見つめる日々

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2009年11月19日(木) 
母からメールが届く。散布薬はないの? ないなら、とにかく摘むしかないのよ。病葉を土に落とさなければ、その後ちゃんと新芽がでるから。とにかく摘むのよ。そう書いてあった。薔薇のうどんこ病のことだ。起きて早々、そのメールをもう一度読み直す。そして私はベランダに出、薔薇の葉たちをじっと見つめる。病気にかかっているものはいないか、とにかく探す。見つけた。私は丁寧に摘む。粉を落とさないように落とさないように気をつけながら。また見つける。私は摘む。もう一枚見つける。私は摘む。とにかくそれの繰り返し。左手にたまった病葉を改めて見つめる。せっかく手を広げたところだったのに、ごめんね、と謝る。そうしてさっとゴミ袋に入れる。
アメリカン・ブルーは、一株がちょっと弱っているのか、広がりかけた芽が萎れている。私は迷う。帰ってきてもこうだったら切ってやろう。そう決める。
この数日の雨を受けて、際に置いてあったイフェイオンたちは一挙に元気になった。緑をこれでもかというほど茂らせている。今が冬という季節だなんて、信じられないくらいの勢いだ。ムスカリも元気。そろそろ水をやってもいいかもしれない。
部屋に戻るとぶるりと身体が震える。私は早速お湯を沸かす。今日は何を飲もうか。友人から貰った中国茶、最後の一杯が残っているはず。私はカップを用意する。

娘の音楽会。プログラム一番で演じられる。私は娘を見送った後、早速支度を始める。
学校へ向かうと、もう大勢の親たちが来ていた。でもその中から、娘は早々に私を見つける。ママ! 私も手を振り返す。
かえるの歌、それからスマイルなんとかという歌だと書いてある。リコーダーをみな首に下げて、ちょっと緊張した面持ちで壇上に並んでゆく。最前列に並んだ娘を私はじっと見つめる。先生の指揮に合わせて演奏が始まり。練習を重ねたのだろう、たどたどしくも、それでもちゃんと合唱になっている。輪唱部分もあったりして結構面白い。と、突然演奏が止まり、どうするのかと思ったら、例の劇だ。「ボタンがない、ボタンがない!」。少しまだ照れの残る娘の、それでも大きな声が体育館に響く。「見つけました! これでしょう?」。カエルのお面を被った別の子供が娘に声をかける。「違う違う、それは僕のボタンじゃない。僕のボタンはもっと大きいんだ!」「違う違う、それは僕のボタンじゃない、僕のボタンはもっと丸いんだ!」。見つめていると、何となく口元が緩んでしまう。真剣にやっている子供たちの姿が、とても素敵だ。どんな年齢であっても、一生懸命な姿というのはいい。人の心を惹きつける。
そうして歌の合間合間に劇を挟み、かえるの歌は終わった。スマイルなんとかも無事に終わる。私は早々に会場を立ち去ろうとして、でも名残惜しくて、振り返る。ママ! 口元の動きだけで分かる。娘は私を見つけた。そうして投げキッスをよこす。私は笑ってしまった。こんなことをしてくれるのも、あとどのくらい? もしかしたらこれが最後? そう思いながら、私は思い切り手を振り返す。

