2010年02月04日(木) |
プリンターがようやく止まった。横にしていた体を起こす。紙もまさにちょうど在庫ぴったりで終わった。今日買い足せば何とかなる。よかった、本当によかった。私はほっとする。自分のものだけならどうってことはないが、パートナーの分が入っている。それがプリントアウトできないのではどうしようと一晩中気にかかっていた。体中の力が抜けて、私はちょっと笑ってしまう。 ベランダの外には、夜中焼いたプリントがひらひらとぶら下がっている。急いで焼いたわりには、今のところそれなりのでき具合かもしれない、なんて、思うのだが、でもそれは多分、今気分がいいからそう見えるだけで、はたと冷静に戻ったら、あぁこれはこうすればよかった、あれはああすればよかった、と出てくるに違いない。そんなものだ。 お湯を沸かしながら、テーブルを見やる。オールドローズはだいぶ花が開いてきた。元気のないものもちらほら見られるが、それでも、ここまで咲いてくれたことに感謝しよう。紅いガーベラは元気いっぱいに花弁を広げている。その傍ら、紅色の八重咲のチューリップが、散り落ちんばかりの勢いで咲いている。まだもうちょっとはもちそうだ。もってくれますよう。私は花弁をそっと撫でてみる。 コーディアルティーを入れ、椅子に座る。ゆっくりと煙草に火をつけ、吸い込む。窓を開けると冷気が一気に私を包み込む。ずいぶん冷え込んでいる。でも、空は美しい。闇色が凛々と横たわり、それは張りつめた一本の糸のよう。地平の辺りに漂う雲が、東へ東へと流れてゆく。 携帯電話を見て驚く。友人からメールが入っていた。彼女がこうしたメールをよこすのは何かあったからかもしれない。そう思ったらたまらない思いがした。昨日そのメールに気づけなかった自分を悔やんだ。せめて明るくなるまでは、このまま待つしかない。その時間が、たまらなく遅く感じられる。
高円寺で午後を過ごす。パートナーの母様と祖母様がいらっしゃる。彼女にとてもよく似た輪郭を見つめていると、あぁこうやって血は連綿と受け継がれてゆくのだなぁということを思う。 血が受け継がれることがいたたまれないこととしてしか受け止められない時期があった。自分が父母の血を受け継いでいることが、もうどうしようもなくいけないことのように思えた時期があった。私が継いではならない、私が継ぐべきではない。そうとしか考えられない時期があった。できることならこの体を作っているもの、思考を作っているものすべて、ぶち壊して消去したかった。そうできないのなら、せめて、徹底して彼女や彼にそっくりになりたかった。でも。 それはできない相談だった。確かに私の血は父母から受け継がれたもので。でも、それはこの世に私が生まれ堕ちた瞬間からもう、私のもので。 私を形作るものすべてを消去するには、私は死ぬしかない。けれど、この世に生まれ堕ちた瞬間からもう、私に関する記憶は私以外の糸にも絡み合っていた。そのすべてを断ち切って消去することは、とてもできそうになかった。 私を消去することはできても、私に関する記憶のすべてを消去することは。できないのだ。あの人の心の中に残っている私の記憶、その人の心の中に残っている私の記憶、それらすべてをもらって受け取って消去するのでなければ、私がしょっぱなからいなかったことには、できないのだ。 そして今ではもう、私の血は娘に受け継がれ。 とてもとても、私を消去することなど、できそうに、ない。 私は苦笑する。生まれ堕ちたからには、生きるべし。死がやってくるその日まで、ただひたすら、生きる。生きることはなんて、難しいんだろう。それでも、やっぱり私は、生きるんだろう。 友人の祖母様の静かな声、母様の少し強張った声音に耳を傾けながら、そうして時間を過ごす。あっという間に日が傾き始め。友人の母様祖母様が帰られる時刻。私は深々と頭を下げる。どうもありがとうございました。その思いを込めて。彼女を産んでくれたこと、彼女をここまで育ててくれたこと、そして今もなお彼女のそばで生きていてくれること、それらすべてに感謝して。
プリント作業をしながら、改めて、プリントの可能性について考える。私が提示したプリントから、私が思ってもみなかった視点を指摘され、それは嬉しい驚きで。だから今夜娘が寝静まってから、プリンターをがたごと稼動させたまま、こうして風呂場に篭っている。 ネガは楽譜、プリントは演奏。その言葉の意味をつくづくと噛み締める。また、この言葉を思い浮かべるとき、私は、ピアノを弾いていた頃のことを強く思い出す。 気持ちを込めて弾いてちょうだい、ここはどんな気持ちがこめられていると思う? ちゃんと考えて。この旋律ではどんな色が奏でられると思う? ちゃんと自分の頭で心で考えて。 私のピアノの先生は、よくそんなことを言った。あなたは器用になんでもすぐに弾きこなしてしまうけれども、そこに深みを厚みをもたせなければだめなのよ、あなたにだからこそ奏でられる音を生み出さなければだめなのよ。そんなことをよく言われた。ただ弾きこなすだけなら誰にでもできる、だからそこに、自分ならではの色をつけるのだ、と。 今振り返ると、あの先生たちに習っておいてよかったと、つくづく思う。自分がどんなことを今表現したいのか、それをどうやって伝えるのかを、私なりに考えるようになったのは、あの先生たちとの出会いが多分に影響している。 音を奏でる、鍵盤にタッチする、その時のことを思い出しながら私は写真を焼く。私はこのネガから何を引き出したいのか、このネガを使って何を伝えたいのか。
徐々に徐々に夜が明けてゆく。染まり始めた東南の空。じきに燃え始めるんだろう。空気は相変わらず冷え込んでいる。 娘がDVDを流しながらその曲に合わせて踊り出す。彼女が歌うとスリラーという言葉が、ティラーに聴こえるのは気のせいだろうか。まぁそれくらいの違い、どうってことはない。好きにやるのが一番だ。私が彼女の横に立ち、両手を振って見せると、一言言われる。ママ、似合わないからやめた方がいい。はい、すみませんでした。失礼しました。 じゃぁね、それじゃぁね、今日はいるでしょ? あなたが帰ってくる頃にはいるようにするよ。うん、それじゃぁね。 娘に手を振って別れる。 バス停でバスを待っていると、ちょうど日が建物の隙間から顔を見せ。私は目がじんじんしてしまうのも忘れそれに見入る。 あぁまた今日が始まろうとしている。そして朝日とともにやってきたバスに私は乗り込む。 |
|