見つめる日々

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2009年11月22日(日) 
木の枝々の在り処さえ分からぬほどの深い闇が少しずつ明けてきている。今窓を見上げると、木の枝が空の脈目のようにそこに在る。葉はもう散り落ち、数えるほどしか残ってはいない。
昨日富士はあまりにもくっきりと私の目の前に姿を現し、私は一瞬目を疑った。もう白く白く染まった富士の、稜線はまるで一本の線ですっと描かれており、滲むところなど何処にもなかった。紅葉する山と山との間に白く白く、すっと立って、こちらを見ていた。富士を美しいと思ったことは多分、これが初めてだった。

訪れた美術館までの道程、松ぼっくりを拾って歩く。拾っては形を確かめ、かわいらしいものだけ鞄に入れる。娘や友人へのお土産にしよう。そう思うと、あれやこれや拾いたくなるから不思議だ。
枯葉を踏んで踏んで、現われた建物はなんだかおかしな形をしており。扉は重く、全身の体重をかけなければ開けられないほどで。ようやく辿り着いたその場所で、私は深呼吸をひとつした。
彼の作品を間近に、これだけの数見るのは初めてだった。てこてこと画面から歩いてこちらに出てきそうなヒトガタ、それは私の夢の中にもよく出てくるヒトガタと似ていた。ヒトガタが喋っている。声なき声で話している。そんな空間が三つ。私はその三つを順々に歩いてゆく。闇の中から光の中へ出て行くような作りで、私は最後の広い広い空間で、天を見上げたくなった。
その日は町民への無料解放の日で、子供たちも館内に集っていた。子供らにはきっと、私などよりもっと直接、彼のメッセージが伝わるんじゃないだろうか、そんなふうに思えた。子供がそのまま大きくなって、でも大人と呼ばれる代物になったときまた世界がちょっと違って見えてきてしまった、そんな彼の絵だった。あまりに若くして亡くなった彼の絵は、それでも間違いなく、今、生きている。

そこからまた少し林の中を歩いたところに、もう一つ美術館が在った。そこで今、ガンダーラ展が催されており。
薄暗い館内に、所狭しと置かれた立像、坐像。私はその存在感に圧倒される。息をするのも忘れながらそれらの像の間を縫って歩く。ふと不思議になり立ち止まる。これらの像は一体どうやってここに、誰の手によって拾われてここにやってきたんだろう。まるで今も息づくこの像は、どれほどの時間生きてここに在るんだろう。目を閉じて、まだ見ぬ異国に思いを馳せる。
どうして人は像を彫るんだろう。どうして人はこうやって物を遺すんだろう。そんな当たり前のことを、改めて考える。人は何処まで、生きていたかったんだろう、と。生きていたいと長い時間思うことができないで生きてきた私には、その純粋な欲望は少し眩しすぎる。
美術館を出る頃にはもう夕暮れだった。もうじき日が落ちる。気温は一挙に落ちるだろう。空を見上げれば、白く細い月が浮かんでいた。

薬を飲み忘れていた。歩きながら気づいて、私は慌てて鞄を探る。薬を飲み込みながら、ふと思う。薬を飲まないでいたら、私はどうなるんだろう。薬を今突然止めたら、私はどうなるんだろう。
友人が言った言葉が思い出される。私の人生の大半はもう狂っていた。また別の友人が言った言葉を思い出す。もはやPTSDは私の体の一部で、そしてあまりに日常で。
そうなのだ。私の、これまで生きてきた人生の大半も、狂っていた。そして今、PTSDは私の日常のもはや一部だ。切り離して考えようとしても、それは無理なのだ。
受け容れるしかない。分かっている。すべてを受け容れて初めて、そこからまた新たな道が始まる。そのことも分かっている。分かっているけれど、できるならあんな時間はなかったことにしたい、そうも思う。
誰が望んで事件になど遭いたいと思ったろう。誰が自分の人生に事件など起きると予想しただろう。誰もそんなこと望んでいなかったし、誰もそんなこと予想してもいなかった。まったく寝耳に水だった。それでも。起きてしまった。
起きたこと、そのこと自体で何度自分を責めただろう。自分のせいで、自分のせいでこんなことが起きたのだと。すべて自分のせいなのだ、と。そうやって何度自分を責め苛んだだろう。
でも。やっぱり違う。私のせいじゃない。私はそんなことこれっぽっちも望んでいなかった。自分の人生にそんなことが在り得るなどと、これっぽっちも思ったことなど無かった。私にも隙があったのかもしれない。でも。やっぱり事件が起きたのは、そのことは、私のせいじゃない。
もうその呪縛から、自分を解放してやろう。今改めて思う。せめてその呪縛くらいからは、自分を解放してやろう。そう、私のせいじゃない。
私の人生は狂った。あの日を境にして狂ってしまった。そしてPTSDはあの日から私の一部になったんだ。パニックもフラッシュバックも、それまでの私の人生で考えられなかったいろいろなことは、もはや私の一部。
それでも、私は生きている。最も酷かった時期は多分越えた。PTSDが私の全てになってしまった頃からは、私は変化しているはず。少なくとも今、それは私のあくまで一部であり、全てではない。そうだ、全てでは、ない。

夜、娘に電話を掛ける。どう、調子は? ママがいないのに楽しいわけないでしょ。と娘が言う。私は言われて吃驚する。そんなことを臆面も無く言うことができる娘に吃驚する。私は言うことができなかった。寂しくても寂しいと言えなかった。辛くても辛いなどと口にすることはできなかった。今娘は、どんな心持ちなんだろう。言いながら何を心に描いているんだろう。
じゃ、また明日ね。うん、明日ね。そう言って電話を切る。切った後、私はしばらく電話を見つめる。ママも、あなたがいないとつまんないよ。

東の空がぬるんできた。雲が筋のように横たわっている。木の幹の模様も、光の中、少しずつ少しずつ浮かび上がってきた。鳥たちの声も響き始める。
私は朝の薬を飲む。この処方もいつか減っていくんだろうか。そういう日もまた来るんだろうか。いつか、来る。きっと、来る。

見上げれば、空は高く高く。今、一羽の鳥が空を横切る。


遠藤みちる HOMEMAIL

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