こしおれ文々(吉田ぶんしょう)
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2005年03月08日(火) |
三題話『ORANGE』第6話 ハーゲンダッツ |
第6話 ハーゲンダッツ
『新人小説家のコンテストがあるんだ。 応募締切は2ヶ月後、 未発表作品じゃなきゃ受け付けないから、 新しいのを書いてもらうことになる。 正直、時間的に厳しい条件だけど、 どう?やってみないかい?』
打合の際、編集者から言われた一言。
2ヶ月で仕上げるにはかなり厳しい。
それでも、ダメ元で引き受けた。 自分の実力がどの程度か試すチャンス。
万が一何かの賞に引っかかれば、 活動の範囲も広がるし、 なにより自分の励みになる。
これから先、 やっていけるか不安な気持ちもあった。
夢で終わるか終わらないかという次元じゃない。 盲目の自分にとって、 一般社会人として生きることが厳しい自分にとって、 これからの生活がかかっている。
厳しい条件であるほど、 それを乗り越え、達成したとき大きな自信になる。
まずは締切に間に合わせ、 なんとしても応募することが大前提だった。
ただし、そこに 盲目ゆえの大きな問題があった。
俺は普段、パソコンで文章をうっている。
キーボードに点字があり、 その感触を確認しながら文字をうち、 プリンターからも点字で印刷される。
当然画面は見えないので、 うったものに誤字脱字がないかチェックしなければならない。
どんなに慎重にうっても、 人間どうしてもミスがあるし、 なにより点字のテンキーは間違いやすい。
そのチェックの時間で 盲目と盲目じゃない人に大きな差が生じる。
あと2ヶ月、本当に間に合うのだろうか。
『コンテストで賞とったときの前祝いね』
彼女が差し出したのは パソコンのプリンターだった。
『あなたが書いたものを【墨字】で印刷して 私がチェックすればいいでしょ?』 (※点字に対して、普通の文字のことを【墨字】という。)
彼女はあっさりと答えた。
『私バカだから、点字覚えれないからね』
意外な展開に目が点になったが、 彼女への感謝の気持ちと、コンテストへの意欲が高まった。
『ありがと。でも落選したら前祝いが無駄になるね』
『そのときはまたアイス買って。 この前のガリガリ君みたいに安いのじゃなくて、 ハーゲンダッツだよ』
『あぁ、腹壊すぐらい買ってあげる。』
『マジで!?バファリン用意しなきゃ』
『バファリンで下痢は治らないでしょ』
『そっか、優しさが半分じゃ限界あるもんね』
いつもの彼女の【天然】が、 俺の気持ちを落ち着かせてくれる。
不器用で、要領が悪くて、鈍くさいけど その分純粋な優しさを持つ彼女。
俺に出来ることは、いい文章を書くこと。
賞をもらえるかどうかは俺にはどうしようもないが、 納得できるものを書き上げ出展すること、 それが、今俺に出来る彼女への精一杯の誠意だった。
2ヶ月という時間はあわただしく過ぎ去り、 自分の人生の中では最短の2ヶ月となる。
彼女の協力もあって、 なんとか書き上げることが出来た。 自分で言うのもなんだが、なかなかの自信作。
書き上げた瞬間、 達成感、安堵感、疲労感、etc・・・ 様々な感覚が体から溢れ、そのまま床に倒れ込んだ。
遠い意識の中で、 俺はどこかの外国の風景を旅していた。 はっきりと、視覚を感じながら。
俺は山の頂上に立ち、大きな声で叫んだ。 ノドから血が出てもおかしくないほど、 ありったけの声を吐き出した。
いま体にある全ての声を出し切り、 立ちくらみさえ感じたとき、 俺の目の前に、オレンジ色の妙な物体が現れた。
そいつは、神々しいオレンジ色の光を放ちながら俺に近づくと、 俺に話しかけてきた。
日本語なのか、 英語なのか地球圏外の言葉なのかわからないが、 なぜか俺はその言葉にうなずき、聞き入っている。
話が終わると、【オレンジ色の何か】は 目の前から消えていく。
手で捕まえようとするが、 とらえることが出来ず、 俺はただ消えていくのを見送ることしか出来なかった。
ふと気づくと、俺の横には彼女が立っていた。
初めてみる彼女の笑顔。
彼女は微笑みを浮かべながら俺の名を呼ぶ。 何度も何度も俺の名を呼ぶ。
その声はやがて現実のものとなり、 俺は遠い意識の中から引き戻された。
盲目でも感じる蛍光灯の光。
『・・・ここは?』と言うと、
『病院だよ。小説書き終わった後、倒れたんだよ』 彼女の声が答えた。
『オレンジ色の・・・夢か・・・。』
『え?オレンジってなに?』
『いや、なんでもない。』
はっきりと覚えていた。
外国の風景、山の緑、オレンジ色。 二度とその夢を見ることはなかったが、 遠い意識の中で感じた視覚は、 俺の記憶から消えることはなかった。
『もう少し寝たら?』 彼女の言葉に導かれ、俺はまた深い眠りに落ちていく。
彼女は俺の手を握っていた。 母親のような優しいぬくもりを持つ手で。
数ヶ月後、 あの小説は審査員特別賞に選ばれ、俺の人生を大きく変えていく。
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