きれいに晴れた。でも寒い。とっても寒い。ぴゅうぴゅう吹く風が冷たいのだ。私はその中を自転車で、風を切って走る。ほっぺたが冷たさできゅうきゅうする。それでも走る。久しぶりに走るので、走ること自体が楽しくて仕方がない。
少し遅れてやってきた友人と合流し、お茶をする。二人して、寒いね、寒いね、と言いながらカフェオレを啜る。窓の外は水色の空。あっという間に時間が過ぎる。喫茶店に懐かしい曲が次々流れる。あぁこれ、私大好きだったんだ。私も好きだった。ドーナツ盤買ってね、何度も何度も繰り返し聞いた。その頃まだ、フランス語を習っていなかったんだけど、この歌を歌いたくて必死になってフランス語の辞書を引いて調べたりした。そこまでしたの? うん。成人してからの彼女のアルバムも、二、三枚持ってるよ。へぇ、そこまで好きだったんだ。
考えてみれば、私が外国語に目覚めたのは、音楽や映画からだった。フランス映画、ギリシャ映画、ドイツ映画、様々な国の映画を見てきた。その中で、フランス語が一番、私にはしっくりきた。意味も何も分からないのに、寂れた映画館にテープを持ち込んで、幾本ものテープにこっそり音源を撮り、家で繰り返し聞いた。管弦楽の音響を背景に、流れるフランス語は、心地いい以外の何者でもなかった。私が大学生になって、フランス語やラテン語、古典ギリシャ語を選択するようになったのも、ああいう時間があったからだ。わざわざフランスのラジオ放送のテープを手に入れ、それを繰り返し聴いたりもしていたっけ。本当に懐かしい。
それともう一つ。私のフランス語熱に拍車をかけたのは。母の古いノートだった。本棚にひっそり隠れていた二冊のノート。母が為替課に勤めていた頃必死に勉強したのだろう、そのノート。フランス語がびっしり書かれていた。英語のノートもあったが、私は母のフランス語のノートに魅入られた。ひそかに、母を追い越してやる、と思ったりしたのを覚えている。英語やドイツ語がべらべらな父への反発もあったんだろう。私はそうして、フランス熱にすっかりうかされていた。もう遠い昔、学生の頃のことだ。
今、私は改めて、日本語を知りたいと思っている。日本人なのに、私はまだまだ日本語を操れずにいる。ちょっとしたところで躓く。もっともっと、正確な日本語を操れるようになりたい。娘と話しながら、友人と話しながら、なおさらにそう思う。

去年催した二人展心跡の作品たちを、何とか一つにまとめられないか。そんなことをふと思いついた。思いついたらもう、作業するしかない。私は作業を始める。一点一点、展覧会のデータを確認しながら、順番に作品を並べてゆく。点数がかなり多い。これを一冊にまとめることができるんだろうか。それでも、思いついたが最後、やらずにはいられない。

夜遅く、ようやく宅急便が届く。注文していた作品集たちだ。私は一冊一冊中を確かめ、袋詰めしてゆく。宛名を書いて、礼状を書いて、ひとつひとつまとめてゆく。ようやく届けられる。その嬉しさが私の心に沸いて来る。どんなふうに受け取ってくれるんだろう。顔の見えないその人たちのことを思い浮かべる。どんなところで、どんなふうにこの作品集をひろげてくれるんだろう。どんなことを感じてくれるんだろう。いつか会えることがあるなら、その時、ぜひ聞いてみたい。
そんなことを思いながら私は封を閉じる。さぁ、あとは明日出すだけ。

塾の帰り道の娘から、メールが届く。ママ、今日、カエルうまくできた? それから今日のご飯は何ですか? 私は短く返事をする。よかったよぉ! 上手だった。ごはんはおかかと明太子のおにぎりです。ついでに薄皮饅頭があります。
しばらく待っていると、娘が駆けてくる。ママ! バス停まで競争! 私たちは人ごみを縫って走る。あー! バス行っちゃった…。あーあっ…
結局私たちは次のバスで家に帰る。バスの中、娘はおにぎりを頬張りながらあれこれ話しかけてくる。本当はね、主役はひとりのはずだったんだけど、演りたい人がたくさんいたから、前半と後半とに分けてやることになったの。でもさぁ、それだと分かりにくいよね、あれ、突然主役が変わった、って、ママ、びっくりしたよ。うんうん、でも、それ、先生のアイディアだから。そうなんだぁ。歌、うまかったよ、ちゃんと声出てたじゃない。練習したもん! だねぇ。きれいだったよ、輪唱も。
そうしてあっという間にバス停に到着。私たちは降りてすぐ、玄関まで競争!と走り出す。

おはよう! 返事が無くても私はいつも子供らに声をかける。ひとりずつ、ひとりずつ、おはよう、おはよう、と。今日はそのおはように、寒いね、がくっついた。班長が朝練でいないから副班長が代理。そうして出発。
それじゃぁね、いってらっしゃい、いってきます! 手を振って娘と別れる。娘は学校へ。私は私の場所へ。昨日まとめた荷物を前籠に乗せて、私は走る。
空は灰色。雲はまだ切れない。


遠藤みちる HOMEMAIL

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