アルの日記
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2002年03月15日(金) |
あ〜嫌だ・・・こんな風に考えてしまっている自分が嫌だ。 |
今日は飲み会のお誘いが来た。 明日(金曜日)、渋谷で飲みとのこと。 行けんな。 ふところの状況に加えてエネルギーもない。 みんなで集まって飲みたいとは思うが今の自分の状態ではおそらくあのメンバーとの会話は噛み合わないだろう。 自分の本心を言っても理解されないだろうしおそらく場の雰囲気を壊してしまうだろうから表面的に合わせて消耗しきって終わる事は目に見えて明らかである。 う〜ん・・・頭では理解できるのだが心の奥底からは理解できないのです。 何故、彼女ら(彼ら)はああいう話題で盛り上がったり、ああいう精神的・物理的生活で気が狂うことなく生きていけるのか・・・。 私の心には響かないことが多いのです、涙。 私は欲張りでわがままなのでしょうか・・・? いや・・・おそらく傷の深さや駄目人間度が違うのでしょう。 何気ない発言や態度にもその人のもつ価値観が現れていて、意識していなくてもそれが自分に伝わってきてしまい、傷ついたり疲れることが多い。 いい年こいてそんな感じだ。 理解してもらおうとして頑張ればわかってもらえるかもしれないが、そうするためのエネルギー消費量は莫大なものなので敢えてしない。 それゆえ場の流れに沿って当たり障りなく対応していく方向性で進めて行き、終わった後は疲れが溜まっていたりする。 まあでも人と接したということでそれなりの喜びや充実感はあるのだけど・・・。
う〜ん・・・誘ってくれるのは物凄くうれしいし感謝している。 でも・・・何て言うんだろう・・・もっとスピリチュアルなところでふれあいを持ちたいと思ってしまう。 人に対して気遣いをしたりするのは思いやりがあって良い事だと思うけど、でも行き過ぎて八方美人的態度が日常的になってしまうとその人自身が自分自身を見失ってしまっていて自己表現自体がありきたりで借り物の発言・態度になってしまって人とスピリチャルなふれあいを持つ事ができなくなってしまい、ただ漠然と寂しいからとかそういう理由で群れ合って寂しさを一時的に癒すということを繰り返すだけになってしまうのではないか・・・? 置かれている状況も価値観もよくわかるよ。 でもやっぱり私には無理だ。
人の価値観や生き方などをけなしたり否定しようとする人はその人自身が自分の価値観に自信を持っていなかったり生き方的にもうまく行ってなかったりする事が多い。 こういうタイプの人ってほんとに多いよ。 うまく行っている人というのはだいたい自己を完全に肯定できているため人に接するときにも余裕があり、接していても良い影響を与えてくれる人が多い。
あ〜嫌だ・・・こんな風に考えてしまっている自分が嫌だ。
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