見つめる日々

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2010年06月01日(火) 
薄暗い部屋の中、起き上がる。窓を開けてベランダに出、空を見上げる。薄い雲がかかっている空。でも、曇りというわけでもない。雲がかかってはいるが、これもじきに晴れてくるのだろう、と私は勝手に思う。それにしても空気が冷たい。もう今日で六月になったというのに、この冷たさは何だろう。Tシャツ一枚ではどうにも寒くて、私は掛けてあったカーディガンを羽織る。
しゃがみこんで、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。六つの枝は、それぞれにそれぞれの容姿で立っている。水は今のところちゃんと足りているようだ。一度萎れかけたものも、今朝はそれなりの姿で立ってくれている。私はその枝にそっと指を伸ばす。この枝が根付いてくれるかどうかなんて、今、誰にも分からない。分からないけれど、いや、分からないからこそ、祈らずにはいられない。どうか育ってくれますように、と。
デージーの芽の方は順調で。今のところ枯れたものはいないようだ。植え替えたとき、根は、長いものでも、一センチなかった。本当に本当に僅かな根しかなかった。にもかかわらず、今、こうしてここに在る。
ベビーロマンティカから伸び出した新芽。萌黄色の新芽。くいくいと伸びてくる。瑞々しく、艶々と輝くその葉は、古い葉を上手に避けて、その合間から顔を出している。この中にいずれ、花芽をつけるものも在るんだろうか。在るといいな、なんてことを思う。そんな贅沢を言う前に、これらの芽が無事に枝葉を広げてくれることを祈るべきなのに。私はちょっと苦笑する。
マリリン・モンローの新芽は、ベビーロマンティカよりも伸びるのがさらに速くて。それはまさに、ぐいぐい、といった感じだ。昨日ちょっと青ざめて見えた枝は、今朝にはもう、深い緑色に変わっている。今のところ病葉は一枚も見られない。
ホワイトクリスマスの新芽、こちらは、今まさに葉を広げようとしているところで。マリリン・モンローたちよりもゆったりとしたその速度に、私は何となく目を細める。白緑色だった芽が、開くにつれて萌黄色、さらに緑色に変化してゆく。最後にはきっと、この、深い深い暗い緑色になるのだろう。今三箇所から同時に芽を広げ始めているところ。こんな時、樹の中はどんなふうになっているんだろう。どくどくと脈打っているんだろうか。芽を開かせるために、全身のエネルギーをそこに集中させているんだろうか。私はそっと指で新芽の先に触れてみる。ひんやりとした感触がそこに、在る。
桃色の、ぼんぼりのような花をつける樹も、久しぶりに新芽の塊を湛え始めた。どのくらいぶりだろう。もう思い出せないほど久しぶりだ。私は念のため、彼女の今在る葉の裏側を指で拭ってみる。多少の粉はつくものの、以前より格段にその粉の量は減ったと思う。このままこの粉もなくなってくれるといいのだけれども。
パスカリたちが広げ始めた葉は、思ったよりも大きくて。しかもそれは病気に冒されてはいず。よかった、本当によかった。次の新芽の塊も、目を凝らすと見てとれる。これならゆっくりであっても、ちゃんと芽を広げ続けてくれるんだろう。

なんとなく、憂鬱が私の中、居座っている。何が憂鬱の中は分からない。よく分からないけれども、どんよりとした何かが、そこに、在る。
それをしんどいと言ってしまうと、余計にしんどくなる気がする。だから極力、しんどいとは思わないようにしているのだが。でもやっぱり、しんどいのかもしれない。
ゆっくりと、蟻地獄に吸い込まれていくような。そんな感じなのだ。いっそのこと、ぼとん、と、穴に落ちてしまえば楽なのかもしれない。でもそれが、なかなか落ちない。落ちないで、ずぼずぼ、ずぶずぶと、砂の途中、喘いでいる。そんな感じだ。
生殺し、という言葉がふと浮かぶ。あぁ、そうなのかもしれない。何に対してそうなのかが今まだ分からないが。そんな感じだ。
私は耳を澄ます。じっとして、耳を澄ます。
これは何処から来ているんだろう。今の私の何に関係しているんだろう。問うてみる。何処からも誰からも、返事はなく。でも私は、さらに耳を澄ます。
あぁ、そういえば、この感覚は以前にも、味わったことがある。そのことを思い出す。被害に遭って、会社を休職して、そのあとそのまま私は辞めた。あれはちょうどこの時期だった。そう、まさにこの時期だった。
途方に暮れたんだ。一体これからどうすればいいというのだろう、と。行くあてもなく、何を為せばいいのかも分からず。闇雲に動いてみたりもしたけれど、そこでも挫け。そんなことを繰り返しているうちに、私はもう、自分には何処にも行き場がないように感じ始めた。こんな穢れた自分には、この世界に在ること自体が赦されていないんだ、そんなふうに考え始めた。あのことによって仕事も信頼も何もかもが奪われた。そう、奪われた、としか、その頃は思えなかった。
その頃、祖父が亡くなり。父も外国で仕事をしていた。部屋の中、もう何処にも行き場がないと思った時、ふと父の顔が浮かんだ。
そして父にファックスを送った。
これこれこういうことがあった、それで私は仕事を辞めざるを得なかった。今もう、どうしていいか分からない。そんなことを、つらつらと書いたような気がする。正直、正確なところは覚えていない。
翌日だったか、父から返事があった。まさか父から返事があるとは思わなかったから、吃驚したのを覚えている。
父のファックスには、確かこう書いてあった。過去に囚われるな。過ぎてしまったことはもう過ぎてしまったこと、これからのことを考えなさい。
その頃の私には、その言葉はきつかった。どうして過去に囚われないでいることができよう。あんなことがあったんだ、それなのに、囚われないでいるなんて、どうしてできようか。
でも。
今だから認める。私は、父のファックスを抱きしめて、あの時泣いたんだ。どうしてこんなこと言うんだろうと怒りながら、同時に、父から返事が在ったことに、嬉しくて、悲しくて、泣いたんだ。
それから後も、本当にいろいろなことがあった。父母と、一体何度、ぶつかり合っただろう。一切の連絡を絶った時期もあった。
あぁそうか、あの頃の、そうしたものたちが、今まだ私の中に残っているのだな、と、私は納得した。まだまだ解き解されないものが、私の中に残っているのだな、と。
今の私にできることは、何だろう。私は問うてみる。今私ができることは、何なんだろう。
今はそっとしておいて。突然、声が響いた。何処からだろう。辺りを見回したが、全く影は見えない。でも、確かに聴こえた。
そうか、まだ、そっとしておいてほしいのか。私は項垂れる。できることなら、何とかして、少しでも軽くしてやりたかったが。
私は、六月の空を見上げてみる。いつの間にか辺りは明るくなっており。東から伸びてきた陽光に、街は陰影をくっきりと浮かび上がらせており。
私はひとつ、溜息をつく。それでも私は、こうしたものを越えていくのだろう。いかなければならない。そう思いながら。

