2010年03月29日(月) |
ココアの回し車の音で目を覚ます。からら、から、からら。軽やかにその音が響いてくる。おはようココア。私は声を掛ける。掛けるとすぐ、彼女は籠の入り口に張り付いてきた。そして入り口のところをがりがりと齧る。娘が留守にしているから、遊んでくれる人がいなくて寂しいのかもしれない。私は手のひらに彼女を乗せてやる。乗せてやるときココアはいつも、挨拶のような仕草をする。ちょこねんと頭を下げるのだ。下げて、どうしようかといった風情でこちらを見上げる。だから私はお尻を軽く押して、手のひらに乗せてやる。ココアは手のひらの上、ぴくぴくと手足を動かす。お尻がそれに合わせてぷりぷり動くのが何ともかわいらしい。 窓に近づいて、体温がぐんと奪われるのを感じる。窓を開けると、ぐんと冷気が部屋の中に滑り込む。唖然とする。こんなに寒くなっていたのか、今朝は。しかも雨まで降っている。小ぶりだけれども降っている。私は空に向かって手を伸ばす。ぽつ、ぽつ、と落ちてくる雨粒。まだアスファルトに雨の痕がないということは、降りだしたばかりということだろうか。でも、この雨が昨日じゃぁなくて、本当によかった。つくづく思う。 部屋に戻ると、友人の規則正しい寝息が聴こえる。疲れたのだろう、微動だにせず夕方からずっと眠っている。私は彼女を起こさぬようにしながら、顔を洗う。鏡の中、自分の顔を覗くと、ちょっと疲れているような顔。でも、さほどではない、と思う。思いながら目を閉じ、自分の体の内奥に耳を傾けてみる。胃の辺りの穴ぼこは、今朝はまるで眠っているかのようで。黙って耳を澄ましていると、まるで彼女の鼓動が聴こえてくるようで。どくん、どくん、どくん。そんな音が、する。起こしては悪いかもしれないと、私はじゃぁまたねと挨拶だけして、その場を去る。そうしてさらに辿ってゆくと、肩と首がつながる辺りからこめかみにかけて鈍い痛みがあるのに気づく。まるでそこに横たわっているかのような、そんな鈍い痛み。だるい痛み。おはよう。私は挨拶してみる。ぼそぼそと喋る声がするのでさらに耳を傾けてみる。すると、仕方ないのよ、仕方ないのよ、と呟いているようで。何が仕方ないの、と尋ねてみる。悪気があってここに在るわけじゃないんだけど、仕方ないのよ、と言う。そうなのね、そういうつもりでここに在るわけじゃないのね、と私は伝え返す。試しに聴いてみる。昨日ちょっと頑張りすぎたのかしら、と。すると、そうじゃなくて、私たちはここに在るように言われて、それで在るのよ。と。なるほど、誰かに頼まれて、あなたたちはここに在る、ということね、と言うと、そうそう、と返事が返ってくる。それを頼んだ人を教えてくれる? と尋ねると、それはちょっと、と口ごもる。じゃぁ言わなくてもいいわ、と返事する。ただその人に伝えておいてほしいのだけれども、できれば私はあなたと話がしたいわ、と、そう伝えておいてくれる? と頼む。返事はなくなる。私もだから、じっと黙って、ただその痛みに寄り添っていることにする。しばらくそうして、じゃぁまた来るね、と挨拶し、私は目を開ける。 食卓のテーブルの上、白薔薇がふわりと咲いている。もうずいぶんと開いてきた。今、芯の方が見え出したところだ。私は鼻を近づけてみる。涼やかな香りがふわんと私の鼻をくすぐる。香りが分かるということに、私は感謝をする。 お湯を沸かし、ハーブティを入れる。オレンジスパイスというブレンドのハーブティーだ。友人から貰ったもの。初めて飲むのだが、これが結構おいしい。爽やかなオレンジの味の後ろ側に、スパイスの味がちょこちょこと在る、というような感じで、なんともいえず気持ちがいい。その紅茶のマグカップを持って椅子に座る。友人が起きる前に朝の仕事を済ませてしまいたい。私は早速仕事に取り掛かる。
土曜日夕方。友人と待ち合わせて新幹線に乗る。混み合う新幹線、今多分、京都から友人もこちらに向かっているはずだ。そしてもうひとりの友人は、同じこの新幹線の中に乗っているはず。 浜松で合流し、とりあえず夕飯をということでファミリーレストランへ向かう。めいめい注文し、わいわいがやがや夕食をとる。 午前二時、店がしまるのを契機に、私たちはタクシーに乗る。タクシーで向かった先は、真っ暗な、まさに真っ暗な場所で。 街灯など一つもないところを、ただ歩く。道しるべも何もない。ただ私たちは、勘で歩いていく。きっとこっちが海の方向のはず、と。 砂に足を取られ、体が斜めになったりもする。私たちは歩きながら、落ちている木切れを集めている。 ようやく海辺にたどり着き、私たちはまず小さな穴を掘る。そこに持ってきた新聞紙で火をつけ、集めてきた木切れを立てかけて、そう、焚き火だ。ぶわっと点いた火が、やっと暗闇の中、めいめいの顔を照らし出す。 真っ暗。闇というのはこんなにも深いものだったのか、と、改めて思う。私たちの普段の生活が、どれほど灯りに満ち満ちているものなのかを痛感する。