2010年06月02日(水) |
今頃娘は何をしているのだろう。でーんと大の字になって、友達と一緒に眠っているのだろうか。そんなことを思いながら私は勢いよく窓を開ける。すっと冷気が私の体を包み込む。あんまりにもひんやりとしているから、今が六月だということを忘れてしまう。もう今年が始まって半年も経ったのか、と、改めて時の早さを思う。この半年の間に私は何を得、何を失ってきただろう。 風はさほど強くはなく。だから街路樹の葉も、そよよと揺れる程度。私は髪を後ろひとつに束ね、大きく伸びをする。陽光は明るく、東から伸びてきており。街景は濃い陰影を放っている。トタン屋根にちょうど朝陽が当たり、黄金色に輝いている。向こうの丘の上、団地はまだ、うっすらとした闇の中。通りを見下ろすと、ちょうど植木おじさんがポリタンクをひきずってやってきたところで。私は心の中小さくおはようございますと挨拶をする。おじさんは、街路樹ごとに立ち止まり、その根元に彼が植えた植木に水を遣ってゆく。他に人影は一切なく。車もまだ、行き交ってはいない。しんとしずまりかえった街。 私はしゃがみこんで、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。ラヴェンダー六本は、それぞれ思い思いにそこに立っており。葉をくてんとさせたものもいれば、ぴんと張っているものもあり。玄関側に置いていたときは、東からの陽光に毎朝晒されていたのが、ここに来て、南からと西からの陽光に晒されることになったわけだが、そういうのはどう彼らに影響しているんだろう。まだその違いが分からない。そろそろまた水を遣る頃かな、と、土の様子を眺めながら思う。今日帰宅して、土の表面が乾いているようなら、軽く水を遣ろうと決める。 デージーは小さな小さな芽をめいめい思い切り広げている。植え替えた後、倒れ伏すものもなく、今のところみな順調だ。これならこのままいけるかもしれない。再び母の、デージーは強いのよ、という言葉が心に甦る。そして、植木屋から、病気になって売り物にならなくなったような蘭を貰っては、再生させていた母の姿を思い出す。母の手にかかると、どんな弱い株も、再び花をつけるようになる。何年かかろうと、母は丹念に世話をし続ける、その姿を私は、間近で見てきた。正直、羨ましい、妬ましいと思うことさえあったくらいだ。そんなに植木に気持ちを傾けるなら、その分を私にまわしてほしい、本気でそう思っていた時期もあった。今思い出すと笑ってしまう。 ミミエデンは、新芽をくいくい広げており。その周りで、それぞれ挿し木したものたちも、新芽を湛えたり固く閉じていたり。同じように同じだけ愛情を注いでいるつもりなのに、こんなにも違いが生じる。何が違うんだろう、何が違ってしまったんだろう。省みても、それが分からない。 ホワイトクリスマスの新芽が、昨日あたりから、赤く染まり始めた。深緑色になる前に、どうも一瞬赤くなるらしい。不思議な変化の仕方だ。今までも見ていたはずなのに、今更そのことに気づいて、不思議になる。私はじっと見入る。葉の縁が一番赤が強く、内側にいくほど萌黄色。まだまだ柔らかく、もし爪を立てたりなどしたら、容易に切れてしまうんだろうと思う。それでもホワイトクリスマスは、気品を失うことなく、しんしんとそこに、在る。 マリリン・モンローの、足元からぐいと出てきた新芽は、にょきにょきと伸びてきている。立派な棘もしっかりついている。マリリン・モンローの棘は鋭いし数が多い。今新芽についている棘はまだ暗紅色で、見た目には柔らかそうに見えるが、触るとそれは、しっかりと痛みをともなう。そんなに武装しなくても、誰もあなたを苛めたりしないよ、と思うのだが、それでもマリリン・モンローは全身に棘を纏っている。 ベビーロマンティカはそんなマリリン・モンローの隣で、もちもちとした、柔らかな新芽を湛えており。それは本当にかわいらしい、瑞々しい新芽で。私が花を切り落とした、その後から、次から次に芽を噴き出させている。この中にまた、新たに花芽をつけるものもいるんだろうか。今まだそんな気配は微塵も見られないが、きっとまた、咲いてくれるんだろう、そう思う。 パスカリの新芽はもう殆ど赤味を失って、濃緑色に変化していっている。大きく元気に開いてきてくれている葉を、私はそっと指で撫でる。念のため、裏側も拭ってみる。大丈夫、今のところ裏も表も元気いっぱいだ。私はほっとする。 