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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年09月21日(日)
comme ci, comme ca.


昔は。

昔はすきな人なんていなかった。

男はこわいとしか思えなかった。

女はおもいとしか思えなかった。

それでも人はすきだったから、どうにか誰かをすきになりたくて、誰かにすきになって貰いたくて、のめり込んでばかり盲目的にストーカーのように。

むかしは。

人なんてすきじゃなかった。

誰も優しくなんてなかった。

自分も優しくなんてなかった。

それでも駄目やいけないや間違いになりたくなくて、必死に取り繕ってばかりいた。人並や平静や中庸であろうと、誰かへ向けてと同じように気ばかり張っていた。

昔から。

笑ってばかりいた。所謂処世術だと知っていたから。

泣いてばかりいた。結局処世術だと思い知ったから。

なんでいつもへらへら笑っているのか、気持ち悪いと。誰かがそう言った。

どうして常に煩く騒ぐのか、面倒臭いと。誰かがそう言った。

むかしから。

当たり障り無く笑っていれば事も無しな世を疎んでいた。

取り敢えず泣き叫べば物事は中断され主張なんてどうでもよいのだと嘆いていた。

いつの間にか楽しくも無いのに地顔が笑みになっている事に戦慄したのはいつの日か。

どんなにか伝えたい思いがあっても言葉にする術があっても聞いて貰えなければ無意味だと諦めたのはいつかの日。

昔より。

すきな人はいる。

人は愛すべき存在だと思う。

同時にとてつもなく醜く汚らしいものだけれど。

むかしより。

好きな気がする。

だけど、すきじゃない気がする。

愛しているかも知れない。

でも、それは酷くどす黒い、とても愛情には思えない形をしているんだ。


唯一保持する卒業文集を読んでいたら、同学年は矢張りそれなりに知った顔や名前があるのだと懐かしみながら、寧ろ去来するのは、後悔とか、懺悔ばかりだ。
どうしてもっと、なんの気負いもせず羽を伸ばせなかったのだろう。
そんな風に後ろめたくしかとれなかったら、その時間を共に過ごしてくれた人になんて申し訳の無い。


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