2010年03月30日(火) |
目を覚ますと、がり、がりがり、という音が聴こえる。誰の音だろうと籠に近寄れば、ココアが籠の入り口に齧りついているところ。おはようココア。私は声を掛ける。するとココアは気づいたらしく、ぱっと顔を上げ、私を見つめる。くりくりとした濡れた黒い瞳がなんともいえずかわいらしい。私がその鼻先をちょんちょんと指で触れると、小さな両手で私の指を挟みこむ。あぁそういえば昔々、娘がまだ赤子だった頃、こんな光景があったなぁと思い出す。眠りから覚めたばかりの彼女の鼻をちょんちょんとやると、こうして小さな手を差し出してくるのだった。なんだかとても懐かしい。ひとしきりそうして遊んだ後、私は窓に近寄る。ぐんぐんと冷えてゆく気温。窓の内側にいるのにそれが分かる。私が窓を開けると、ぐわんと冷気が私を包み込む。あぁ今朝もこんなに冷えているのかと、私は粟立つ両腕をさすりながらベランダに出る。午前五時だというのにもうずいぶんと明るい。私は南東の空を見上げる。雲ひとつない空がそこに在った。 足元のプランター、イフェイオンが勢い良く次々咲いている。そういえば公園の桜も次々咲いてきていたっけ、と思い出す。薄い桃色の、あたたかな色だった。儚げな、それでいて生気溢れる色だった。この天気なら、今日また一層花は開いてゆくんだろう。 イフェイオンの隣で、ムスカリはもうそろそろ終わりかかっている。ずいぶん頑張って咲いてくれたと思う。咲き始めのあの小さな花は、ひとまわり、ふたまわりは大きくなった。今、円錐形の下の方が、だいぶ形が崩れてきている。それでも色は健在だ。紫と青とをちょうどよく混ぜた色。 振り返れば、マリリン・モンローとベビー・ロマンティカが新芽をわさわさ茂らせている。マリリン・モンローの新芽が赤い縁をともなった暗緑色なら、ベビー・ロマンティカのそれはまさに萌黄色。やわらかいやわらかい萌黄色。同じ薔薇でもこんなに違う。そしてその横で、病気のミミエデンが、ひっそりと立っている。次々新芽を摘まなければならないから、まだまだ裸の状態だ。かわいそうに。でも、取らないわけには、いかない。 パスカリも向こうの鉢の中、ずいぶん葉を出してきた。小さな茂みを頭に載せたかのような形になっている。ちょっと不恰好。まぁそんなことはどうってことはない。格好なんて、どうだっていいのだ。生きていてくれれば。 すっかり冷えた体を部屋の中に運ぶ。ぶるぶると勝手に体が震えるのがなんだかおかしくて笑ってしまう。そのまま洗面台に行き、顔を洗う。冷たいはずの水がほんのりあたたかく感じられるほど。鏡を覗くと、まぁまぁだなというような顔がそこに在る。横になるのは遅かったが、すとんと眠りに入れたおかげかもしれない。私はそのまま目を閉じ、体の内側に意識を向ける。おはよう穴ぼこさん、と言いかけて、はっとした。穴ぼこが眠っているのだ。今まで、眠っているような、という感じはあったが、そうじゃない、今朝はちゃんと眠っていることがこちらに伝わってくる。びっくりした。驚いて、挨拶をすることも一瞬忘れた。忍び足で穴ぼこに近づいて、穴の中を覗いてみる。ブラックホールのようなその穴ぼこさ加減は変わらないけれども、でも、その穴ぼこはちゃんと今、眠っているのだった。私はじゃぁまた来るね、と挨拶をして、再び忍び足でその場を立ち去る。 そのまま体の中を探索する。右胸と肩の、つなぎ辺りの部分でちょっと立ち止まる。何となく違和感を覚える。しこり、が在るわけではない。ただ、もやもやっと、いつもと違う何かがそこに在る、という感じ。私はしばらく耳を澄まして、目を澄まして、みる。もやもやという違和感はやはり、小さいながらそこに在る。おはようもやもやさん、と私は挨拶をしてみる。もやもやは一瞬びくんとなり、それからこちらを見やる。なんでそこにあなたがいるの、といった感じ。私はだから、もう一度挨拶してみる。 もやもやは、なんというかこう、サミシイというような何かを醸し出していた。寂しいでも淋しいでもない、それは「サミシイ」だった。私が何かをおざなりにしてきたのだろうか。そんなつもりはなかったのだが、私が気づいてないもの、或いは見て見ぬふりをしてきたものがあるんだろうか。私はちょっと首を傾げる。でも、そこに「サミシイ」というもやもやが在ることは間違いがないのだ。 ねぇあなたは私に何か言いたいことはない? 尋ねてみる。何も返事は返ってこない。もう諦めているといったふうな目つきがそこに在った。誰に言っても何も伝わらないのだ、というような、そんな諦めだ。どうしてあなたはそんな目をしてるんだろうか、それは私が今まであなたのことに気づけなかったからなの? 私は重ねて尋ねてみる。返事はない。私は彼女にもう諦めさせてしまったんだろうか。そんなにも私は彼女を放っておいたんだろうか。なんだかすさまじい罪悪感が浮かんでくる。ごめんね、私は言ってみる。そうだとしたらごめんね。放っておいてごめんね。伝わるかどうか分からないけれども、私はそう言ってみる。そうして、しばらくそこに居続けたが、サミシイはとうとう何も話してはくれなかった。私は、また来るね、と挨拶して、その場を離れる。 目を開けると、蛍光灯が眩しい。でも私の目の中に、あの「サミシイ」が残っていた。 テーブルの上、まだ咲いていてくれる白薔薇を水切りする。花は今まさに咲ききったというところで。内側に残る芯がすっかり見て取れる。それでもまだ、花は瑞々しく。それを眺めていると、嬉しくなる。 お湯を沸かし、生姜茶を入れる。さぁ朝の一仕事が待っている。
