嫌いな食べ物「キュウリ」
2001年11月26日(月) |
11月26日14時26分 |
突然ですが。私は知識をひけらかし、知識こそが知性だと思っている人、と言うのが駄目です。駄目、と言う曖昧な言い方が駄目なのなら(判らん)苦手、或いは反感を覚えます。
確かに知識と言うのは、あった方が何かと便利だし、人間的馬鹿から見たら其の人は知性ある人だと思うことでしょう。然し例えば「正しい御茶の淹れ方」やら「○○を仏蘭西語(独逸語、伊太利亜語、希臘語、英語…)で…」とか、そういったものは本当に大切なのかどうか。そうして私と喋っている内に、何度となく「知らない」という言葉を私が発すると「無知!」とかいう言葉が返って来る人には反感を覚えてならないのです。嗚呼、まあ其の人、と言うのはきっと成長途中で、人生において何が知性なのか、と言うのが未だ掴めずに居るのかも知れないけれど。…私も成長途中ですが、其の位は判ります。
知性というのは元々持った其の人の能力、そして教養、態度、そして感覚の事を差すと思うのです。知識で人の上下を判断する人はもう一度考えるべきです。感覚で推し進めることを嘲る人は、もう一度。
思春期にありがちな現象、其れを全て「少女趣味」というのだそう。知識と言う枠ばかりに嵌り過ぎている人、と言うものに腐敗臭を感じる。そういう人は興味の対象にも、恋愛対象にも、なりえない。唯私が顔を背けて軽蔑の眼差しの対象になるだけです。
さよなら、さよなら。
さよならさよならさよならさよなら。
さよならさよならさよならさよならさよならさよなら…
さくま