
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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2008年09月27日(土) ■ |
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狂気はお断り。 |
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食べもののサイズをたまに小さく思っても、欲張って大きくすると本当の美味しさを味わえなかったりするから適切なんだと思われる。 例えばえー、手作りの餃子とかそういうのってもの凄く具材を詰めたくなるけれど、いざやってみると火の通りが甘かったり(サイズが変わるのだから当然っちゃ当然ですが)バランスの悪さに呻いてみたりと、そんな感覚。微妙な例えか? それじゃ、カレーとか肉じゃがのじゃがいもを大きめでごろごろ食べたいと思ってやってみたけれど火の通りが甘かっt(略) 大体火の通りに話が繋がってしまうのも道理は道理なんですが、違うんだそこの部分を語りたい訳じゃないんだ。 先日貰いものの煎餅汁というものを作ったのですが(殆どインスタントに近かったけど)、この煎餅が、適切な大きさに割って食せとあって、それじゃ最初からそうしておけよ寧ろ適切って何かその辺聞きたいねと、まぁつまりいつも通りの発作が起きまして。そうだね強いて言うならば適切なサイズは一口サイズじゃなかろうか、己の。 で、一枚くらい割らずに入れたいと、そういう気持ちを懐いたのは何も自分だけではなく、共に食した兄上様もそうしたいと、嗚呼でも食い意地が張っているだけなのか? 結果はと言えばですから、火の通りがあm(略) 取り分けこの煎餅は要するに餅みたいなものですから、おこげのようにさっくりを求めるのではなく、お雑煮の如くとろっとしたのを美味とするんです。大きければ大きいだけ汁に沈めておかなければならないのに、逸る心を抑え切れない兄妹はいの一番に丸のままの煎餅を口にして、固いね失敗だねと嘆いてみました。 いやしかしこの場合は丸のままだった事より火の通りを嘗めていた事が問題なんじゃn(略)
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