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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
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2008年09月01日(月)
おめでとう、昨日で終わった自分。


以前も似たような事言いましたが、特殊な分野において常々人の目に曝されるのは、何を成したかではなく、何が成せなかったか。
特殊な分野と言うのはつまり全ての事です。なんでも初心者には判らない事があり精通するからこそプロと呼ばれる空間がある。
政治家にもスポーツ選手にも漫画家にも、それ自体がプロと呼ばれるけれど名前負けか否かがある。年数だとかのつまんない話じゃないですよ。サラリーマンにだってプロがあると思います。
その中で、余程の成功例でなければ取り沙汰される事はない。否、そういう風に脚色されているのか。やたらと美談に仕立ててはサクセスかど根性のどちらかを磨き上げ、感激大すきさんしか見向きもしないような、或いは人の喜びはドブの味さんが悪態つくような、そんなものにしかしない。
正味な話個人的には興味が無い。一人の人間として生きている以上その発言が無責任だとか以前に悲しいものだと判っているけれど、それでも生まれてこの方興味を持つべくそれらに出逢った事が無いのだからして。
そしてそれ故に無知である。当たり障りのない情報や浄化されている洗脳内容、そんなもの程度しかこのお耳にゃ届いていないのだから、楽しそうに批判に走る人の気持ちもいつか奇跡が起こるという祈りも解せないものでしかない。

それでも、それでもさ。

結局福田さんが何をしたのか、知っている人なんているんだろうか。
何かしたのか、判っている人がどれくらいいるというのだろう。
その何かは何処でどんな影響を齎したのか、知りもしないで批判だけ声高に言えるのはどんだけ偉い奴だ。
その何かの有無さえわからないような蔑ろな情報操作に踊らされていればそりゃさぞかし気分がいいだろ。
因みにぼかぁ総理大臣が何をしたかなんて、まるで知らないさ。ワンピの効果音のドーンが欲しいね今!
でも、そこにいたのが誰だってきっとくだらない罵倒しか浴びる事はなかったのだろうし、これからそこに行く人も、きっと野次しか浴びる事も無いんだろう。
あんなに望まれて、その場に臨んだのに、聞き心地良く言い易いバッシングを総意として一体化しようとする安易な俗世が、だいっきらいです。お茶濁しか建前か歪曲した言葉かしかない政治屋は勿論の事。


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