こしおれ文々(吉田ぶんしょう)
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2005年03月02日(水) |
三題話『ORANGE』第5話 初雪 |
第5話 初雪
母さんが死んで、 悲しむヒマもないほど、あわただしい日々が過ぎ去った。
一人息子の自分にとって、 悲しい現実に 真正面からぶつからなくて済んだことは、 かえって良かったのかもしれない。
落ち着いた頃には、 悲しみよりも、 笑顔のまま死んだ母さんを 一人の人間として尊敬する気持ちの方が 上回っていた。
思い起こせば、 俺と母さんはいつも二人っきりだった。
二人っきりで、 買い物や保育園の送り迎えのとき、 よく手をつないで歩いた。
母一人子一人。 頼れる親戚はいない。
喜びよりも、苦しみや悲しみの方が 多い人生だったはずなのに、 母さんの亡骸は 小さい頃俺をあやしてくれた笑顔、そのままだった。
寝る間を惜しんで働き、 俺を大学まで行かせてくれた。
もうあと数ヶ月で卒業し、 やっと母さんに楽させてやることができると思った矢先、 自分の役目を終えるかのように、 母さんは死んでしまった。
母さんの荷物を整理していると、 俺が生まれて間もないときの写真、 俺が小学生のとき書いた作文、 中学の成績表、 高校のとき初めてプレゼントした手袋、 大学の合格通知など、 自分でも忘れていたモノがたくさん出てきた。
母さんのマメな性格を物語るように、 きちんと整理整頓されている。
涙が出てきた。
母さんの荷物を整理しているはずのなのに、 出てくるのは、 幼い頃から今日までの、俺の成長の証。
昔の恋人の写真もない。 自分を彩る宝石もない。
出てくるのは俺がいままでどう育ったかを知るものばかり。
母さんにとって 母さんの人生とって、 自分の身を削ってでも 俺一人を育てることが 何より大事だったのかを思い知らされた。
『ごめんね 母さんごめんね』
俺から出てくるのは 止めどない涙とその一言。
感謝の気持ちより、 その母さんの優しさや愛情に 答えることができなかった悔しさ、 親孝行できなかった憤りが 俺の体の中を駆けめぐった。
俺は涙を拭き、 なんとか気持ちを抑え、 最後の荷物である、小さな紙袋を手に取った。
その小さな紙袋の中にあるもの、 それは表紙が色あせ、 ずいぶん昔に買ったものと思われる本が一冊、 そして、母さんが俺に宛てた手紙が一通。
俺は、 その手紙を何度も読み返した。
一度や二度では理解できず、 何度も読み返した。
何度も読み返し、 自分の父親が誰なのかを知り、 なぜ母さんが女手一つで俺を育てることになったかを やっと理解した。
その意外すぎる文面に 腰が抜け、魂がどこかへ飛んでってしまった。
我に返り、 やっと頭の中で手紙の内容が整理できたとき、 俺は旅立つことを決意した。
【オレンジ色の何か】をさがす旅。
幼い頃、 泣きじゃくる俺をあやすときに、 母さんがよく聞かせてくれたお話。
それが、【オレンジ色の何か】。
雪が降っていた。
きっとすぐに晴れるのだろう。 空は冬であることを疑うほど青く澄んでいる。
地面までたどり着くと、 雪はあっという間に融けてなくなる。
【雪】という称号を奪われているかのように。
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