見つめる日々

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2010年05月16日(日) 
窓を開ける。少し冷たい空気が広がっている。うっすらと雲のかかった空。あぁ今日は曇りなのだなと納得する。そういえば昨日の天気は、と思い出そうとしてすぐ思い出せない自分がいた。忘れているらしい。でもこの、忘れるという術、ないより在った方がずっと、楽に生きることができる。確かに仕事の技術などは忘れたら困るのだが、そうでないことは適度に忘れるのがいい。忘れて、その都度その都度新しく体験する方が、ずっと楽だし楽しい。そういえば、忘れるという術を失っていた時期が、自分には在った。それは私が殆ど眠りから離れていた時期とも重なる。一日が一日でなく、昨日も今日も明日も繋がっている、そんな毎日だった。延々と連なる時間の、あらゆることを記憶していた。細かな、どうでもいいことまで逐一私の脳は記憶し、ちくちくと私を刺した。そのせいで幾つのものたちを失ってきただろう。私が忘れるという術をもたなかったために、どれほどの多くのものを失ったろう。今思い返すとそれは、怖いくらいだ。だから、眠れるようになって、適度にものを忘れるようになって、私は、生きることが本当に楽になった。重石がひとつ、とれたような、そんな気さえする。
街路樹の緑は、揺れることもなくしんしんとそこに在る。仄かな光に照らされた明るい緑色。もう萌黄色ではない。風に晒され、日に晒され、時間に晒されていくうちに、萌黄色は頑丈な色合いへと変化していく。若葉はもう若葉ではなく、肉厚の、たっぷりとした葉になってゆく。
私はしゃがみこんで、ミミエデンを見やる。小さな小さな挿し木から、萌え出てきた葉。ベビーロマンティカよりずっと濃い目の緑色の葉。ミミエデンのこんな葉を、私はとても久しぶりに見る気がする。
ベビーロマンティカの蕾たち。先っちょが僅かに綻び出した。今樹に残っているのは三つの蕾。昨日二つを切り花にした。今テーブルに飾ってある。小さな花なのに、その存在感は大きい。ぽっくりと丸い花。
マリリン・モンローの蕾は、綻び出してはいるものの、そこからちっとも動こうとしない。いや、私の目に分からない程度には、日々動いているのだと思うのだが。でも、何だろう、ちょっと疲れ気味なんじゃぁなかろうかと思う。もう蕾を湛え始めてどのくらい経つか。かなり長い時間が経っているはずだ。その間、この蕾を保つために、この蕾を開かせるために、きっと樹の中では必死にエネルギーをかき集めているに違いない。もうちょっとだよ、もうちょっとで花が咲くよ、頑張れ。私は心の中、マリリン・モンローに声を掛ける。
ホワイトクリスマスは相変わらずしんしんとそこに在る。あまりにしんしんとしていて、その存在はもう、そこになくてはならない、そんな代物になっている。変化せずとも、ただそこに在り続けるべき、そんな存在。
パスカリたちは、まるで今、これからどうしようか考えあぐねているような気配がする。新芽を出そうか、どうしようか、と考えているような。出す葉出す葉、すべてが病葉で、きっとパスカリも困っているに違いない。もういい加減新しい元気な葉を出したいと思っているに違いない。でも大丈夫、あなたがいくら病葉を出してきても、私は諦めることはないから。だから安心して、次の芽を出すといいよ。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かす樹。蕾は刻々と大きくなっていっており。それはやはり、白く粉を噴いており。だから私は今朝もその粉をそっと、指先で拭う。病に冒されていようと何だろうと、もうここまで来たのだから、咲いて欲しい。そう思うから。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。デージーの芽は、もうあっちこっちから萌え出ており。でもそれはとても小さくて。だからちょっとプランターから離れたところから見ると、まるで土の模様のようにさえ見える。それほど小さい。でも。確かにこれは生命なのだ。生きているのだ。これを見ていると、娘が私の子宮に宿ったときのことを思い出す。まさにそれは点だった。小さな小さな、これっぽっちの点で。機械で目の前に映し出されても、最初それが何だか分からないほどで。あの時私は、何をどう捉えていいのか、心底惑ったのを覚えている。それがいつの間にか目や口や鼻や、骨が見えるようになって。あれよあれよという間にヒトの形になってゆき。一体何が自分の体の中で起こっているのかと、戸惑う毎日だった。先日棚を整理していたら、突然、妊娠当時の日記が出てきた。もう色褪せたコピー写真が、そこにはいちいち貼ってあり。前置胎盤だった折のもの、切迫流産で入院した折のもの、微弱陣痛に悩まされていた頃のもの、様々な記録を改めて見、ちょっと笑った。もう一冊は、娘が生まれた当初の日記で。夜泣きする娘を抱っこしながら記したらしい、蚯蚓のような字の頁もあった。ふと思う。デージーに今、親はいない。ひとりで芽を出し、根付き、そうして成長し花を咲かせようとしている。その心細さはいかほどだろう。いや、それとも、エネルギーに溢れているのだろうか。もうここにはいない親が残した栄養を食べて、今必死に、次の芽を出そうとしている。そう思うと、いとおしさも倍増する。育て、育て。そうしていつか花を咲かせ、種をつけておくれ。祈るように思う。
ラヴェンダーの一本はまだ、しんなりと葉を垂らしており。心配は募る。このまま駄目になってしまったりしないだろうか。気がかりだ。でも、今できることは何もない。ただ祈るのみ。
もう一方のラヴェンダーは、根元から新たな芽を出しており。これで三つ目。そしてその新しい芽はぴんと立って、空を向いており。元気に育てよ、このまま。私は指でそっとその芽を撫でる。
昨日父から、怒りに任せた電話が朝入った。とんでもない怒鳴り声が、がんがんと受話器で鳴り響いた。何故この人はこんなにも怒りを爆発させているのだろう。私はそう思いながら、受話器を握っていた。そして思ったのは、今はただ彼が爆発させている怒りに付き合うしかない、ということだった。だから、うんうん、と相槌をうちながら、ただひたすら、私は耳を傾けた。
以前なら、こうはいかなかったな、と思う。以前の私なら、その怒鳴り声に慄いて、抗って、泣くか喚くかしていた。父の声をどうにか遮ろうと、電話を放り投げていたかもしれない。でも何故だろう、そうしなくても、もう大丈夫な気がした。
ちゃんと話を聴けば、いつか話は終わるし、父のこの怒りも行き場を見つけるだろう。そんな気がしたのだ。今とんでもなく怒鳴り散らしているけれど、さんざん怒鳴り散らせば、必ず終わりは来るし、父自身がはたと気づくに違いない。そう思えた。
父の怒鳴り声に耳を傾けながら、今、自分にできることは何だろう、と考えている自分がいた。それは、今までの私には、見られない感覚だった。
怒鳴るだけ怒鳴って、一方的に言いたいことを言った父は、ようやく気が済んだのか、自分から電話を切った。ここでも、何故だろう、あまりいやな気持ちはしなかった。気が済んだならよかった、とさえ思った。切れた電話をしばらく眺め、私は受話器を置き、煙草を一本吸った。
もちろん、いつもこういうわけにはいかないんだろう。私が切羽詰っている時だったら、こうはいかないだろう。でも、少しでも余裕があれば。前のようにぶつかりあってしまわずとも、やっていけるんだ、と、その時思った。ぶつかりあって、傷つけあって、罵り合って。それは、とても疲れる。それがなくても接していられるのなら、それに越したことはない。
夜、まるでその電話をフォローするかのように、母から電話が来た。朝、父さん怒鳴ってたでしょ、と母が言う。うん、怒鳴ってたね。年取って、余計に固くなってるのよ、父さんは、もうこれは治らないから。年取ればとるほどこうなっていくと思うから。母が言う。うん、分かった。私も頷く。
もしかしたらこういうやりとりは、世間では、当たり前に為されていることなのかもしれない。でも、我が家では、遠いものだった。いつだってぶつかりあって傷つけあって罵り合って、そうやって相手を滅茶苦茶にしなければ終わりが来なかった。そういった以前のことを思うと、今の変化は私には大きくて。逆にちょっと、ついていけない。何でこんなふうになっているんだろうと、不思議にさえなる。でも。
父母が死んでしまう前に、そうなることができてよかった。と、そう思う。
人と人との関係は、本当に不思議なものだ。緒を切ってしまわなければ、いかようにも変化していく。変化する可能性が、必ずどこかに残ってる。
あぁだから、緒を切ることはこんなにも哀しいのだ。そのことを、改めて思う。

