2010年02月03日(水) |
目を覚ます午前五時。今朝は腰の具合が悪くない。そう感じながら起き上がる。一番に何をしようと思っているところにテーブルの上の花たちが目に飛び込んでくる。白のオールドローズの一本が、どうもおかしい。その一本には三つの花がついているのだが、くてんと首を折ってしまっている。水切りが足りなかったんだろうか。私は急いでその枝だけ抜き取り、できるだけ奥で切ってやる。小さな一輪挿しの花瓶に生けてはみたが、さてどうだろう。復活するんだろうか。心配だ。でも他のものたちは元気。赤のガーベラも昨日の水切りがよかったらしく、瑞々しい花びらをぴんと伸ばしている。八重咲のチューリップがかなり開いてきてしまった。もしかしたらこの一両日中に花びらが落ち始めるかもしれない。そうなったらちょっと寂しいかも。 花を眺めてあれこれ思っているところに、ゴロがからりと回し車を回す。あら、起きてたの? と声をかけると、彼女は鼻をひくひくさせ、後ろ足で立ってこちらを見ている。おはようゴロ。そう言って私は手のひらを差し出す。乗ってくるかな、どうかな、と思ったら、彼女は遠慮がちに前足を、お手をするように差し出した。そうかいそうかいと私は嬉しくなって、彼女を抱き上げる。といっても、軽い軽い体、ふわりと浮かびそうな重さ。手のひらの上で彼女は体をぷるぷるさせながら、でもじっとしている。私は背中をそっと指先で撫でてやる。鼻がひっきりなしにぴくぴく動いている。 お湯を沸かし、コーディアルティーを入れてみる。ほんのり甘いハーブの味が口いっぱいに広がる。朝の一杯というのは、どうしてこうも、全身にしみわたる感じがするのだろう。お茶一杯で、体全部の細胞が、いきなり動き出すかのようだ。 カップを持ったまま、窓を開ける。昨日よりぐんと冷え込みが厳しい。雪はもうすっかり消えてしまった。何処の屋根にも何も残っていない。そのせいなんだろう、闇が一段と深くなったかのように見える。大通りを行き交う人も車もまだほとんどないこの時間。ただ冷気だけがしんしんと、辺りに張り詰めている。
三駅分を自転車で走り、石の仕入れへ出掛ける。もうこの店もじき移転してしまう。行けない場所ではないのだが、今度行くためには電車を乗り継がなければならない。今日いい出会いがあるといいのだけれども。そう思いながら店の扉を開ける。しかし、何だろう、ぴんとくるものが、ない。きれいなだけの石はたくさんあるのだけれども、こう、どうしようもなく惹かれる石が、ない。店を何往復か回り、結局何も手にすることなく出る。 このまま帰るのももったいない気がして、いつも行く美容院に立ち寄り、前髪を切ることにする。いつも担当していただいている女性の、アシスタントをしている男の子の親御さんが、私と大して年が違わないことを知って驚愕する。あぁもうそんな年齢になったのか、私は、と改めて苦笑。 店を出ると、ぐんと気温が下がっており、私は慌ててコートの襟を合わせる。自転車に乗って再び三駅分。一つ目の川を渡り、二つ目の川のところで止まると、鴎たちがちょうど首をすくめ、風に向かって集っているところで。白い白い羽がモノトーンの景色に眩いほど輝いており。その美しさは不動のもののようで。私はしばし身動きができなくなる。
帰宅するなり、ママぁ、遊びに行ってもいい? 娘が叫ぶように言う。何処に行くの? 公園でみんな遊んでるから、そこに行ってくる。わかった、でも今日は注射の日だから、途中で待ち合わせしよう。分かった。じゃぁ五時にあそこの店の前で待ち合わせね。うん。ありがとう! 行ってくる! 行ってらっしゃい。 玄関を飛び出してゆく娘の後姿を見送りながら、これが本来の姿なのだろうなと私は想像する。週に三回も四回も、塾通いをし、塾がない日はその復習で潰れ、友達と遊ぶ暇がほとんどない娘。かわいそうに、と改めて思う。でもこれも彼女が選んだひとつの道。私はだから、今はただ応援することしか、できない。 カフェオレを飲みながら娘を待つ。窓の外、日が大きく傾いてゆく。あぁじきに日が堕ちる。東の空はもうたそがれ始めている。その両方をぐるりと見回しながら、私はじっと時間を過ごす。時間が一刻一刻過ぎるたび、娘の時間がなくなっていくようで、私は身動きがとれない。砂時計の砂が一粒、また一粒落ちてゆくのを感じる。あぁできることならこれをとめてしまいたい。とめることができないならせめて、落ちる速度を遅くしてやりたい。それができないことが分かりきっていながらも、そう祈らずにはいられないのだった。 待ち合わせの五時を十分過ぎたところで、私は仕方なく電話をかける。しばらくして娘が出る。もう今公園出るところだよ。元気良く娘が応える。あ、そうなの? うん、五時って約束したから、ちゃんと守ってるよ。そっか、じゃぁ待ち合わせ場所で会おう。うん。程なく電話は切れたが、私の心の中には切ない思いが滲み出す。またこうやって遊べる日が、今度はいつ来るんだろう。 私たちは待ち合わせ場所で合流し、耳鼻科へ。娘の腕にぷすっと注射針が刺さり、それで完了。インフルエンザの二度目の接種もこれで無事終了。 家に帰り、ブロッコリーとたらこのスパゲティを作る。スープと一緒にテーブルに並べ、いただきます。娘は久しぶりに外で遊んだせいか、食べる食べる、私の分も半分取り上げて食べてしまった。食欲があるのはいいことだ。こんなふうにいっぱい食べてくれる娘がいて、私はきっと幸せだ。
ちょうど朝焼けで南東の空が燃え始めた頃、私は玄関を出る。じゃぁね、行ってきます。行ってらっしゃーい。娘に見送られ、私はそのまま階段を降りる。大通りを渡り、バス停へ。小学校の向こうに広がる空には雲が次々と流れ飛び、今まさに日が雲間から顔を出した。あたり一面にさぁっと広がる陽光。さんさんと降り注がれ、アスファルトまでが輝き出す。やってきたバスに乗り、駅へ。 駅ではもうたくさんの人が行き交い。私はその人波に逆らわぬよう歩き出す。今日は二人展の会場、高円寺へ。 混み合う電車に乗ると、伸びてくる朝日で社内は照らされ。その光の中、誰もが黙々と電車に揺られている。余所見する人は誰もいない。手元の携帯に見入る人、本を開く人、一心に眠りを貪る人、誰もが、どこかちょっと疲れている。 電車が川を渡ってゆく。川には多くの鳥たちが集い。その点々とした姿が私の目の中流れてゆく。 もうじき駅だ。さぁ気合を入れて、次へ行くか。私はそうしてホームに降り立つ。 |
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