見つめる日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2010年02月05日(金) 
何度も我が家に泊まりに来たことのある友人が言う。あなたは本当に寝返りというものをうつことがないね。そうなのだ、私は寝ている間、ほとんど動くことがない。そのせいなんだろう、朝起きると体ががちがちになっている。今朝もまたそうだった。娘の足に自分の足を添わせるようにして眠ったのだが、その形のまま起きた。さすがに腰が鈍く痛む。腰を庇いながらゆっくり起き上がる。ちょっと痛みが酷く、私は早々にサポーターを巻いてみる。
今朝は誰も起きていない。みんな巣の中。その巣に向かってだから、小さな声で言ってみる。おはようミルク、おはようココア、おはようゴロ。
テーブルには、昨日また水切りをしてちょっと小さくなったオールドローズとガーベラたちが並んでいる。深めに水切りをしたおかげなのか、昨日あやしくなっていたオールドローズの何輪かも、元気を取り戻してくれた。開き出した八重咲のチューリップだけ、花粉がぽとぽと落ちてくるのでちょっと離れた場所に飾ってある。花びらは開いてしまっているものの、それでも元気元気。私はなんだかほっとする。
お湯を沸かしている間に窓を開ける。ぐんと冷たい冷気が私を一気に包み込む。吐く息が真っ白だ。闇は凛々と音を立てんばかりに張り詰めてそこに在る。今朝点っている灯りは四つ。街灯の灯りとは別に白く煌々と輝いているその灯り。闇の中の目印。
お湯を大き目のカップに注ぎ、コーディアルティーを作る。今日は匂いが全く分からない。お茶に鼻を近づけてみるのだが、湯気を感じるばかりで、匂いが感じられない。そういう体調なんだろう。私は諦めてお茶を口に含む。匂いのない、味とぬくみだけが、私の口の中、体の中、広がってゆく。
我が家は暖房というものがない。エアコンもヒーターもありはするのだが、今のところ全くといっていいほど使っていない。ヒーターは去年、私が転寝して低温火傷を負ってしまったこともあり、まだ押入れの中に入ったままだ。今朝も、どうしようか一瞬悩んだものの、点けぬまま。そのせいだろう、部屋もひんやりとしているから、窓が曇ることがあまりない。そんな窓の向こう、まだ闇がたっぷりと横たわっている。

印刷し終えたポストカードを包み、急いで駅へ。友人が待っている。その友人にポストカードを手渡した後、店で用紙を買い足して再び家へ戻る。残りの数枚をプリントアウトし、今度は郵便局へ。昨日注文頂いた分を早速郵送。無事に届きますように。
切手を貼るとか、ポストに投函するというこの行為。いつも私はどきどきする。無事に届くかな、ちゃんと届くかな、そう思って。いや、今では届くことが当たり前になってはいるが、それでも人の手が為すこと、間違いがあったっておかしくはないのだ。そんなことを思ってしまうから、いつだってどきどきする。
朝友人に見せた絵葉書を、私はもう一度鞄から取り出して眺める。展覧会にいらしてくださった方がわざわざ送ってくださったのだ。丁寧に一字一字書かれた文字を目でなぞる。多分これは初日に、私が店を出るのとすれ違いにいらしてくださった方なのだろう。そんな気がする。嬉しい。本当に嬉しい。「次の写真展も楽しみにしております」。その言葉が何より嬉しい。頑張ろう、そう思う。
この葉書が私の手元に届くまで、葉書はどんな旅をしてきたのだろう。どんな人の手を介して、ここまで届いたのだろう。葉書を書いて切手を貼って投函してくれた人、これを運んで無事に届けてくれた人、そのすべてに感謝していたい。

先週の授業の復習。共依存症について。共依存症者の五つの障害を書き出していて、自分にも幾つも当てはまることがあることを改めて認識する。そしてまたそこから生じる五つの症状行動も。自分に置き換えると、かなり胸に痛い。
でもこれらが生じるにはやはり原因があるわけで。その原因をしかと理解しなければならない。そして、今と過去とをそれぞれに受け容れることだ。それが大切なんだと改めて思う。
自分の周囲を見回しても、依存症なり共依存症なりの傾向を全く持ち合わせていないという人の方が珍しい。みんなそれぞれに、どこかしらにその傾向を持ち合わせている。それとどうつきあい、それをどう克服・回復していくか、なんだろう。
次は共依存症の回復を勉強することになっている。今はそれをとても知りたいと思う。

