見つめる日々

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2010年05月17日(月) 
起き上がり窓を開ける。ひんやりとした空気が私を包み込む。空全体に、薄い薄い雲が広がっている。明るい陽射しがぼんやりと、街を覆っている。街路樹の緑は、そよそよよと風に揺れ、時折裏側の白緑色を見せている。世界全体がどこか、白っぽい。
しゃがみこんでミミエデンを見やる。新芽は間違いなくそこに在り。私はそっと指先でその葉を撫でる。ちゃんと生きている。そのことが指先から確かに伝わってくる。もうそれだけで、私は十分に嬉しい。
ベビーロマンティカは、次の蕾も徐々に綻んできており。もうじき開くんだろう。ぽっくり、ぽっくりと。先日切り花にした折、ついでに枝も少し長めに切って、それを挿し木にした。今小さなプランターの中、他の挿し木の枝と一緒に並んで植わっている。どちらかだけでも無事に根付くといいのだけれども。
マリリン・モンローの蕾は、昨日からぐんと大きく綻んでいる。あと少し、あと少し、だ。それにしても花の色が冬に見たものよりずっと濃い。肥料をたくさんあげたわけでも何でもないはずなのだが。何かが違ったんだろう。でも何が違ったんだろう。自分では分からない。
そういえば母の庭の中央に、真紅の薔薇が咲いていた。真っ直ぐに立った樹の、一番てっぺんに、凛々と咲いていたっけ。今でも鮮やかに思い浮かべることができるほど、それは鮮やかだった。ふと思う。母の庭の薔薇の樹は縦に伸びる。私のプランターの中の薔薇の樹は横に枝葉を広げる。この違いは、プランターか地べたか、という違いなんだろうか。ちょっと不思議。
ホワイトクリスマスは今日もしんしんとそこに在り。その存在感は相変わらず大きくて。私はその葉を指で弾いてみる。ぱつんっと揺れて、また元の位置に戻ってくる枝葉。大丈夫、この樹もちゃんと生きている。
パスカリたちの様子がやっぱりちょっと変だと思ったのは昨日。そうして葉の裏を丹念に見てゆくと、細かな粉がついており。これはおかしい、ということで、本当に久しぶりに農薬を撒いた。パスカリ二本と、桃色のぼんぼりのような花をさかせる樹と、その他二本。名前を忘れてしまった。どんな色の花が咲くのか、正直今すぐ思い出せない。あっちこっち枯れたり挿し木して増やしたりしているから、もうどれがどれだか、私が把握していない。全く情けない育て主。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。昨日よりはなんだか元気そうに見えるラヴェンダー。少し葉っぱがぴんとしてきた。これならいけるかもしれない。私は急に元気付けられる。このまま無事にいってほしい。祈るように思う。
そしてデージーは。早いものはもう本葉を出しており。よかった、順調に成長している。小さな小さな、本当に小さな葉だから、凝視しないと見逃してしまうけれど、それでも彼らは日に日に成長しているのだ。この命のしぶとさ。素晴らしいと思う。おなかにいた娘も、そういえばしぶとかった。おなかに芽吹いたことが分かって一週間後、出血し、切迫流産ということで即入院した。調べれば、前置胎盤で、このままでは妊娠を継続することは不可能かもしれないとも言われた。ひたすらベッドの上じっとして過ごす毎日。トイレに行くのにも許可が必要だった。中絶を周囲からこれでもかというほど勧められたのもこの時期だった。なのに、娘は、子宮口にかかっていてこれ以上成長したらもう諦めてくれといわれていた胎盤を、少しずつ逆方向に成長させていった。あれは一体何故だったんだろう。今でも不思議に思う。あれは私の力じゃぁなかった。間違いなく、生命の力だった。そうやって妊娠期間中の殆どを、絶対安静で私は過ごすことになったけれど、それでも、娘は必死に私の内にしがみついて、離れなかった。絶対に生まれてくるんだという意志が、まるでそこに在るかのようだった。その意志に突き動かされるようにして、私は毎日を必死に乗り越えた。そうして今、私と娘がこうしてここに在る。
