見つめる日々

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2010年05月28日(金) 
起き上がり、窓を開ける。明るい空が広がっている。でも空気は冷たい。ひんやりとした風が、少し強く吹きつけてくる。私は下ろしていた髪を一つに結わき、もう一度空を見上げる。空の天辺に雲はないけれど、地平線の辺りに溜まる雲が、ぐいぐいと流れ往く。それだけ風が強く吹いているということか。街路樹を見やれば、葉の裏を見せながら風に吹かれている。しんしんとした街景の中、唯一それらが動き続けている。
今、ラヴェンダーのプランターはこのベランダに置いてある。昨日怒りに任せてプランターをひっくり返した。植え替えるにはまだまだ早いのだろうデージーに申し訳なく思いながらも、それらをひとつずつ抜いていった。そうして広げた新聞紙の上、土をひっくり返してゆく。間もなくあの幼虫が現れた。私は思い切りシャベルでその体を真っ二つに切った。それだけじゃ足らなくて、シャベルの背で潰した。それでも足りなくて、足でさらに潰した。もう死んでいることが分かっても、怖かった。この生命力逞しい幼虫は、生き返ってきそうな気がして。そうして再びこのプランターの中に現れる、そんな気がして。
結局、プランターの中にいたのは、たった一匹の幼虫だった。そのたった一匹の為に、一本だけじゃなく二本目のラヴェンダーの根もほとんどなくなっていた。食われてしまっていた。あと少ししたら、このラヴェンダーもくたんと萎れていたのだろう。悔しくて悔しくて、たまらなかった。私は二本目のラヴェンダーも、思い切って三分割し、そうして新たに挿すことにした。
プランターの半分をラヴェンダーに、もう半分を、デージーに充てることにした。デージーのこの、何とか弱い根。これが再び土に絡み付いてくれるくらいになるんだろうか。いや、そもそも、ラヴェンダーだって、育ってくれるかどうか。もう情けなくて情けなくて、どうしようもなかった。毎日毎朝こうやって見つめていたにも関わらず、彼らを助けてやれなかった。ここまで追いやってしまった。
幼虫にとっては、根は生きる糧だ。それがあるから大きくなれる。だから本能で食っただけの話だ。私がいくら憎んだからとて、彼らにとってはそれが本能なのだ。一番罪なのは私だ。気づいていながら、ここまで手を出さないでいた。ただ見守るだけでいた。何てこった。本当に、どうしようもない。
プランターをひっくり返し、そうやって植え替える作業を続けながら、私は別のことも考えていた。容赦なく私の生活に入り込んでくるものたちの存在を、私は思っていた。土足で上がり込むそれらのものに対して、私はどういう対処ができるんだろう。無碍に追い払っていいものなんだろうか。それとも受け容れるべきなんだろうか。でも、受け容れ続けたら私が潰れる。私の生活が壊れる。
私は、私と娘との生活を今一番に考えるべきであり。それらを守るべきであり。もしその存在が、多少なりとも、たとえばこちらのドアをノックしてから入ってきてくれるとかしてくれるのなら、まだバランスも取れるんだろうに、そうじゃない、容赦なく入ってくる。そうして私の庭を踏みつけて、何も気づかず手を振って出てゆく。だから私はひどく疲れる。悲しくなる。一体どういうつもりなんだろうと思ってしまう。
か細い小さな小さなデージーの芽を、ひとつひとつ植え替えながら思った。だめだ、これでは。きちんとここからは靴を脱いで上がってね、と、せめてそれだけでも言えるようにならなければ、と。そう思った。今度同じことがあったら、そういう私の意志をちゃんと示さなければならない。そう、私が示さなければ。何も始まらない。
すべて植え替えた後、そっとそっと水を遣った。水に溺れる芽もあった。水が引いた後、それらをまた土で支え、何とか立てた。デージーにしろ、ラヴェンダーにしろ、ちゃんとこれから再生してくれるかどうか、全く分からない。分からないけれど。ここからまた始めるしか、ない。
しゃがみこんで、ラヴェンダーの葉にそっと指を伸ばす。ここに再び虫が飛んできて、卵を産み付けるかもしれない。そうなったらもうお終いだろう。それでも、賭けてみるしかない、彼らの生命力の強さに。祈るしかもう、術はない。
その傍ら、ミミエデンが風に新芽を揺らしている。そうだ、この子も、瀕死の状態だった。それがこうして新芽を出すまでに育ってくれたのだ。きっとラヴェンダーたちも何とかなる。信じるしかない。
ホワイトクリスマスは、新芽をにょきにょきと伸ばしているところで。白緑色のそれは、天を向いて伸びており。なんだかそれを見ているとほっとする。そういえばホワイトクリスマスも、以前伸ばしていた枝を深く深く切ったことがあった。まだその傷跡は株の根元に残っている。病に冒され、結局黒ずんできた枝を、私が切ったのだ。樹にとってあれは、大きな大きな傷だったに違いない。あれから片側だけが育っている。
マリリン・モンローからも紅い新芽が伸び出しており。それらはちょうど枝と枝の間に顔を出していて、これなら切らなくても何とかなりそうだなと思う。白い芽と紅い芽。同じ新芽なのに全く違うこれらの芽。彼らは今、それぞれに何を見、何を感じているのだろう。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かす樹の蕾。外側の花びらが今一枚だけ、ほろり、剥がれて来た。これは開く気配なんだろうか、それとも単に剥がれてしまっただけなんだろうか。私は見つめながら首を傾げる。どうしよう、切ってやるべきか、それとももう少し置いておくべきか。今日帰ってきて、その様子を見て決めよう。
私は玄関に回り、塀に寄りかかりながら校庭を見やる。もうこちらに出てくる必要はないのだが、それでも校庭やプールの様子を何となしに見たくなる。校庭に水溜りは数えるほどで。これなら今日、子供らが校庭で遊んでも大丈夫だろう。そう思う。その向こう、埋立地の高層ビル群の向こうから、朝の光が真っ直ぐに伸びてくる。ビルはその陰になって、黒々と聳え立っている。何ともいえない威圧感を、そこから感じるのは私だけなんだろうか。何処か冷たい、そんな威圧感。同時に、寂しさも感じる。がらんどうの寂しさ。人がどんなに集っても、そこは結局がらんどうに思える。その、寂しさ。