娘が帰宅する。ママ、遊びに行ってもいい? 今日、すんごい久しぶりに遊べる友達がいるの。ん? いいよ。何時までいい? 五時までだな。ありがとう! その後勉強しなくちゃいけないよ。いい? うん、分かってる、じゃぁ行ってくる! あ、自転車で行ってもいい? いいよ。行ってらっしゃい。
自転車で行ってもいい? ―――つい先日まで、彼女は自転車で出掛けることをとても嫌がっていた。私と一緒の時は別にして、自分ひとりのときは決して自転車で出掛けようとはしなかった。
それを先日、自転車で行ってらっしゃい、と私が敢えて言ったのだ。渋々自転車で出掛けた娘だったが、もしかしたらそれがよかったのかもしれない。私は自然、笑みが浮かんできているのを感じる。骨折して以来、自ら自転車に乗ることをしなかった彼女が、こうしてまた、自分から自転車に乗ることを始めた。よかった、本当によかった。
娘が帰ってくるまでの時間、私は復習を続けることにする。何度復習したって、足りない。覚えたいこと、覚えるべきことは山のようにある。

あっという間に夕飯の時刻。娘には唐揚げと言ってしまったものの、何となく油物を作る気がしない。迷った挙句、娘が好きだといった、白菜ときくらげと豚肉のあんかけ丼にすることに決める。白菜二分の一がちょうどスーパーで九十八円で売っていた。助かった、私はそれとトイレットペーパーを買い足して、早速準備に取り掛かる。
お味噌汁は大根のお味噌汁。昆布だしで作ることにする。大根はちょっと細めに切って、火が通りやすいように。ことことことこと。料理を始めると窓がうっすら白く曇る。
白菜をよく炒め、そこにきくらげと豚肉を足して、中華味のあんかけにする。きくらげはちょっと多めに。娘がまたばくばく食べてしまうだろうから。
少し迷った挙句、もう一品、高野豆腐を。少し多めに料理することにする。
ちょうどそこへ帰ってきた娘は、音読を始める。音読といっても、それは理科の教科書。先日調べたオリオン座の神話を、至極真面目な顔をして読んでいる。それが終わると次は計算。そして最後は漢字練習。
彼女が終わったところでちょうどご飯が炊けた。さぁご飯。私たちは小さなテーブルで、はぐはぐと熱い丼を食べる。

ママ、なんでこの人泣くの? え? だってさ、この人、自業自得なんじゃないの? うーん、いや、まぁそうかもしれないけど、悲しかったんじゃないの? うーん、でも自分が悪いんでしょ、泣くのおかしいじゃん。うん、まぁ、そうなんだけど。変なの、泣くのはずるいよ。え、泣くのはずるいの? うん、そう思う。どうして? だってさぁ、自分が悪いのに泣くって、ちゃんと謝らないで逃げるのと同じでしょ。なるほどぉ。そう考えるのか、確かにそれはそれで言えるかもしれないね。絶対そうだよ。なんかそういうこと、あったの? …。誰かに泣かれちゃったとか? いや、私は泣かれてないけど、友達が泣かれた。そうなんだ。うん、自分が悪いのにその子泣いちゃって、そのせいで、こっちが悪いみたいになって、すごく嫌だったよ。そうかそうか、そんなことがあったか。うん。私は絶対ああいうときは泣かない。そかそか。

ママ、そろそろ行く時間じゃないの? あ、そうかも。バス来ちゃうよ。うん、分かった。じゃぁ行ってくる。うん、それじゃぁまた後でね。
娘の手のひらに乗っているココアの背中をこにょこにょと撫で、私は玄関を出る。のぼり始めた朝日から、陽光が斜めに長く長く伸びて、辺りを照らし出している。校庭の隅にあるプールが、きらきらと輝き始める。
バスに乗り、駅へ。そして地下道を通り駅向こうへ。川は今日も浪々と流れ。私はしばし立ち止まる。こんなふうに昨日を洗い流し常に新しく新しく生きていけたらいい。
そして私は歩き出す。今日に向かって。


遠藤みちる HOMEMAIL

My追加