「私たちを音楽に、美に執着させるものは感覚への欲望です。外部の方式や形態への依存は、たんに私たち自身の存在の空虚さを示すだけです。それ〔=自分の生活〕を私たちは音楽や芸術、意図的な沈黙で満たします。げんにあるものへの、あるがままの自分への終わることのない恐怖が存在するのは、この変わることのない空虚さのためです。感覚〔の喜び〕は始まりと終わりをもっています。それは繰り返し、拡大することができます。しかし刻々の体験experiencingは、時間の限界の内側にはありません。大事なのは体験することです。それは感覚の追求の中では否定されてしまいます。感覚は限定されており、個人的なものです。それらは葛藤とみじめさをつくり出します。しかし生きた体験は、それは経験〔記憶の中のそれ〕の反復とは全くちがったものですが、継続性をもちません。瞬間毎の体験の中にだけ、新しいものが、変容があるのです」 「大切なのは快感を理解することです。それを取り除くことではなくて―――それはあまりに愚かなことです。誰も快感を取り除くことはできません。しかし、快感の性質と構造を理解することは不可欠です。なぜなら、もしも生が快楽なら、そしてそれが私たちの求めるものなら、そのときには快楽と共にみじめさが、混乱が、幻想と、私たちが創り出した偽りの価値観がやってきて、そこには明澄さ〔明晰さ〕というものはなくなるからです」「ご存じのように、二種類の空虚さがあります。一つは、精神が自らを見て「私は空虚だ」と言うときのそれです。そしてそれが本当の空虚さです。もう一つは、私がその空虚さを、寂しさ、孤立感を、完全に他のすべてから切り離されているという感覚を好まないがゆえに、満たしたいと思うときの空虚さです。私たちはめいめいそうした感覚を、表面的、一時的であれ、または非常に強いものとしてであれ、もったことがあるにちがいありません。そしてその感情に気づくと、人は明らかに逃げ出します」「だから、人はまずこの尽きることのないさびしさの感覚、自らを空虚なものと見る精神によってつくり出されるこの空虚さがあるところに、満たしたい、それを覆い隠してくれる何かを獲得したいという衝動、つよい衝迫もまたあるのだということを見出すことから始めるのです」
友人が描いてくれた家族の絵。父親は上半身しかなく、ぼんやりと端の方に浮かんでいる。反対側の端の方に彼女が俯いてしゃがみこみ、その後ろには弟が仁王立ちになっている。彼女と弟の周りには薄いカプセルのような膜が張っており。その膜の外側を、びゅんびゅんと母親の顔が飛び回っている。その顔は怒りに任せて大きくなったり伸びたりする。飛び回りながらたまにカプセルの内側に手を伸ばし、彼女を傷つける。その手は爪が伸び、その爪にはマニキュアが塗られ。そういう手が彼女をひたすら傷つける。だから彼女はどんどん俯いて小さくなってゆく。それを弟が必死に守ろうとしている。 それともう一つ、彼女が今の、そしてこれから在りたい家族を描いてくれた。恋人と恋人のお子さんとが並んで立っており。娘さんと彼女とは手を繋いでいる。その手は力が込められたりもすれば、時折弱くなったりもするが、それでも結ばれている。そしてその向こうに立つ恋人の手は、結ばれたり結ばれなかったりすることがあるという。それでも、つながっている感じはちゃんとあるのだという。絵を描いていて彼女が自ら気づいたのは、自己評価の低さだった。お子さんと恋人とは同じ大きさで同じ高さに描かれているのに、彼女はとても低い位置に描かれている。それを見て彼女が、私は自己評価を上げていくことが目標のひとつなのかもしれないと言う。私はそういった彼女の話にただ耳を傾ける。 再び最初の絵に戻った彼女が、このお母さんの怒った顔の亡霊を、そろそろ箱に閉じ込めてしまいたいと言う。もうそれは過去のものなのだと、閉じ込めて、大丈夫になりたいのだ、と。そして弟は弟で、弟の家族の絆を育んでいってほしい、私はもうその輪に割って入ったりしないようにしたい、とも。 あんなにふらふらだった彼女が今、懸命に、家族というものを新しく築いていこうとしていることが、痛いほど分かった。私はただそれに、耳を傾けていた。
バスに飛び乗り、駅へ。そこから地下道を潜り、海と川とがつながる場所へ。晴れ渡る朝だからなのだろうか、写真を撮る人が何人か橋に立ってカメラを構えている。川に今朝海鳥たちは一羽もいない。ただ、遠くの風車がここからでも分かるほど、くっきりと浮かび上がっている。水色の絵の具をしゃっと白い画用紙にひろげたなら、こんな色になるんだろう。それにしても空気が冷たい。 さぁ今日も一日が始まる。私は鞄とカメラを背負い直し、さらにまた足を進める。 |
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