こしおれ文々(吉田ぶんしょう)

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2005年02月28日(月) 三題話『ORANGE』第4話 加速した日々、訪れる冬、深い傷跡


第4話 加速した日々、訪れる冬、深い傷跡

順調すぎるくらいだった。

35歳で部長まで昇格し、
年収は2000万ちょっと。

十分すぎる資金力を身につけ、
俺個人の顧客も
会社社長、スポーツ選手、果ては政界まで、
幅広い層を獲得していた。


独立することになんの戸惑いもなかった。


いまの蓄えさえあれば、
例え軌道に乗るまで2〜3年かかったとしても
妻と息子に苦労かけることもない。

なにより、
独立して本格的な『資産運用』を手がけることになれば、
商品先物だけを勧めるのではなく、
全ての金融商品を対象とすることが出来る。


それだけ客に対する説得力は増すし、
客のライフプラン全てについて
アドバイザーとしての立場を獲得できる。

俺は小さい事務所を借り、
個人の資産運用を手がける会社を立ち上げた。
社員は妻一人。
と言っても、妻の仕事は客にお茶を出したり、
電話の応対させるぐらいの簡単な手伝い。

実際は俺一人で全てをこなさなければならない。

それでも、
自分の野心を震え立たせるには
ちょうど良い環境だった。

同僚に、一緒に立ち上げないかと
誘われたこともあった。

しかし、今の環境なら、
稼いだ分が、全て自分のモノとなる。
例え厳しい環境であっても、
軌道に乗るまで多少時間がかかっても、
頂点に立つという野心を達成するためには、
この形が一番の近道だった。


会社ではなく、個人としてでは、
後ろ盾がない分、敬遠し俺から離れていく客がいるのも事実。

しかし、一人の客の結果を出せば、
そのつながりからも客は増えていく。

プラス・マイナスが
ほんの少しでもプラスとなっていれば、
あとはそれを蓄積していけばいいこと。

数字の上で、軌道に乗っていない段階でも、
それが俺の頭の中で
十分予測されているものなら、
俺としては軌道に乗っている状態と同じだった。



そして、
追われるように仕事をこなした日々は過ぎ去り、
崖っぷちに立たされていた俺は、
ほんの少し足場が固まりつつあることを実感していた。

凄まじいスピードで駆け抜けた日々は終わり、
自分の中で少しアクセルをゆるめた。

季節は秋から冬の変わり始め、
体を包み込む空気は、
汗腺から侵入し、
五臓六腑までも凍らせようとする。


いつもより厳しい寒さを予感させていた。


独立してから、3年の月日が過ぎていた。

加速すればするほど、
人の視界は狭まり、
通り過ぎる風景は小さくなる。

たくさんの人とすれ違っていたが、
その中のうち、俺はどれだけの人を認識していたのだろう。

満員電車で足を踏まれたことは覚えていても、
自分が他人の足を踏んだことは忘れてしまう。

俺自身、客の金を増やしたことは覚えているが、
損させたことは、すっかり忘れていた。


市場に絶対はないからそこ、
予想通りのときもあれば違うときだってある。

俺の中で【当たり】と【ハズレ】であっても、
客にしてみれば、
たまたまある人が【当たり】であって、
また違う人は【ハズレ】である。


客が増えれば増えるほど
当たりの人もハズレの人も、その絶対数は増えていく。


そんな見え透いた言い訳は、
何かが起きた後ではただの理論でしかなく、
傷ついた事実を【傷つく前】に戻すことは出来なかった。


傷口からは血が流れ、
例えふさがったとしても、傷跡は残ってしまう。


その傷が深ければ深いほど、
大量の血が流れ、
ふさぎきるのに時間がかかり、
鮮明に傷跡は残ってしまう。


そしてその傷は、ハズレを引いた客とは限らなかった。



管理人:吉田むらさき

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