見つめる日々

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2009年11月21日(土) 
仕事を終えて横になろうとしたら、飛んでくる娘の足。避けようとしたが、彼女の足にがっぷり挟まれる。あたたかい。いや、熱い。なんでこんなに熱いんだ、この子の身体は。私はびっくりする。びっくりしながらも、これならちょうど、湯たんぽ代わりになってくれるかもしれないとも思う。寝づらいことは寝づらいが、まぁそのくらい仕方がない。
朝起きると一番にミルクの出迎え。がしがしと籠の入り口を齧っている。齧っては、こちらを見つめている。ごめんね、今日は大忙しなんだよ、ごめんね、私は声をかけながら支度を始める。
薔薇たちの土は、昨日水を遣ったからまだ湿っている。これなら留守にしても大丈夫。アメリカン・ブルーの土も大丈夫だ。でも何だろう、やっぱりちょっと元気が無い。帰ってきたらよくよく見てやらないと。ベビー・ロマンティカの蕾のほかに、ホワイトクリスマスも今小さな小さな蕾をつけ始めた。他は、先日剪定してしまったから、花が咲くことはない。しかもうどんこ病になったものは、さらに切り詰められているから、今、はっきりいって丸坊主、といった具合。まぁそれでも、病気に晒されるよりはいい。
髪を梳かしながら空を見上げる。雲がぐいぐい流れてゆく。これなら今日は晴れるかも。私はちょっと嬉しくなる。

学校は、今日がちょうど山場の授業。しかし、何故だろう、今日に限って欠席者が多い。半数ぐらいが休んでいる。どうしたのだろう、代替授業をとっているんだろうか。私は余計な心配をしてみる。まぁそんなことより、二時間私がもつかどうか、その方が問題なのだが。
やはり、後半、居眠りをしてしまう。集中力が続かないのだ。ぷっつりと切れるときがある。切れると、かくんと眠りに落ちてしまう。私は、ノートをとる姿勢のまま、ちょっとの間うとうとする。講師に当てられ、しどろもどろになってしまう。恥ずかしい。しかし、これが私の現実。
かかわり行動、かかわり技術、傾聴、その他もろもろ。必要な項目が次々板書されてゆく。私は神経を絞って、何とか追いついていこうとする。するのだが、完全に堕ち零れている、そんな気持ちになる。
授業が終わった頃には私はへとへとになっていた。見上げる空、陽光が眩しい。

友人から電話がかかってくる。どうも様子がおかしい。パニックをおこしているらしい。私は受話器を握り直し、彼女の名前を繰り返す。私、こうしたいのに、これがしたいのに、パニック起こしちゃって、どうにもならない。彼女は泣きながら私に訴えてくる。とにかくまずパニックを収めることが大事だよ、横になりなよ、時間見計らってまた電話するから。とにかく横になって、ね。うん。
それから二時間後、私は電話をする。繋がらない。時間を置いてまたかけてみる。繋がらない。また時間をおいてかけてみる。いっこうに繋がらない。
私は電話を諦めて、メールを送る。

相手に、自分を重ね合わせたら、だめだ。自分と相手とを混同してはだめだ。自分とその人とはあくまで別物、別物であって、決して重なり合うことはない。そのことを、心にしっかりとどめておかないと、見誤る。
酷い体験を経てくると、その体験に引きずられて、よくこの距離感を見失ってしまうことがあるが、それを見失うと、とんでもなく自分が苦しくなる。それだけじゃない、相手もしんどくなる。
そのことを忘れてはいけない。

花を買って帰ろう、そして花の写真を撮ろう、そう思って教室を出たのだが、花屋の前で私は首を傾げる。どうして薔薇の花しかないんだろう。本当に見事に、その花屋には薔薇の花しかなかった。何種類もの薔薇。薔薇好きにとっては嬉しい限りだが、今日は喜んでもいられない。私はいろんな花を撮りたかった。薔薇だけではだめなのだ。結局、私は花を買うのを諦める。もっと種類がたくさんあるときに、ごそっと買って、写真を撮ろう。そう決める。
来年の六月の個展に向けての準備だ。展示する作品はもう仕上がっている。じゃぁ他に何をということなのだが、それだけで終わってしまうのはなんだかもったいない気がするのだ。このシリーズをもっと広げることはできないか。そう思っている。

昨年催した二人展の作品群を一冊にまとめることにした。ついでに、来年一月の二人展の作品群たちも、まとめてみる。これまでいつもハードカバーで製作していたが、今回はソフトカバーでやってみることにする。
一点一点、見つめ直すと、いろんな想いが交差する。この写真を作った頃、私はどんなだっただろう。そんなことを思う。まだリストカットの嵐に揺さぶられ、腕を血みどろにしていたこともあった。パニックを起こし後ろに倒れ頭を勢いよく打ちながら、それでも作品を焼いたこともあった。胃液がせりあがってきて、それでも食いしばりながらシャッターを切ったこともあった。そういう時間がぽるぽろと、詰まっている。

電車の中、外を見やればちょうど夜明け。燃えるような太陽が東からちょうど上がってきているところ。私は思わず声をあげ、席を立ってしまう。それはちょうど川を渡るところで。流れる川面に、きらきらと陽光が降り注ぐ。水は陽光をいっしんに受け、まるではしゃいでいるかのような輝きを見せる。一瞬の光景。
雲はその燃える太陽を隠したり流れたりしながら浮かんでいる。太陽はそんな雲にお構いなしに、ひたすら燃え続けている。

始発のバスに乗るため、娘と二人、準備をする。私がゴミをまとめている横で、娘がミルクとココアの世話をする。さぁ準備完了。
バス停に立ったものの、寒い寒い。そこで私たちはおしくらまんじゅうをすることにする。えいや、よっと、えいや、よいしょっと。押し合いへし合い、私たちは笑い声を上げる。まだ通りをゆく人など殆どいない午前六時。バス停から真っ直ぐに見える埋立地の高層ビルは、まさに聳えるという言葉がぴったりな貫禄でそこに立っている。私たちは、おしくらまんじゅうをしながらも、周囲を見やる。ねぇママ、雲の勢いがすごいね。そうだね、どんどん流れていくね。そうそう、印刷に出してた年賀状、届いたよ。今年のは何? あの時撮ったあなたの顔のアップだよ。えー、あの変な顔? いや、変な顔はさすがにかわいそうだと思ったから、かっこいい奴にした。そんなのあったっけ? あったの、ママにとってはあれはいい写真なんだ。ふぅーん。
ようやくやってきたバスに乗り込み、私たちは小さい声で歌を歌う。昨日から突然娘が歌い始めたのは、ガッツだぜ。なんでこのような昔の歌を、彼女が気に入ったのか、理由はしらない。でも、気に入ったらしい。身体を揺らしながら、彼女は今も歌っている。

東京駅で、友人が見送りに来てくれていた。こんな早い時間に大丈夫なの? うんうん。そうして僅かな時間、お茶をする。次々入れ替わってゆく客。私はその様子を何となく見やりながら、今週末の忙しさを思う。
娘にも見送られ、友にもそうして見送られ、私は出掛けてゆく。ちょっと煙草を吸うのを我慢すれば、あっという間に仕事は終わるはず。そうだ、あっという間だ。その間、どれだけのものを私は見つめることができるだろう。なんとなくちょっと、わくわくする。普段なら見落としてしまうだろうようなことに、ひとつでも気づけたら、いい。

さぁ気合を入れて。


遠藤みちる HOMEMAIL

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