こしおれ文々(吉田ぶんしょう)
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2005年07月14日(木) |
虚構【燃やしたいゴミ】ケース3−2 タバコ(タバコ) |
吉田虚構【燃やしたいゴミ】
ケース3−2 タバコ(タバコ)
男性は窓の外を見た。
病院の窓という味気ない額ぶちに広がる風景は、
一種類の青で染まった空と 数え切れない種類の緑色を用いた草木、 そしてキャッチボールする親子で構成さえていた。
男性は話し始めた。
私がちょうどあの少年ぐらいの年齢でした。
私には今でもわかりません。
当時、父親を取り巻く環境にどんな変化があったのかを。
それまでとても優しかった父親は、 服を汚すまで遊んできた私を怒鳴りつけ、 母親の目の前で、 私の腕にタバコを押しつけました。
それ以来、私の体にタバコを押しつけた跡は 毎日一つずつ増えていきました。
箸の使い方、言葉づかい、学校の成績・・・。
あらゆる理由で父親は私を叱りつけ、 タバコを押しつけるのです。
当時の私は、 父親に怒られないよう、 父親に気に入られるよう必死で努力しました。
一度でも虐待だと思ったことはありません。
すべて父親を怒らせる自分が悪いのだと。
父親は服を着ていれば見えない場所に タバコを押しつけましたが、 それでも、 普段学校に通っていれば、いずれ周囲の人に気付かれます。
ある日、私の前に現れたおじさんは 『これからはお父さんとは別々に暮らすんだよ』と言い、 私の手を引いて施設へ連れて行きました。
あとで聞いた話では 学校の先生が私の異変に気付き、 児童相談所へ連絡したのだそうです。
父親との最後の別れ。 それ以来、生きている父親とは会っていません。
先日父親が死んだという連絡を受け、 無縁墓地へ行ってみると、 小さな白い容器を渡されました。
20年ぶりに再会した父親は、 私の手に収まるほど小さなものでした。
『お母さんは、 お母さんは君への虐待を止めなかったのですか?』
医師の問いに男性は言った。
さあ・・・。
止めようとしなかったのか、 止めようとしても止められなかったのか・・・
私が施設に入ってすぐ両親は離婚していますし、 今はどこにいるのかさえわかりません。
父親同様、母親とも施設に入ってから一度も会っていません。
『あなたはお父さんを、 というより両親を恨んでいますか? そしてなぜ、一カ所だけ火傷の跡を残したのですか? その左腕にある火傷の跡だけを。』
恨んでいないと言ったら ウソになりますが、 どちらかというと 恨みより同情という感情の方が 近いのかもしれません。
父親を恨んだって、 彼はこの世からいなくなりましたし・・・。
火傷の跡を 望燃物として申請したのは、 【虐待】の過去を抹消したいからではなく、 私の過去に貼られた 【虐待】というレッテルを剥がしたいからです。
どんな過去であっても、 それは私という人格をつくる要因の一つであり、 紙切れ一枚で過去を否定してしまえば、 私自身を否定することと同じです。
人は後悔することで、 次に後悔しないための努力を積み重ねます。
虐待を受けた過去を取り消しても 虐待を受けた記憶は私の体に残るでしょう。
その記憶は、 どんなに押し殺しても、 私が父親となったとき目を覚まし、 父親と同じことを我が子にするのかもしれません。
それならいっそのこと 私の過去に貼られた【虐待】というレッテルを剥ぎ、 父親への感情を恨みではなく、 愛情へと変えることで、 過去を押し殺すのではなく、 自分の過去として認めることで、 自分の子どもを愛せるようになりたいのです。
『その過去を忘れないために、 そして受け入れるために 一カ所だけ火傷の跡を残したのですね』
医師の問いに、男性は横に首を振った。
それだけではありませんよ。
20年も会っていなければ たとえお腹を痛めて産んだ子供でも 顔がわからなくなると思ってね
『もしかして・・・、お母さん?』
医師の驚いた表情に男性は目を細めた。
この火傷の跡がつないでいるのは 私と父親だけではありません。
初めて父親が私にタバコを押し付けた場所、
母親の目の前でタバコを押しつけたとき出来た、 この左腕の火傷の跡だけは 残さなきゃいけない気がしたんですよ。
そう言うと男性はまた、窓の外を眺めた。
キャッチボールをしていた親子はいなくなり、 草木の緑はオレンジ色に染まりはじめていた。
数日後、男性は退院した。
医師の見送りに、少し照れながら軽く頭を下げた。 その足で処分センターに行くのだと言う。
そこでまた一つ、 【燃やしたいゴミ】は処分されることとなる。
ケース3 〜終了〜
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