今更ながら、日本人は無神論者なのではなく、 無自覚なアニミズムを未だに抱いているだけなのだと考えた。 神仏習合とか、まさしくアニミズムの為せる業。 何処にどういう神様が存在しても可笑しくないと思い、 譬えそれがアッラーだろうがキリストだろうがラーだろうが釈迦だろうが、 神仏はやたらありがたいものだと何でも受け入れる。 何でも吸収してしまう日本人と日本文化は、実は相当エネルギッシュな気もする。
山岳信仰の有名なものに、富士信仰がある。 江戸時代に最も流行ったそうだが、今も各地に小富士が残っている。
突然だが、小さい子供はよく富士山のような絵を描く。 かく言う私も、小学校低学年までは、しばしば富士山の絵を描いたものだ。 『山』を描くと言えば、それは即ち富士のことであり、 山頂で太陽を戴く人を描いてみたり、山道を登る人を描いてみたりと 子供なりに色々な創意工夫を試みた。 近頃の子供も果たしてそうであるのかは分からないが、 今からおよそ10年前、幼児の私はそうであったのだ。 取り敢えずは私も女の子であったので、勿論一番よく描いていたのは お人形や花や女の子、お嫁さんなどであった。 富士は、その合間に気紛れ的に描いていた物だ。 しかし私が富士を描くとき、いつも絶えず心掛けていたのは、 如何に富士を雄大に描くか、ということであった。 さすがはアニミズム大国、日本。 縄文の時代を遥か超えた現代でも、その精神は奥深い所に根差しているらしい。 東京へ行く途中の新幹線の中、窓から眺めた富士は、 幼いながらも感動せずにはいられなかった。
しかし富士山って、休火山でしょ? 死火山ではなかった筈。 ということは、いつか爆発するかも知れないのだ。 確か小松左京氏の『日本沈没』(?)って、富士山の爆発が沈むきっかけになったのではなかったっけ。 そう言えば三宅島の方々はどうなっているんでしょうね。 先日の天声人語に載っていた気がするのだけれど。 自然の前に人間はなんとも呆気無いものです。 そう考えると、火山帯列島日本に於いて、アニミズムや山岳信仰は当然の話だったんですね。
被災者の方々に、主の特別な慰めと祝福がありますように。 アーメン。
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