娘に電話をすると、娘がじじばばに聴こえないように小さな声で私に話してくる。ママ、明日のテストね、私自信あるんだ。そうなんだ。うん、社会はね、満点狙ってるの。へぇ、頑張んなよ。他もね、それぞれ点数これ以上はとるって決めてるんだ。そかそか。まぁ凡ミスしないように、それだけ気をつければいいよ。うん、頑張る!
娘が勉強に熱心になるほど、私はどこか、傍観者になってしまうところがあるらしい。なんというか、無理するなよ、と思うのだ。別に勉強ができなくても、基本さえ抑えておけば、生きていくことはできる。生きていけさえすれば、いろんなものがおのずと開けてゆく。だから、勉強ばっかりしていい点とろうなんて必死にならなくていいんだよ、と思ってしまう。
あの子が頑張ろうとするのを、私は、ただ見守るしかできない、と思う。彼女が助けて欲しいときに手は差し伸べたい。でも、基本は後ろで、見守っていたい。そう思う。
娘よ、本当に好きなことを、やりたいことを見つけることができれば、母はそれでいいと思う。そして多少のことを蔑ろにしても、そのことに向かって突き進んでゆけばいいと思う。挫けても挫けても、自分が信じるように生きていけばいいと、母は思う。母はそれをずっと見守っているから。

久しぶりに朝シャワーを浴びて、髪を洗い、外に出る。空を見上げれば曇天。朝よりも濃い雲が空全体に広がっている。
自転車で坂道を走り下り、ちょうど青になっていた信号を一気に渡る。見えてきた公園の緑は色濃く翳っており。大きな大きな森がそこに在るかのような、そんな色濃さ。立ち寄った池はしんと静まり返っており。誰もいない。猫さえもいない。微動だにしない池の水面に見入れば、髪を後ろに結わいた自分の姿がくっきりと映る。悪戯に、指で水面を弾いてみる。ふわわんと広がる波紋。幾重にも重なって生まれ、そしてやがて消えてゆく。
大通りを渡り、高架下を潜り、埋立地へ。風は微風で、だから街路樹の銀杏の葉も今朝は静まり返っている。ずいぶんと大きくなってきたその葉を見上げつつ、私は走る。
イヤホンからは、ちょうど大好きな曲、Raise your voicesが流れ始める。
さぁ、今日も一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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