見つめる日々

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2010年01月27日(水) 
阪神大震災のニュースが流れる。そのたび、「十五年が経とうとしています」とリポーターの誰もが繰り返す。私はそのニュースをぼんやり眺めながら、自分の時間をどうしても振り返ってしまう。
まだ十五年だったか。あれから十五年だったか。と。
何だろう、長かったのか、短かったのか分からない、そんな時間だ。十五年というのは。十年、十五年というものを区切りの年と捉え、まるですべてを清算できるかのように言う人もいる。それどころか、三ヶ月単位で人の細胞は生まれ変わるのだから、人はその三ヶ月という単位で生まれ変わることができると言う人もいる。しかし、それができれば苦労は無い。
忘れられない、どうしようもなく忘れられないから、人は苦しむ。受け容れようとしてもとてもとても受け容れられないから人は息切れする。
体験によっては、そういうものが、ある。

正直、今、原稿用紙を目の前にしても、一体何から書けばいいのかが分からない。何を書き、何を記せば、私の今をここに残すことができるのか。それがよく分からない。
慌しく過ぎた一年だった。そう思う。

折々に襲われるフラッシュバック、パニック、自傷衝動、過食嘔吐への衝動。そういうものは確かにあったが、なんだかもうそれらも日常茶飯事で、特別なことではなく。
何というかこう、私は或る意味、諦めたのかもしれない。それらがないのが日常であった頃に、戻りたいとずっと思ってきた。でももう、戻ることはできないことも、わかってきた。そのところで折り合いをつけるには、私が「諦める」ことがいい気がした。それが一番、今の時点では早道なんじゃないか。
そう思って、ふっと諦めてみると、気持ちがずいぶん楽になった。パニックがあって当たり前、フラッシュバックが起きたってそれが当たり前、自傷衝動が起きるのもまた当たり前。私にとっての当たり前は他の人にとってどうか分からないが、でも少なくとも私にとってはそれが、当たり前、と。
そう受け止めてみることで、私のスタンスはずいぶん変わった。気持ちがずいぶん楽になって、それに陥ったときも、慌てふためく分量がずいぶん減った。それが過ぎ去った後に残る罪悪感も、ずいぶん軽減された。

どうして自分はこんな病を抱え込んでしまったのだろう。どうして自分はこんな目に遭わなければならなかったのだろう。どうして自分は。
と考え出すと、はっきりいってきりがない。いくらでもどうしてが出てきてしまう。でも、どうして、と問うたからとて、何も解決しないのが、現実だ。
だからどうしてか分からないが、どうしようもなくそうなってしまったのだ。という、そのことを、自分に納得させてみる。納得してみることで、知る。今の私の現実は、どういうものであるか、ということを。

父母がそれぞれに病を患い、それは少なからず私たちの関係に影響を与えた。彼も彼女も、病気らしい病気をまだしたことのない人だったから、最初はそれに抗い、それが私にも飛び火し、いがいがとした、ざらついた関係が続いた日々があった。それを越え、父母もそれぞれに病を受け容れ始めることで、彼らと私の関係もまた、変わった。なんというかこう、落ち着いてきたとでもいうのだろうか。
焦っても抗っても、どうにもならないことというのがある。そういうことに対しては、でーんと構えて過ごす方がずっと楽だ。彼らと私の関係もまた、それに似たところがある。もうここまで来たのだから、焦っても抗っても仕方が無い。できることから始めよう、というような。そういう位置に立つことで、初めて、ほんのちょっとかもしれないが、互いに思いやりを持つことができるようになってきた、そんな気がする。

娘はぐいぐいと成長している。こんな私のそばにいても、動じることなく、自分の道を歩いている彼女に、私は憧れすら感じるほどだ。一ヵ月後には十歳を迎える彼女。その間に一体どれほどのことがあっただろう。
彼女を見ていると、私もしっかりせねば、と思う。しゃんとしなければ、ちゃんと歩かなければ、と思う。
娘が夏から育て始めたハムスターは三匹。その三人が三人とも、性格が異なる。なんにでも興味を示し、自分からがばっと圧し掛かってくる子がいるかと思えば、何処までもおとなしく、じっと観察している子。同じ種類の、同時期に生まれた子であっても、こんなにも違う。
その様を見つめながら思う。人の顔がそれぞれ異なるように、人の人生もそれぞれ、違う色合いを持っているということ。

何だろう。やっぱりまだ、まとまらない。言葉が上滑りする。そんな感じだ。十五年がもう経ったのだといわれても、あぁそうなんですか、としか応えようがない。

夜が来て、月がのぼり、星が瞬き。そうして夜が明けて朝がやって来る。太陽は東からのぼり、西へ沈む。その、繰り返しのように見える毎日は、実は決して繰り返しではなく、唯一無二の、たった一日しかない日の繰り返しであり。
その堆積が私を作っている。
私の歩いてきた道にいつか花は咲くだろうか。

同じ樹から咲く薔薇でも、決して同じ花はなく。一輪一輪異なる姿を見せる。
私だって異なっていいんじゃないか。多少違ってたっていいんじゃないか。そう思う。

同じになりたかった。みんなと同じでいたかった。パニックもフラッシュバックも何も無い、そんな日々が欲しかった。でも。
それが私の当たり前なのであれば、それを受け容れるしか、もう術は、ない。まず受け容れた上での次だ。受け容れた上での次がある。
そういえば、私の腕の傷を見、そういう傷が欲しいと言った子がいたっけ。
持ってみれば、分かる。それがどれほどの重石になるかを。消えないということが、どれほどの重石になるかを。私がこれから先生きている限り、この腕は、この傷は、消えてはくれない。なくなってはくれない。それがどれほど大きいことか。私を縛りつけ、遮り、足をひっぱることか。
でも、何だろう。それもそれでありなのかもしれない。今ふと思った。私はこの腕をもはや当たり前と受け容れ。自分の腕として受け容れており。そして私の一番そばにいる娘もそれを当たり前として受け容れており。
それはそれで、ありなのかもしれない。確かに、消せるよといわれても、それはそれで私は困るのかもしれない。こうやって当たり前として受け容れたものを、さぁなくしていいんだよ、と言われても、それはそれで確かに困る。いまさら何を、と思うんだろう。
ならば。
そんなに傷が欲しいなら、つければいいのかもしれない。私があの頃、そうでもしなければ夜を越えられなかったように、その子がそうしなければ生きていけないというならば、そうすればいいんだと思う。
ただ、忘れて欲しくないのは、それを消そうと思うことがあっても、もう二度と消えない、ってことだ。

あぁ、そういう日々があったな。確かにあった。すべての、すれ違うすべての人間がのっぺらぼうに見えて、世界が色を失ってモノクロになり、その只中にあって悲鳴をあげずにはいられない日々があった。
徐々に徐々にではあるけれども、私の世界は色を取り戻し、すれ違う人の顔も現れ。そうやってまた変化していっている。
そして。分かるのは。
唯一はっきりしていることは。
私が、生きることをやめはしない、ということだ。
私は生きることが好きだ。だからやめない。どんなになってもやめることはない。

私の歩いてきた道には、これでもかというほどの屍が横たわり。指先で触れればそれはもう乾いた音を立て。しゃらしゃらと笑う。しゃれこうべがそうして風に乗って笑い。
私はだから歩き続ける。
ゆけよ、ゆけよ、と笑うしゃれこうべの歌に乗って、私は歩き続ける。自分がどれほどのものを踏んで歩いているのかを噛み締めながら。
そうして、今日もまた、生きる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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