ふと思い出す。そういえば、夫は逃げたのだった、と。そのことを思い出して、私は自然苦笑する。子供ができたことが分かり、それを最初拒絶して、夫が逃げ出してしまった時期があった。だから母子手帳には、私の名前しか記されていない。その手帳を見た助産婦に、何度叱られたか知れない。お父さんがいなくちゃかわいそうでしょ、ちゃんと名前が書けるように何とかしなさい、と。そう叱られた。そのたび、帰り道、私はひとり唇を噛み締め、涙した。でも何だろう、あの時私は覚悟ができたのだ。この子は私の子であって、他の誰の子でもない。だから私が育てていくのだ、と。そういう覚悟が、その時もうすでに、在った。まぁ結局、それが現実になった、ということか。
本葉を出した子らに向かって、私は声を掛ける。おまえたちの親はもうこの世にはいないけれど、でも、間違いなくおまえたちの体の中にはちゃんと在る。ちゃんと生きてる。だから、自信をもって、芽吹いておいで。待っているから。
校庭を見やると、幾重にも重なる足跡。昨日は野球チームの練習があった。その足跡たちだ。洗濯物をしながら耳を澄ますと、子供らの歓声が響いていたのを思い出す。回れ回れ、そこだ、いけー!と、何人もの子供の声が響いたと思うと、今度は監督らしき人の声で、しっかりやれ!と叱咤の声が響くのだった。
部屋に戻り、水槽のそばに立つ。それだけで、金魚は角のところに集まってきて、餌をくれ、餌をくれ、といったような泳ぎ方をする。でも私が餌をやると、すぐには食べず。しばらく水の中を漂って、それから、ようやく餌に食いつく。その時間差が、なんともいえない。
ふと見ると、ゴロが起きてきている。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロは後ろ足で立って、前足をちょこんと出してこちらを見ている。私は餌箱に残っていたひまわりの種を摘んで、彼女に渡す。彼女は口で咥えたかと思ったらすぐさまほっぺたにその種をしまいこむ。ほっぺたに触ってみると、だいぶ大きく膨らんでいる。どうもたくさんの餌を今、そこに貯めこんでいる最中らしい。
ベランダで髪を梳きながら、改めて街を見回す。さっきよりずいぶん明るくなってきた。でもまだ白っぽく、街の輪郭はその向こうでぼんやりしている。晴れても今日は、一日こんな感じなんだろうか。見上げる空にはやっぱり薄い薄い雲がヴェールのように広がっており。
顔を洗いながら、娘との喧嘩を思い出す。ちゃんと学校の準備をしなさいよと私が言ったのに対して、彼女ははいはいと応えた。でも実は、準備など全くしていなくて、彼女は別のことをしていた。そのせいで、忘れ物を三つ、していた。
彼女には忘れ物が多い。私がいくら言っても、彼女は忘れ物を必ず何か一つはしている。父が私に怒鳴りの電話を入れたのも、実は娘の忘れ物のせいでだった。
私は娘を叱った。ママが言ったこと、何も聴いてなかったの?と言うと、彼女は何も返事をせず、押し黙っている。ママが尋ねているのに、あなたは返事をしないんだね。そう、分かった。じゃぁママも、あなたに話しかけられても返事しないから。私はそう言って、その後しばらく口をきかなかった。
娘はあれやこれや、私にちょっかいを出してきた。が、もうこれは、我慢比べだと思って、私は一切反応しないことに決めた。娘にその私の気持ちが伝わったのか、やがていやぁな感じの沈黙が、部屋の中、流れ始めた。
私が仕事の合間、煙草を吸っているところに、娘がやって来た。ママ。ママ。…。ママ、ごめんなさい。何がごめんなさいなの? ママがちゃんと用意しなさいって言ったのにしてなかったから。違うよ、ママの話をちゃんと聴いてないからママは怒ってるんでしょ。ごめんなさい。ねぇ、ごめんなさいって言葉だけ言えばいいってもんじゃないんだよ。言葉をいくら繰り返しても、そこに気持ちがこもってなかったら、何の意味もないどころか、その言葉は人の気持ちを逆撫でするものでしかなくなっちゃうんだよ。…。言葉を大切に使いなさい。ごめんなさいって言うなら、その時はちゃんと気持ちを込めていいなさい。はい。
それでお終いにした。後は彼女が考えるしかない。考えて、実行に移すかどうかは、彼女次第だ。私はそれを、ただ見守るしかできない。
つくづく思う。こういうとき、つくづく思う。片親っていうのは不自由だな、と。私が怒ってしまったら、もうそれだけで、彼女には行き場がなくなる。それだけで苦しくなる。もしここにもう一人大人がいたならば。その人物が彼女をフォローすることができる。そうして、そこで彼女は冷静に、考えることもできるんだろうに。
こういうときだ、彼女に、申し訳ないなと感じるのは。私が片親であるばかりに、彼女には余白が少ない。選べる余白が少ない。だから極力、怒りたくはないと思う。