立ち上がり、通りを振り返ろうとすると、目の前の電線に小さな雀が二羽。きょときょとと首を回している。まだ子供なのだろうか。ずいぶんと体が小さい。ひっきりなしに体のどこかを動かしている雀たち。そして彼らは突然、飛び立ってゆく。 昨日は臨時授業だった。マイクロカウンセリングの、論理的帰結の実践授業だった。やりながら、私は、自分が患者として在ったときのことを、あれこれ思い出していた。こんな筋道だった、あまりに冷静なことを提示されたら。あの頃の私だったら、とてもじゃないが受け付けなかった。そんなこと分かっている、分かっているけれど困っているんだ、と、撥ねつけたに違いない。 練習を行いながら、そんな自分だからだろうか、つい、行動の帰結にではなく、その過程の気持ちの方に言葉をかけてしまいがちな自分がいることに気づいた。今は論理的帰結の練習の場なのだから、と自分に言い聞かせるのだが、ついつい違う方向に傾いてしまう。自分が患者だったら、自分がクライアントだったら。おのずとそういうふうに考えている自分が在る。 昨日グループを組んだメンバーは、私以外に自分が実際にクライアントになったことがある人はいなくて。だから、他の人だったらどうなのか、を知ることはできなかったけれども。確かに、ある程度クライアントの状態が落ち着いてきたなら、そういう提示もあるのだろうけれども、そうじゃないときに出すべき技法じゃぁないなぁと、私は感じた。出し方によっては、信頼関係が根本から崩れてしまいかねない。そう感じた。 ふと思った。父や母は、こうした思考回路が、とても強い人だったのかもしれないな、と。自分のメリット、デメリットを常に計算して、行動できる人だったんだろうな、と。そんな父母のもとで育った私だけれども、私にはそういう能力が大きく欠落している。そう思う。 私は父母の何を見ていたんだろう。そう思った瞬間、祖母の姿が浮かんだ。あぁ、そういえば祖母は、感情の人だった。気持ちが何より大事、という人だった。私はそんな祖母が大好きだった。歳を重ねるごとに私は、祖母に似ていると親戚から言われるようになったが、そういうところも含めての意味なのかもしれない。 母のかつての言葉を思い出す。私はそういうおばあちゃんがとても嫌だった、と。母はそう言っていた。あなたにとってはいいおばあちゃんかもしれないけれど、私にとっては大変な母だったわ、と。あの感情の塊のような人にどれほど振り回されたか、そのために私はどれほど犠牲になったか、母はつくづくとそう言っていた。そしてまた、ぽつり、羨ましいと思うことさえあるほど、しんどかったわ、と。そんな祖母に、あなたはよく似ている、と。そう言っていた。 私が中学二年生の二月末、祖母は癌で亡くなった。あの時のことは、今思い出しても涙が出てくる。私にとって祖母は太陽だった。私の支えだった。反りの合わない父母のもと、それでも私が子供で在れる場所は、祖母の周りだった。祖母がいるから、私は子供らしい一面を失わずにいることができた。それがとうとう、いなくなってしまった。いずれいなくなってしまうことは分かっていたけれど、こんなふうに、骸骨のように痩せ細って、何も言わずに逝ってしまうことなど、その時は考えてもみなかった。祖母をそんなふうにして奪った癌を、どれほど恨んだか知れない。あの時どれだけ、祖母の骨を一欠けらでもいい、食べてしまいたかったか。それもできず、私はただ泣いていた。 今なら思う。母は母で、若い頃から癌に冒され入退院を繰り返していた祖母のもと、苦労したのだな、と。そんな祖母のもとでだからこそ、母はああいうふうな人になっていったのだな、と。今なら、分かる。 そしてまた、きっとこう思ったはずだ。自分のようにはさせまい、と。母のことだから、きっとそう思ったはずだ。そう思いながら、私を育てたんだろう。それが、私が祖母にどんどん似ていく。その様子を見て、母はどんな気持ちを抱いただろう。複雑だったに違いない。 そして今また、母から見たら、放任極まりない私の子育てを見て、母はきっと、たまらない思いを抱いているに違いない。 母よ、ごめん。私はとうてい、あなたの思ってくれるようには行動できないらしい。別にあなたを傷つけようと思ってそうしているわけではないのだけれども、それでも私は、このようにしか行動できないらしい。母よ、ごめん。死ぬまでそうやって、私はあなたを、悲しませ続けるのかもしれない。 それでも母よ、私はあなたを愛している。とてもとても、あなたの願うとおりにはなれないけれども、私はあなたを、愛している。