焚き火を囲みながら、空を見上げれば、紺よりもずっと濃い、でも黒ではない色がそこに広がっている。そう、黒ではないのだ、どんなに闇が深くても、それは黒ではなかった。今改めて思う。 月もぼんやりと雲の向こう、やがてその雲が厚くなり、すっかり月の姿は消えた。在るのは唯一この焚き火の火の灯りと、そして私たち。 打ち寄せる波飛沫が白く闇の中浮かび上がる。どどう、どどう、と音が響いてくる。私たちが沈黙すると、波の音はひときわ高くなり、そうして私たちを呑み込んでゆく。 喋り続けている人もあれば、黙ってそれに耳を傾けている人もいる。たった四人でも、私たちは多分、その場所で何かを共有していた。 薪が足りなくなれば、誰かしらが探しに行き、集めて戻ってくる。そしてまた新しい木切れをくべて、暖をとる。砂に吸い込まれてゆく体温、奪われてゆく体温を、そうして私たちは守っていた。 沖の方にちらほらと漁船の灯り。あぁもうじき朝になるのだ、と、その揺れる明かりが知らせてくれる。 残念ながら朝日を浴びることは叶わなかった。でも。 突然目の前に現れる水平線。真っ直ぐに、視界全部真っ直ぐに伸びる水平線。それがいつだったのか、正確にはわからない。気づいたら水平線がそこに、在った。水平線が現れた途端、波の模様もくっきりと私たちの目の前に現れた。いつもより穏やかな波だ。風もそういえばいつもより強くはない。 ただひたすら火を守り、私たちは丸くなって、朝を待った。光が現れるのを待った。火はただ轟々と風に煽られながら、それでも私たちを守っていた。 砂の上に描かれる砂紋や、僅かに生える草の姿たちがだんだんと露になってゆく。海岸はずいぶんこの数年で変化した。今回来て思ったのは、とにかく石の姿が多いこと。ごろごろと砂浜に転がっている。これじゃぁ裸足で走るわけにはいかない。じゃぁどうするか。私たちは着替えて、丘に上がった。丘に上がると一気に、視界が開けた。目の前に開ける砂の姿たち。これでもかというほどひたすら砂が広がっている。そして私たちは、撮影を開始する。 砂の上、歩き、走り、止まり。ただひたすら思うままに、私たちは動いた。やわらかい砂にずぼっと足を取られ、身動きがままならなくなることがあるかと思えば、砂の温度がやわらかく足の裏を撫でてくることもあった。そうしてただ砂を感じ、風を感じ、海を感じていた。 海の中はやはり、あたたかかった。海の表面は冷たいけれど、内側はいつだって、こう、あたたかいのだ。石に足をとられながらそれでも、私たちは海に触れた。その瞬間だった。振り向いた空にぱっくり、穴が開いた。 いまだ、と、私たちは走り出し、再び丘に上がった。糸状に広がる雲と空とをバックに、私たちはただそこに立った。そして、それをひたすらフィルムに刻んだ。 どのくらい時間が経ったのだろう。そうして私たちは再び、焚き火の場所に戻ってくる。足は気づけば、紅くなり、かじかんでいた。でも何だろう、動き回った後の、充実感のようなものが私たちにはあった。同時に、もっと動いていたいような気持ちもあった。 闇はもう消え、そこには朝があった。そうして私たちは朝を、深く吸い込んだ。
帰りの電車の中、二人ずつに分かれて座る。眠る人、起きて話している人、それぞれに思い思いの時間を過ごす。 あの焚き火はもう、記憶の中だ。轟々と音を立てて燃える火は、結局いっときも絶えることなく、私たちを守ってくれた。大きさにしてみれば小さな火だったかもしれない。でも、それは私たちを守ってくれる、大切な大切な火であった。 友人のひとりが、自分の歪さについて話をしてくれる。私はそれに耳を傾ける。鏡になって娘たちに思いを返してやりたいが、でも自分は歪だ、と。ふと気づく。友人の心に在るのは、完璧な「鏡」なのではなかろうか、と。 鏡も使い込めば、その分だけ四隅が欠けてゆく。鏡としての機能を果たさなくなる。それでも私たちは、鏡の、鏡として使える部分を磨いて、自分を映し込み、身づくろいするのだ。水鏡だって、風が吹けばただそれだけで崩れる。完璧な「鏡」なんて、実は、何処にもないんじゃないか。歪だろうと何だろうと、実はそんなこと、たいした問題にならないんじゃないか。そのことを、思い浮かぶ言葉でもって友人に伝える。そこに在ることが何より、大切なことなんじゃなかろうか、と。
一日半という時間を私たちは共有し、それぞれ帰路に着く。今それぞれの胸のうちには、どんな思いが去来しているのだろう。またの再会を約束して別れた。その余韻を私は、胸の中で転がしている。
イフェイオンが寒そうに、それでも咲いているベランダへ再び出てみる。三本ほど切って一輪挿しに飾ってみる。それだけで部屋がぐんと、明るくなった。 バスに乗り、駅へ。そこから電車に乗り換える。橋を渡る電車の中から、川をじっと見つめる。黒褐色の川面が、そこに在った。静かに静かに流れ続ける川。 さぁ、今日もまた一日が、始まろうとしている。 |
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