っていたかった。あの頃を思い出すと、まだやはり、胸が痛む。できるならあまり、思い出したくはない。あの頃恋人からの暴力に晒されていた毎日だった。殴られてゴミ溜めに倒れこんだり、教会に逃げ込んだりしたこともあった。それでも、そんな暴力からどうやって逃げ出したらいいのかが分からなかった。逃げたら追われる、捕まる、それは私を無力にした。その人と共に歩くために、おのずから自分の足を折ったりもした。それは、長い長い時間だった。 もうあの位置には、戻りたくない。
家を出る頃には、雨は止んでいた。代わりに強い風が吹いている。でもこれなら何とか娘も社会科見学に行けるだろう。ランドセルの変わりに背負われたリュックが、ごっそごっそと娘の背中で揺れている。 アメリカン・ブルーはそんな風の中、ぴんと背を伸ばしている。小さく小さく芽吹かせた新芽が、風を避けるように縮こまっている。私たちはその脇を通り、階段を揃って駆け下りる。 おはよう、と声をかけても、答えてくれる子供は殆どいない。顔見知りでも、ちょこねんと頭を下げるか、聴こえなかった振りで下を向くか、それが殆どだ。何故みな挨拶をしないのだろう。正直それが不思議でならない。私がまだ子供だった頃は、こちらから挨拶をしなければ、ぽかりと大人に頭を叩かれたものだった。それとも今は挨拶をしない方が礼儀なんだろうか。私は時々、不思議に思う。 それじゃみんな揃ったね、いってらっしゃい。登校してゆく子供らをそうして見送る。そして私は通りを渡りバス停へ。 雲が、埋立地に聳える高層ビル群を巻き込んで、まるで渦巻くように流れてゆく。私はバスの中、その様をじっと、じっと見つめている。 |
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