久しぶりに「サミシイ」に会った。「サミシイ」の辺りには変わらぬ光景が広がっており。何故か私はそのことにほっとする。「サミシイ」は遠くの海を眺めながら、笛を吹いていた。そうしてこちらに気づくと、にっこり笑った。
私は、ここ最近あったことを、かいつまんで彼女に話す。彼女は黙って聴いている。私が話し終えると、二人の間には、沈黙がしんしんと流れた。でもそれは、決していやな沈黙ではなく。心地いい沈黙だった。
ねぇ、今あなたは私に何をしてほしい? 私は尋ねる。すると「サミシイ」はしばらく首を傾げて考えている。私はそれを見つめている。
「サミシイ」が言った。別れは別れとして受け止めて、次に進もう。
少し意外だった。「サミシイ」は、あの別れを悲しく受け止めているに違いないと思っていたからだ。でも、返ってきた言葉は違った。受け止めた上で次に進もう、だった。
私がじっと彼女を見つめていると、彼女から感じ取れるのは、ただ、やれることはやったでしょう、それならもう、次に進もう、だった。
私は頷いて、立ち上がった。また来るね、と挨拶をして、その場を後にした。
そしてふと思った。私なんかより、「サミシイ」や穴ぼこの方が、ずっと頑丈で、タフなのかもしれない、と。ちょっと苦笑した。苦笑しながら、私はやっぱりまだまだだな、と思った。

じゃぁね、それじゃぁね。娘の手のひらの上にはココアが乗っている。きっとさっき起こされたばかりなのだろう、とろんとした目をこちらに向けて窺っている。私はココアの頭をちょこちょこと撫でて、娘に手を振る。
坂を下り、信号を渡り、公園へ。鬱蒼と茂る緑の中、こじんまりとした池。池の縁に立って、改めて空を見上げれば、濃い緑の向こう、白く煙る空が広がっている。茂みから出てきた猫が、いきなり座って毛づくろいを始める。
再び自転車に跨り、大通りを渡って高架下を潜り、埋立地へ。街路樹の銀杏たちは風にその身を晒しており。さやや、さややと揺れている。
プラタナスの樹たちの若葉が、ちょうど今朝陽を受け、輝いている。新しく建てられたビルの緑たちも、今一斉にその身を陽光に晒している。まだ残る空き地には、コスモスのような花びらの、オレンジ色の花が揺れている。何処からともなくやってきて根付いた種が、こうして花を開かせる。巡る生命。
さぁ今日も一日が始まる。青に変わった信号を、私は勢いよく渡ってゆく。


遠藤みちる HOMEMAIL

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