ここ数日で、短い間に色々あり過ぎて、疲れた。 何から日記を書けばよいのやら。 あり過ぎて困ります。 あたしは肝心なことだけを要約して簡潔に述べられる人間ではない。
まずは今年の8・6について。 何か自分にも出来ることは無いだろうかと考えて、 オモテのHPにささやかながら祈りの呼び掛けを書かせて戴いた。 そしたらきちんと応えて下さった方がいらして感動しましたよ。 あたしもそんなに真面目な人間ではない。 ただヒロシマに生まれた者として、ヒロシマに関わった者として、 何らかの責任はあるものと思っている。 取り敢えず自分の人生の大きなテーマとして、8・6の認識を広めたいと思っている。 でもワールドワイドな話じゃなく、国内で。 折角平和憲法を保持している日本で、今は余りに平和に対する意識が薄いと思うから。 ヒロシマとナガサキのある国として、もっと関心と知識を持って欲しい。 最低限でいいから、ヒロシマとナガサキのある国の国民として。
あたしがこういう風にヒロシマを意識し始めたのは、去年の学校の慰霊祭がきっかけだったと思う。 ウチの学校は爆心地に近くて、校内で礼拝中に被爆したから、 学校の敷地内に慰霊碑が立っている。 毎年、その慰霊碑の前で慰霊祭を行っている。 昨年はたまたまその式典の担当が高校の番だったらしくて、 あたしは国語科のM先生の申し付けで追悼文を読ませて戴くことになった。 何であたしなのかはイマイチよく分からんかったが、 引き受けたからにはきちんと自分の中のヒロシマを明確にしなければと思い、 改めて祖父母に被爆体験や戦時中の体験談を聞いてみた。 その話の中で、あたしが最も強く心を動かされたのは、 「もう若いモンにあんな思いはさせとうないのう」 (広島弁の分からない方の為に訳:もう、若い人にあんな思いはさせたくないなぁ) という、祖父の何気無い、でも深い一言だった。 聞いた途端、つい涙が出そうになって、でもあたしは意地っ張りなのでそれは堪えた。 でもこんなに深くて明確な言葉は無い。 その時「二度と同じ過ちを犯してはいけない」と、初めてはっきりと思い知らされた気がした。 先日の朝日新聞の天声人語ではないが、被爆者の殆どは民間人だった。 日常の中の非日常。それが8・6だと思う。 普段の生活の中で、たまたま8月6日の8時15分に原子爆弾が投下された。 今、平和公園がある場所は、とても広くて一見公園のようにも見える。 しかしその場所は昔、中島町という普通の住宅地であった。 つまりあの広さの分だけ、まるまる町が死んだのだ。 9・11のテロ事件の時にも感じたが、アメリカは未だに真珠湾攻撃を忘れない。 忘れないことはとても大事だとは思う。 今は研究も進んで、真珠湾攻撃が決して不意打ちではなかったことが分かったが、 アメリカ人の記憶の中には真珠湾攻撃は「卑怯」な「不意打ち」として残っている。 しかし、では原子爆弾投下はどうなのか? こちらも同じように、いや、真珠湾攻撃の倍以上の民間人が命を落としている。 普通に暮らしていた中に、驚異的な破壊を突然もたらされた。 アメリカは「戦争を長引かせない為の正当行為」と言うが、 あれだけの人命をあっけなく奪っておいて、正当行為と言い切れるのだろうか。 これはアフガン空爆にも通じる、偏頗な正義感だと思う。 しかしそれがまかり通っている以上、日本はヒロシマ・ナガサキを忘れてはならない。 ノー・モア・ヒロシマは、標語じゃない。 言葉に行動が伴わないなんて、朱子学じゃないんだから。 言うだけなら、誰にも出来る。
ただ、被爆の記憶を捨ててはいけないように、加害者としての記憶も忘れてはならないと思っている。 日韓併合、満州占領、南京大虐殺、今も残る在日問題。 まだまだあるだろうが、あたしは勉強不足なので申し訳無い。 それら加害者としての記憶も持たなければ、平和を呼び掛ける資格は無い。 例えば、身の回りに即して考えて。 悲劇のヒロインぶった奴に、誰が同情するだろう。誰が共感するだろう。 自分がやってきたことの責任とか、全部負った上で傷も見せなきゃ、誰もきちんと見て聞いてくれない。 ゆとり教育だとか何とか、学科を簡単にしたんなら、こういうことこそ学ばせなくてはならないのじゃないかしら。 はっきり言って、我々の世代が日本を背負って立つ頃のことを思うと、恐ろしいです。 前述のM先生が先日、学校新聞で仰ったこと。 「(その頃の日本は)少数のエリートが多くの凡人を引っ張っていくだろう」 言い得て妙ではないでしょうか。 でも少数のエリートに破綻が来て、ひずみが生まれたらどうするのだろう。 小さな面積を圧迫していれば、それだけ不具合も生じやすい。 ……とは言え、今更軌道修正なんて効くのかな……分かんないですね。全く。
何か熱くなり過ぎたので、今日はこれだけにします。
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