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嫌いな食べ物「キュウリ」


2001年10月02日(火) 10月2日19時49分

 此れは私に対する報いだろうか?それとも報酬なのか。どちらにしろ今のこの現象は酷く私を失望させ、酷く私を落胆させ、酷く私を絶望の泉へ突き落とし、もう一方では酷く私を…自己愛という快感に浸らせている。
 全く予想もしない事態だった。私はそうあるようにと願いながら行動を起こしてきていたつもりだったが、(多分)其れが認められると或る意味の疑問が浮かんでならない。私は本当に認められるべき事をしたのか?何が其の人にそうも思わせたのか?そうあるようにと願いながら常に心掛けてきた事項が、果たして本当に合っていたことが、不思議でならない。
 今回の事項はある一定の期間、私の其の行動を止める羽目になるだろう。私は何とか私のこの疑問と、この優越感を比べ見、検討し、解消しなくてはならない。
 シュール・レアリズムとは何か。耽美とは何か。文学とは何か。芸術とは何か。残酷性とは何か。或いは人の生や死について、或いは人の愛について、或いは、人の憎悪について。時の流れや、怠慢なことについて。
 其れは本当に不可解な事柄だった。しかし私は其れを考えなくてはならない立場に立たされた。生きてきた中で、最大級の疑問をもう一度、自分に問い直さなくてはならない立場に立たされた。
 狭い世界だと笑えば良い、其の人はもう一度何も思わずに唯只管生と死を操る人では無いことを認識しなくてはならない。

 ティエリー・ペトルチアーニ、11年生。

 崩壊の美を愛す。

 蛆の湧いた薔薇色の傷口は本当に果たして綺麗なのだろうか。
 彼は全く私とは異なる。しかし断片は私であることは確かであろう。何をもって決め手としたのか。幾ら何時も客観的であった私でも、全く理解出来ない事項。其れは私に転移し、理解出来ない自分となる。素晴らしいこの時間も、窮屈なこの時間も、全ては思春期という言葉の枠の中で収まることが出来るわけが無い。
 私はこの人生と、この自分と、この傷と、この愛について考えなくてはならない岐路に立たされた。

 …。怖いほどに当たった正確診断。cccbc…。


さくま