本を広げ、そこから要所要所をノートに書き出す。ただそれだけの作業なのだが、なかなか思うように進まない。ノートの字が、だんだんミミズのように見えてくる。
ふと、友人に言われた言葉が浮かぶ。あなたのそういう力ってお父さんお母さんからの血だと思う、と。
血、なんだろうか。分からない。私は父母から、ノートの取り方や勉強の仕方を教えられたことはない。小さい頃からおのずとそうしていた。字を書くのがそもそも好きだった。だから書き方の時間になると私は嬉しくてたまらなかった記憶がある。
白い紙に鉛筆で字を描いていく。ただそれだけのことが、私には嬉しかった。きれいに書けば書いただけ、ノートはきれいに埋まってゆく。後で見返した時、あぁちゃんとまとまってる、と思える。それだけでもう、嬉しかった。
だから、授業で取るノートと、清書するノート、それぞれあった。授業の時に走り書くノートの字は、だからもう、どうしようもなくぐちゃぐちゃで。私にしか読み取ることは不可能なほどの字だった。でも、どれほど先生が言ったことを残らず書くかがそこでは勝負で。勝負というのは変かもしれないが、私にとってはそれが大事で。先生の言ったことは残らず全部ノートに書き取ってやる、というような気持ちが、私にはいつでもあった。そしてそれを家に帰って整理する。自分に分かりやすいように並べ替えたり、ちょっと言い回しを変えたりしながら整理する。
そういう、淡々とした作業が、私は好きだった。
そうして何度もノートに書き写しながら、ようやっと覚えていく、そういう性質だった。それは多分、今も変わらない。
そういうのを、血というんだろうか。なんだか不思議な気がする。血、といわれると、ちょっと反発したくなるのはどうしてなんだろう。
母のフランス語のノートを、幼い頃、一度だけ見つけて覗き見たことがある。小さな流れるような文字で、私のような力の篭った字ではなく、流れるような文字がそこに、たくさんあった。辞書から書き写したのだろう意味や、参考書から書き写したのだろう例文が、そこに詰まっていた。一度見て、私はすぐ閉じた。なんだか、見てはいけないものを見た気がした。母の秘密を覗いてしまった、そんな気がした。
父は夜遅く帰ってくるにも関わらず、帰ってくると、必ず英語の勉強をしていた。NHKの英会話のテキストと、彼のノートが、食卓のテーブルの端に、いつも置いてあった。その中を覗いたことはない。でも、必ずあった。
努力を人前で、見せる人たちじゃぁなかった。努力をこれでもかというほどしているのに、それを絶対に人前で見せない。見せないから、他人には、まるで、ひとっとびにそれができているかのように受け止められてしまう。でもそれを、飄々と受け流す。そういう人たちだった。
あなたのお母さんは何でもできるからいいわよね、と言われるならまだしも、あなたのお母さんもお父さんもなんか気取っちゃってて、近寄りがたくていやな感じ、と言われることもあった。あんなお父さんお母さんの子だから、あなただってデキるんでしょ、と、のっけから言われることもあった。あんなお父さん、あんなお母さんって、一体何なんだ、と、私は心の中、いつも反発していた。一体何を知っていてそんなこと言えるんだ、と。何も知らないくせに。本当は何にも知らないくせに。
私は、知らぬうちに、父母のそうした姿を追っていたんだろうか。
ただ、ひとつ言えるのは、私は父母のように、飄々と立っていられるほど、強くない、ということだ。そのことを思うと苦笑してしまう。もし父母のように立っていられたら。どれほどいいだろうに、と思ったりもする。でも。
今思い出す。母がぽつり言っていた。言いたい人には言わせておけばいいの、同じレベルに落ちる必要はないのよ。自分は自分、そう割り切っていけばいいの。
ああ言ったとき、母は本当は、辛かったんじゃなかろうか。もしかしたら、他人の心無い言葉に、傷ついていたんじゃなかろうか。
友人の言葉を口の中で反芻する。そうか、血、かもしれないな、と、納得し、ちょっと笑う。それはそれで、いいかもしれないな、と。

