先日、オープンキャンパスに行ってきた。 以前日記にも書いた社会問題論議の友人、Mと。 Mは法学部に、あたしは文学部に取り敢えず行ってみた。 うーん、まあなかなかイイ感じです。 それなりに手広く勉強できるらしいし、環境も整ってるし。 その大学を妥協として選ぶのではなく、希望として選べるようになったのは何よりの収穫ですな。
その帰り、現実逃避型受験生の我々はデオデオ(電気店)で遊びまくった。 パソコンとかパソコン周辺機器とかオーディオとか見て遊べる高校生は変だな、 とか言い合いつつ、気が付けば数時間を過ごしていた。阿呆だな。 ついでに剛さんのアルバム発売日だったので買って帰ろうと地下のCDショップへ。 そこでまた何やかやと時間潰してたんですが、 シングルが置いてある場所でやたら、あややを薦めるあたしに、彼女の名言が。
「(あたしのあだ名)って本当に、馬鹿な子好きだよね」
これを聞いた瞬間、あたしは彼女を心底「すごーい」と感心しました。 鋭いなぁ、というか、簡潔に述べるなぁ、というか。 自分でも常々「阿呆な子ほど可愛い」と言っているが、 友人にまで言われるとこりゃあもう仕方が無いな、と思えてくる。 「本当に」と付け加えられてる辺り、普段から彼女がそう思っていただろうことが伺える。 ……普段からこんな阿呆なことばっかり言ってますもんね、あたし。(反省)
蓋し、あたしが阿呆な子好きなのは、無いもの強請りが作用しているのではないか、と。 天然で阿呆なのが許されるのは、可愛い子(男女問わず)の特権である、 とあたしは思っているのです。 だから、自分には無いそういう部分を求めてんのかなー、みたいなね。 そしたら今度は、その「可愛い」の基準はどうなるんだ、ということになるが、 あたしの外見的「可愛い」の基準は、殆ど全て性的アピール度です。(断言) だから女の子で言うと、あややとか加護ちゃんはロリ系かな、と。 ロリってのは凄い性的アピールですよ。 人間のアイデンティティは発達した大脳新皮質ではないかと思うのだが、 つまり人間である為に必要不可欠な理性を脅かす危険性が非常に高い。 ロリは人を容易に犯罪者にする力がある。 それってつまり、ナボコフ作「ロリータ」ってことなんでしょうが。
男の子で言うと、何なんでしょうな。 あたしの趣味ってどんなんだろう……。 そっちの特別な意味で考えると、小動物的な人に弱いんだろう。 剛さんの小動物的な振る舞いに、何度あたしは自首を考えたか。<大丈夫か? なんかね、これは勿論性的アピールというのはあるんですが、ちょっと違う要素もある。 男性に小動物的な部分を求めるのは、とっても贅沢なことだなぁと思って。 そもそも小動物って、男性的ではない。 だから不要なものを敢えて存分に備えているっつーのが魅力なんです、あたしにとって。 とか言っても、実際に小動物的な人とは結婚しないです。 ちょっと耐えられん。いろんな意味で。 多分あたしはストライクゾーンがかなり広域なので(笑)、普通の人選を。 それには色々理由もあるけれど、 「欲望に突っ走ると滅びる」 というのが普遍的な一因ではあるかなぁ、と思う。 でも見てるだけならタダだしね〜。へっへっへっへっ。
そう言えば、さっき友人とメールしてるとき。
あたし:「アヤヤのコンサートに行ってみたいな〜」 友人Y:「ムサイ男とアヤヤの密室だよ…」 あたし:「熱狂的な彼らに紛れて、ひっそりと冷静にアヤヤを見てみたい」 友人Y:「あれはまるで宗教みたいだな」
……上記のような遣り取りをしていた。 改めて起こしてみると、随分ひねた女子高生のメールだな……。 たまたまテレビCMであややのコンサートが流れてたからね。 いやー、是非行ってみたい。 モー娘。でもいいかな、と思ったんだが、やっぱりあややだろう。 あやや一人に、会場全体が熱狂するというのは素晴らしい。 ……とか言ってたら、 「じゃあ、視点を変えてキンキのコンサートに望めば良いのではないか」 とも思ったんだが、それはやっぱり却下だな。 何故ってつまり、あたしが剛さんを目の前にして、冷静でいられないからです。 『情熱』が掛かった時の己をよく思い出してみれば、非常によく分かる。 ひたすら双眼鏡で腰付きを追っていたからな。 いやぁ、よくお巡りさんに捕まらなかったもんだ。ごめんなさい、光一さん。 でも彼のダンスは凄いです。 「止めてください、お客さん」な感じ。(よく分からん) しっかり腰使って下さるのも大いに結構ですが、やる気無さ気に踊られるのもまた良し。
……言うことが悉くオッサン化している。 発想がオッサン、と言うべきか。 何をどう間違えたらこんな人間が育つんだろうか。
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