お湯を沸かし、生姜茶を入れる。思いついて、生姜茶だけでなく、レモングラスとペパーミントのハーブティーも入れてみる。二つのマグカップを机に載せて、私はとりあえず朝の仕事を始める。 半分開け放した窓からは、風がすうすうと流れ込み、カーテンを揺らしてゆく。天気予報では、明日から夏日になると知らせている。過ごしやすい日和は今日で終わりだと、そう告げている。 空はぐんぐん明るくなってゆき。陽光は空のあちこちで弾けている。何処からか鳥の囀りが聴こえてくる。ステレオからは、Secret GardenのSigmaが流れ始めている。
「人生の意味は生きることです。私たちは本当に生きているでしょうか?」「私が人生の意味とは何なのかを決めるのは、自分の先入観、欲求、欲望に従ってなのです。つまり、私の欲望が目的を決めるのです。たしかに、それは人生の目的ではありません。どちらがより重要でしょう―――人生の目的を見つけることか、それとも精神それ自体をその条件付けと尋求から自由にすることか? たぶん精神がそれ自らの条件付けから自由になるとき、まさにその自由そのものが目的になるでしょう。なぜなら結局のところ、人が何らかの真理を発見できるのは自由の中でだけだからです。ですから、第一に必要なものは自由なのです」 「重要なのは人生のゴールが何かではありません。自分の混乱を、みじめさ、恐怖を、そして他のすべてを理解することです」 「生きることの意味を十全に理解するには、私たちは自分のこんぐらがった日々の苦しみを理解しなければなりません」 「人生とは関係です。人生とは関係の中における行為です。私が関係を理解しないとき、あるいは関係が混乱しているとき、そのときに私はより豊かな意味を求めるのです。なぜ私たちの人生はこうも空虚なのでしょう? 私たちはなぜこんなにも寂しく、欲求不満なのでしょう? それは私たちが自分自身を深く見つめたことが一度もなく、自分を理解したことがないからです。私たちは決して、この人生が私たちの知っていることばかりなのだとは自分に対して認めず、だから十分かつ完全に理解されるべきだとは認めないのです。私たちは自分自身から逃走することの方を好むので、それが関係から離れて人生の目的をたずね求めることの理由です。もしも私たちが、人々との、財産との、信念や考えとの自分の関係であるところの行為を理解し始めるなら、その時関係それ自体がそれ固有の報酬をもたらしてくれることに気づくでしょう。あなたは探し求める必要はないのです」 「私たちの人生がひどく空虚なのは、自分自身を超えた目的を求めるのは、私たちの精神が専門用語の類や迷信的な呟きでいっぱいになっているからであり、だからこそ私たちは自分自身を超えた目的を探し求めるのです。人生の目的を見出すには、私たちは自分自身のドアを通り抜けねばなりません。意識的にか無意識的にか、私たちはあるがままの事象に面と向き合うことを避けていて、だから神に彼方へのドアを自分のために開けてもらいたがるのです。人生の目的についてのこの質問は、愛さない人々によってのみなされるものです。愛は行為、関係である行為の中にのみ見出されます」
玄関を出て、階段を駆け下りる。自転車に跨り、坂を駆け下りる。通りを渡ると現れる公園。緑は鬱蒼と茂り、もはや東からの陽光をこちらには届かせないほど。池のほとりに立つと、その真上の、ぽっかり空いた茂みの窓から、陽光が燦々と降り注ぐ。向こう岸に千鳥が三羽、ちょこちょこと歩き回っている。何かを探しているような様子。もう子育てにの時期に入っているんだろうか。私は彼らを驚かさないように、そっと、足音を忍ばせてその場を後にする。 大通りを渡り、高架下を潜り、埋立地へ。真っ直ぐに伸びる銀杏の枝。小さな萌黄色の銀杏の葉はまさに枝に鈴なりで。耳を澄ましたら、しゃんしゃん、しゃららんと音が聴こえてきそうな気さえする。 信号を渡り、モミジフウの樹を横に見ながら、さらに走る。海と川とが繋がる場所。紺碧の海が向こうに広がっている。白い波飛沫が、あちこちで弾けている。 鴎が一羽、大きな羽を伸ばし、風にその体を預けている。巡視艇がゆっくりと動いてゆくのが見える。 さぁ今日も一日が始まる。私はまた、続く道を走り出す。 |
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