アルの日記
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2001年11月09日(金) 自己嫌悪

自己嫌悪・・・・・・そう、自己嫌悪だ。
自分は自己嫌悪が強い自虐的な人間だった。
今でもその気はあるけど昔ほどではなくなってきたと思う。
昔は自分を責めるあまり酒や薬で自分を破壊しようと思っていたのかもしれない。
しかしやっぱり極度の自己嫌悪は人を無力にしてしまうのだと思うのです。

今日は見逃してしまったが、木曜夜九時から村上龍原作の最後の家族というテレビドラマが放映されている。
現代の日本に生きるある家族を描いたドラマだが、さすが村上龍・・・内容が詰まっていてうまく現代の日本を描写していると思う。
先週か先々週、そのドラマを見ていて思ったことがある。引き篭もりの息子がキレて父親に対して暴力を振るってしまう。次の日、二階にある自分の部屋から降りてきて冷蔵庫からジュースを取り出し、飲みながら近くにいた母親に、かなり心配してソワソワしながら「父さん、大丈夫かなぁ」っと聞く。母親が大丈夫よと答えると息子は安心する。暴力を振るった後は必ず言うセリフだと母親は心の中でつぶやく。っていうシーンがあって、「あぁ〜〜〜わかるよぉ〜〜〜その気持ちぃ〜」っと独り言を言ってしまった。
自分でもどうにもならないある種の感情のエネルギーがちょっとした事で爆発してキレてしまい、その後どうしようもない自己嫌悪に襲われるのだ。
まったく自分の事を言われているようでドキッとしてしまった。
引き篭もりは自己嫌悪が強い人が多いように思う。
自己嫌悪が強すぎるからこそ、その原因になりうると思われることすべてから逃れるために、自分を何とか保つことができる世界に閉じこもる。
繊細で過敏でモラルも高く、人を傷つけるのを人一倍恐れる。
どうにか社会の中でうまくやっていこうと思っても自分ではどうにもならないのだ。
自分の場合はそういう感じだったと思う。っていうか今もちょっと引き篭もり的であるが。

思うんだけど、徹底的に逃げる時期ってあって良い思う。
そういう時期を経ていろいろと自分や社会を見つめ直す時間は必要だと思う。
しかし、社会の風当たりは厳しい。
今自分は無職なので仕事を探しているが、面接の時などに特にそう感じる。
履歴書の空白の所を突っ込まれても「引き篭もってました」とは言えない。
「悩んでました」とも言えない。
「哲学やってました」なんて言えるわけがない、笑。
一応、やりたい仕事があってそのための努力もしているが、会社側としては自分の会社の利益になる人を採用するので、そういう意味では自分の履歴は社会的にまったく信用がないから社の利益になるとは考え難いだろうと思う。おまけに対人恐怖的で目つきも悪かったりするので面接はきつい。
しかも運悪く人を傷つけるような発言を平気でするような面接官に当たったりする、涙。ああいう人格の人って多いんだろうなぁ〜。
う〜ん・・・もっと自分みたいな状況にある人達に対して理解を示して欲しいし、もっと精神的に気持ち良く生きれる社会になって欲しいと思う。
道を踏み外したことがない人が圧倒的多数なのでそういう人は自分は絶対的に正しいと信じきっていたりするので道を踏み外した人間のことがわからないのだろう。っていうか自分のことで精一杯なのかもしれない。
う〜ん・・・・・・どうにかせねば・・・。
まあでも「落ちてもまた次があるさ」っと考えて自分をあまり追い詰めないようにはしてる。
努力しても必ず報われるわけではないが努力ぐらいしかすることがないので一応している。

因みにそのドラマでは赤井秀和演ずる父親はこの大不況の中で何とか「会社の再建」のために頑張るサラリーマンで、家庭では「飯は必ず家族そろって食う」というポリシーを持って子供を育ててきた。会社の同僚と飲み屋で「会社のために今俺たちが頑張らねば」と熱く語っていて近くの席で飲んでいたサラリーマンに「今どきそんな古い事〜」と陰口を叩かれる。
う〜ん・・・なんかリアルで悲しくなったりするが、松浦亜弥が可愛かったりするので来週は見よっかな〜。

(そういえば父親(赤井秀和)が救急車で運ばれてからどうなったんだろう・・・松浦亜弥と元引き篭もりの宝石デザイナーの行方も気になったりする・・・。)







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