アルの日記
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2001年11月08日(木) 薬、友人、自分

今日は友人Mから電話がかかってきた。
この前の日曜にも電話がかかってきて約一年ぶりに会った。
彼はこの一年間ずっとアジアに行っていたらしい。
具体的にいうと、タイ・マレーシア・インドネシア・ネパール・インドを旅してきたらしい。
呼び鈴が鳴って玄関のドアを開けると何とも怪しげな雰囲気を醸し出したMがニヤニヤしながら立っていた。
その後、俺の部屋でしばらく雑談した。

Mとはもう十数年の付き合いで久しぶりに会っても時間の経過によるギャップをまったく感じない。気心が知れている。
しかしそんなMと自分の関係はこの数年間、かなり冷えきったものだった。
原因はいろいろあるが、今考えると一番の理由はドラッグ仲間でもあったことだと思う。
今はもう何の好奇心も魅力も感じないが、数年前まで俺はドラッグの虜だった。あまり詳しくは語れないけど国内外でありとあらゆる物を嗜んでいた。
ずっと、音楽をやっていたので薬との相性は抜群だった。また、その手の音楽が大好きだった。薬によって聴く音楽も変える・・・そんなバリエーションを楽しんだりもしていた。
最初に言っておくけど自分はドラッグ反対論者ではありません。また、賛成論者でもないです。

始まりは、アメリカだった。
当時、自分はカリフォルニアに留学していた。今から考えると親の援助できているのに何て申し訳ないことをしていたのだろうと思うが当時は自分も若かった。それに、もともと対人恐怖的で神経が過敏だったので文化のギャップに苦しみ、いつのまにか引き篭もるようになり大好きな音楽と薬に明け暮れていた。
住んでいたアパートはサンフランシスコのほぼダウンタウンにあった。冬は少し寒いけど一年中気候も温暖で坂の多い良い町だった。
ただ、変態が多い、笑。
なにしろ、今はどうかわからないが人口70万人中15万人が同性愛者だ(←アメリカ素描、司馬遼太郎著で知った)。
外に出ると必ず女装したオカマやら目がやたらキラキラしたかっこいい男を目撃する。
しかしみんな陽気で明るい。ホームレスまで陽気だったりする。笑顔を向けると笑顔が返ってくるし、知らない人でも目が合うと挨拶を交わしたりもする。そういう点は凄く良かったと思う。日本人は自分も含めて目が死んでいる人が多いし、そういうのって周りの人の気分も暗くさせると思う(しかし自分は決して手放しのアメリカ好きではない)。
日本のように四季もないから気分のメリハリもなくなっておかしくなってしまっているのかなぁ~とか初めは思っていたがそんなギャップもしばらくすると当たり前になってきてしまって刺激がなくなってくる。

脱線してしまった・・・あの頃の事で書きたいことがたくさんあるんだけどそれはまたいつか書くとして話を元に戻そう。
友人Mとのことだ。
結局、数年前自分は精神的に徐々におかしくなっていく過程でMと罵詈雑言の言い合いをしてしまったのだ。薬でぶっ飛んでしまっているので言ってはいけない事までブレーキをかけずに言ってしまっていた。今から考えてみると本当に友人や他の大切な物をたくさん失ってきてしまった。しかし、自分はこれを薬のせいだとは思っていない。結局、自分が、自分の心が弱かっただけなのだ。
友人Mとはある時期は悪友だったが今はうまくやっていけそうな気がする。お互い歳をとって成長したのかなぁとも思うが元々は親友だったし二人とも相手に対して申し訳ないことしてしまったと思っていたのだろう、口には出さないが・・・。
しかし数少ない友達が戻ってきてくれて嬉しい。
雑談した後、Mは昔中米を旅している時に買ったジャンべというアフリカの太鼓を持ってきていたので(Mはボリビアで十年間アフリカに居たというドイツ人にジャンべを習っていたらしい)一緒に河原に行って太鼓を叩いた。自分はボンゴを持っていった。お互いあんまりうまくはないが何か良いバイブレーションを醸し出しているように感じた。河原で散歩していたおじちゃん・おばちゃんが不思議そうに見ていた。う~ん・・・やっぱり浮いていたのだろうか・・・。






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