
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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2008年09月28日(日) ■ |
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日々が少しだけ楽しくなる方法探してる。 |
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嘗ての知人達からの年賀状やら、やっぱり買ってあったという記憶は正しかったものの年単位で出て来なかったのだからとつい最近アマゾンで注文した銀魂八巻やら、未読の小説(普通)やら、未読の小説(ラノベ)やら、未読の小説(同人誌)やら、なんかもう大判小判ざっくざくの勢いで飛び出してくるのをひーひー言いながら倉庫整理してみました。 なんつって始めたら楽しくなっちゃって三日くらい止められなかったんですが。嗚呼、そういうところあるよね。 そもそもは自室から出っ張っている部分が気に食わなくて荷物の解体を始めたらノリノリになっていった次第で、よし魔の物置と呼ばれる難所へ今こそ挑戦、なんつってそれを作り上げたのは勿論我が業にして、大体間取りからしたら自室も本来部屋という区切りじゃないんですが。 それは兎も角、取り分け途中から眺めるのも段々放棄した付録群が凄まじかった。ジャンプやマガジン、他購読をやめている筈の月刊誌を今以て溜め込んでいる状況から判る通り、どうでもよかったというよりそこまで手が回らなかったといったところですが。 積もり積もって、収納スペースを潰していたのは恐らく半分くらいは付録だったんじゃなかろうか。使えそうなもの、といってもペンくらいですが、以外は殆ど分別して捨ててしまった事に、やや良心が痛みながらも実際組み立てる気にもならんし例え作ったとて使わない事は明白なので。 昔は大切だったものをやがて大切にしなくなると言いますが、寧ろ持ち切れない荷物故に取捨選択が迫られているような、そんな気分です。 まぁ、某作家の付録だけはちゃっかり取っておいたりしている訳ですが←
付録以外の半分は殆ど先述のどれかの未読本なんですが、その合間合間にこう、嘗て友人とやり取りを交わしていたノートが紛れ込んでいて、なんというんだろうかあれは、各々小話を書いて見せ合っていたんですよ。 単純に見辛い構成であったり、勿論年数が経ってから見る故仕方の無い面ではありますが矢張り稚拙な面があったり、そんで砂ざらざら吐きたくなる展開だったり、更にアイタタタな自己主張とか、重ね重ね、よくもまぁこんなやつとやり取りしてくれていたものですと改めて感謝と言うか懺悔したくなりますが、その方から来ていた手紙もそのノートと一緒にちらちらいて、その中に、自分達二人は一緒にいても遊ぶというより話すだよね、と。 成る程。未だに遊びといったらカラオケかパチンコ(わ)くらいしかようけ知りませんが、元々だべっていればそれで充分な訳ですねなんてお手軽で安上がりだ。 実際討論に熱を込める事が許されるというか楽しみと捉えられる間柄は中々個人的には理想でありつつ、一方で己が論を主張してばかりの自分の話なんか何を聞いても楽しくはないだろうなと。 この口振りでは楽しくしようという努力はしないようですね。えっとー、語彙を増やす! 論調よりも押しつけがましくて判り辛い説自体をどうにかすればいいと思うよ。
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