一方では個性を重視し、一方では協調性を。
集団。
日本ではおなじみの言葉だけど、あたしは いつも居心地が悪かった。
小学校の頃あたしはいじめにあっていた。 いじめられた理由は、派手な格好をしてるから
小さい頃からおしゃれをするのは好きで 髪型も自分が気に入るまで何度でも結いなおしたり 洋服も自分なりの「好き」があった。
クラスメイトの女の子たちはそれが気に入らない 「なんでそんな服きてるの?」 たったそれだけでいじめられたものだ。
あたしは当時いじめられてるだなんて自覚はまったくなかった。 (ならいじめじゃないのかも・・笑)
母親はあたしがいじめられてるのではないかと思い 「いじめにあってるの?」とよく聞いていた。 そのときは「いじめられてないよ〜」っていってたけど 大きくなるにつれていじめられてたことを知った。 (かなりな鈍感らしい)
でも、あたしは自分が間違ってるとは思わなかった。 あたしは好きな服や髪型をしてるだけで 何も悪いことはしてないのだから。 (ほかに悪いところがあったかもね)
高校は共学なのだけれどクラスは女子クラスだった。
高校は意味もなく行ってしまったけど 高校入学して上の学校へ行きたいとゆう漠然とした希望があった。
それには、学校の勉強でしっかり点数をとり、 自分にプラスになることはすべてやろうと思った。
だけど、学校の規則にはとらわれたくなかったし それなりの女の子のおしゃれ心も忘れてはいなかった。
髪の毛を赤くしたり、ルーズソックスをはいたり、 ピアスをしたり。
あたしはけじめを自分の中でつけてた。 勉強では上位をキープ。 掃除やきめられたことはこなす。 人が嫌がる仕事をする。
それが普通のことだって思うし、 それを信じて行動するのはあたしの勝手だって思った。
でも、集団ははみだすものをほっときはしなかった。
標的。
でも負けない。 あたしは一人でも平気。
あたしはあたしを信じた。
人はちょっとでも自分とは違う人を見ると疑問に思うかもしれない。 でも最初からそれを否定するのはどうかとおもう。
見て、いやだと感じた瞬間 理解しようとする心をもってほしいものです。
一人で平気。 そうおもってもそれなりに人は傷もので
それからとゆうもの 傷つけられたくない症候群に陥ってしまった。
人の顔色をうかがったり、 人を傷つけるのではないかとびくびくしたり。
最悪の高校生活を終えて今あたしは社会人になった。
それはもう病むのは間違いない世界です。
自分を貫くのはそうそうたやすいものではない。
それだけわかっただけでも一つかしこくなったかも。
君も負けないで。
君を理解し励ましてくれる存在はかならずあるのだから。
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