朝練があるという娘を起こし、私はお湯を沸かす。生姜茶を、水筒分も作っておくことにする。それから娘のお弁当だ。インゲンに挽肉を少しと卵とで炒め合わせ、その間に作り置きしておいた肉団子に味付けする。それから缶詰のパイナップルを忘れずに。この前果物を入れ忘れたら、すかさず言われた。ママ、果物の入ってないお弁当なんて、お弁当じゃないよ、と。本当に悲しそうな顔をして言われたっけ。そんなもんなんだろうか、ちょっと不思議に思った。私の母の作る弁当には、果物なんて殆ど入っていなかったことを思い出す。そうしておにぎりは昆布のおにぎり。
ステレオからはSecret GardenのMovingが流れている。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。私はバス停へ、娘は学校へ。
東から伸びてくる陽光が、くっきりとアスファルトの上、陰影を描いている。強い陽射しだ。バス停に立つと、陽射しがあまりに眩しくて、私は手を翳す。
やって来たバスは結構空いており。私は後ろの席に座って本を広げる。昨日図書館から借りてきた本だ。とりあえず目次をざっと眺める。
突然、乗り合わせていた赤子がうわーんと泣き出す。母親が慌てて立ち上がり、子供をあやし始める。客の数人が顔を上げただけで、他の人たちはみな、めいめいに何かをしている。ゲームをしている人、ノートを広げ勉強している人、ウォークマンを耳に当てている人、みんなそれぞれ。
結局終点まで泣き止むことなく、その母親は立ったまま駅に降りる。私はその脇をすり抜け、たかたかと歩く。駅は大勢の人が行き交っており。私はその間をじぐざぐに歩く。
川を渡るところで立ち止まる。朝陽を受けて輝く川面は、今白銀色に輝いており。どんなに両岸を埋め立てられていようと何だろうと、滔々と流れ続ける川。
さぁ今日も一日が始まる。私はまた歩き出す。


遠藤みちる HOMEMAIL

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