日記病者

For God so loved the world that He gave His only begotten Son,
that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
John 3:16




2002年09月06日(金) 生命倫理におけるクローン

日記を書けないのと書かないのとでは大違いである。
と、つくづく思い知りました。
普段から真面目に書いちゃいないが、
自分がぐうたらしてて書かないのと、
忙しくて書けない(或いは己を律して書かない)のとでは、
ストレスの度合いが全然違うっす。
書きたいのに書けないよーん、となると無駄にイライラするわ〜。
学校でブランクの時に書いてもいいんだけど、
やっぱちょっとでも勉強した方が……とか思うと書けない。
どうせどっちにしろ大して勉強してないんだけど。

本日のタイトルは何を思ったか、大変難しげです。
生命倫理におけるクローン、と。
何でかっつったら、聖書の授業で今回生命倫理を取り上げるらしいので。
最初はクローンとか遺伝子工学とかについてらしい。
医学的な面から考えたら、自分の内臓のストックとしてのクローンはとても有用らしい。
確かに自分のストックだと思ったら良いかも知れんが、
クローンっつっても、やっぱり人間な訳でしょ。
しかも他ならぬ自分な訳でしょ。
それって複雑じゃあないかのう……。

クローンの立場になってみる。
遺伝子的にも全く本体と違いの無い自分。
入れ代わっても誰も気付かないに違いない。
なのに、自分はストックであり、人権も尊厳も保障されない。
本体のコピーとしてだけに作られた。
クローンにも人間の心が備わってるんだから、そういうことを考えるんじゃないかね。
それとも、必要な内蔵とか器官だけを複製するんすか?
あたしはクローン技術に関して全くの無知なので、
「人間」を複製するのか、「一部」を複製するのか知らんけどさ。

極論だけど、病気したり、死んだりするからこそ生きる価値があるんじゃないのかなぁ。
いざ病気になったら怖いし、やっぱり治りたいと思うけど、
そういう怖さがあるから生きていけるんじゃないかと思う。
悪くなったら取り替える、とか機械みたいになるのは、あたしは嫌ですな。
別にあたしも早く死にたいのではない。
出来ればずっと健康でいたい(必要以上の長生きはしたくないが)。
倫理的な面のみでの意見ですが、人間にしろ他の動物にしろ植物にしろ、
「複製」という行為は、人間が足を踏み入れてはいけない部分だと思うっす。
複製って怖いよ。
元々を自分が作ったのでもない癖に、作った気になってしまう。
コピーは所詮コピーで、コピーしか作れない者にはオリジナルは作れないというのに。
でも人間は愚かだから絶対に何処かで履き違えてしまうだろう。
そういうことを思うととても賛成できないですなぁ。
なまじキリスト教に触れてるだけに、余計に否定的にならざるを得ない。

クローン技術は、このまま進んでいけば将来的に脳の移植も可能になるらしい。
もしあたしの家族が脳の病気で治らないとなったとき、
やっぱりあたしはクローン技術を以ってしてでも治して欲しいと思うんだろうか。
……きっと思ってしまうであろう自分が分かるからこそ、余計に反対してしまうな。
こういうことは何処で歯止めを掛けるべきなんだろうか。


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東風 [MAIL]

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