ねぇママ、友達がウザくなる時ってない? ん? なんかこう、突然、ウザくなる時。ない? ん、あるよ。ママもある? うん、ある。そういう時、ママはどうする? 自分と闘う。自分と闘うってどういう意味? 独りになれればいいけれど、そうじゃないときは、自分と闘う。自分を抑えるっていうか…なんだろう、巧く言えないけれども。なんかさ、今日思ったんだよね、どうしてこの人、こんなことばっかり言ってるんだろう、よく平気で私の前でそういうこと言えるなぁって。どんな話だったの? …言えない。そっか、言えないか、うん。言えないけど、そう思ったんだ。それであなたはどうしたの? ばれないように、笑ってた。そっか。でも、苦しかった。もういい加減黙ってよ、って思ってた。うんうん、そういうの、ある。なんかさ、人の気持ち考えないで、自分だけうきうきしてさ、もう大喜びしててさ、いい加減にしてよって思った。一緒に話してるなら、こっちの気持ちも多少は思いやってよ、って。そう思った。うんうん、ママもそういうこと、あるよ、うん。そっかぁ、大人になってもそういうことってあるんだぁ。そりゃぁあるよぉ。なんかさ、人って、ほんと、自分勝手だなって思う。自分のことしか考えてないんだよね。結局のところ。そうだねぇ、それは自分も含めて、そうなんだろうね。悲しいときってさ、悲しくても相手を思いやるようなところあるけど、嬉しいとさ、嬉しいが爆発して、もうそれだけになって、相手のこと、全然考えないよね。あー、うん、そういうところあるね、悲しいときより、嬉しいってときの方が、周りのことに気を使えない。そういうところ、確かにある。だからね、思った、嬉しいって思うときほど、友達のことちゃんと考えなくちゃだめだな、って。だってさ、私が嬉しくたって、相手が今嬉しいかどうか、全然分からないわけじゃん。うんうん。もしかしたら私は嬉しいかもしれないけど、相手はとんでもなく悲しいかもしれないわけで。うんうん。だからね、思った。相手が今どんな状態なのかって、分かる範囲でいいから、見ておかなくちゃって。そうだねぇ。うんうん。難しいよね、そういうことを見極めるのって。うん、難しいね。

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。今日は臨時の授業があるから、その授業に持っていく水筒分も、お茶を入れておく。
今日から林間学校に出掛ける娘が、その前に、と、ココアやゴロと戯れている。ミルクは一緒に籠から出すと、相手を噛んでしまうところがあるのだけれども、ココアとゴロは何故か、噛み合ったりしない。ふと思う。ミルクは結構弱虫なのかもしれない。自分が攻撃される前に、相手を攻撃して確かめようとしてしまうところがあるのかもしれない。
朝の仕事を早めに切り上げ、娘のお弁当を作る。荷物にならないよう、食べたらぽいと包みを棄てられるよう、サンドウィッチにする。卵と胡瓜のサンドウィッチと、ハムと胡瓜とトマトのサンドウィッチ。その間に娘は、昆布入りおにぎりを、はぐはぐと食べている。

じゃぁね、それじゃぁね。帰ってくるの何時だっけ? えっとね、三時。分かった。気をつけていっておいでね。うん!
手を振って別れる。娘は学校へ。私はバス停へ。
バス停に立つと、ちょうど朝の陽光が燦々と降り注いでおり。私はその陽射しに手を翳しながら、もう一度空を見上げる。
私の足元は、まだまだ不安定だ。どうしようもなく不安定だ。それを思うと、不安になる。この先もこうして生活していけるのか、そのこと自体に不安になる。
やって来たバスに乗り、駅へ。つり革に掴まり、ただじっと、駅に着くのを待つ。
川を渡るところで立ち止まる。川に降り注ぐ陽光で、水面はきらきらと輝いており。私は再びその光に手を翳す。
どんなときであっても、流れを止めることなく、この川のように朗々と、流れ続けてゆけたらいい。
さぁ、今日も一日が始まる。私は橋を渡り、真っ直ぐに歩き出す。


遠藤みちる HOMEMAIL

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