本日の古典の授業中のこと。 『源氏物語』の『心づくしの秋』をやるにあたり、 何かの拍子にふと先生が 「王子様」 と仰った。 途端にあたしの脳内では 「王子!? 光一堂本!!」 という何とも阿呆な変換が為されて、我ながら呆れてしまった。
健気なファン心理とでも申しましょうか、こういうことは、ままある。 例えば、ベタなところで天気予報。 「今日の近畿地方は一日中晴れです」 と言われると、何だか嬉しくなる。 限りなく馬鹿。
また他には、朝の通学途中の光景。 何故かウチの学校近辺では、通学中に犬の散歩をしている人をよく見かける。 朝の8時頃なんだが、それって一般的な散歩タイムなの? ペット経験の無いあたしには分からんが。 んで、よりにもよって見かける犬は殆どミニチュアダックスフント。 色違いで4匹くらい見かける。 非常に可愛い。 ツヨシさんとこのケンちゃんとは違って、ちゃんとミニチュアサイズを維持している(笑)。 つまりあたしは、そのワンちゃんたちを見かける度に、 ツヨシさんとこのケンちゃん(+飼い主)を思い出すんですな。 この上なく阿呆。
全くこんなにあらゆることに過剰反応して、涙が出て来るさ。 これがもっと受験勉強に応用されてたら嬉しいんだが。 そう都合良くはならないもんです。
最近は若干熱も冷めてきましたが、 数週間前はしょっちゅうツヨシさんのアルバム『ROSSO E AZZURRO』を聴いていた。 通学の必須アイテムだったり。 んで、何気なーく自転車を漕ぎながら聴いていて、ある歌詞が引っ掛かった。 『あなた』だったか『心の恋人』だったか、どの曲だったかは忘れたけど、 もし私の命をあなたの為に捧げるとしても……みたいな歌詞があった。 なんか一瞬、慄然としてしまった。 あたしが冷たい人間なんでしょうか、愛する人の為に命を捧げるなんて考えられない。 その人を助ける為には何でもするかも知れないけど、 自分の命をまるまる捧げてしまうなんて、あたしには到底無理です。出来ない。 あたしにはあたしの命があって、その人の命はその人自身のものだから、 そこの境界を踏み越えることはあたしには出来ません。 結局やっぱり、自分の命が惜しいんだな。
それに何か、自己犠牲の愛というのはあたしには恐ろしい。 まだまだコドモね、と笑われるでしょうが、恐ろしいっつったら恐ろしいんだよ。<逆ギレ? 例えば自分が『愛する人』の立場になったとして。 命を捧げられても、それは逆に悲劇的だなぁと思う 自分の為に誰か自分の愛する人が命を投げ打つというのは、 逆に自責の念にも駆られてしまうし、自分の存在価値を必要以上に問う羽目になる。 ……と思うです。ええ。 これは相思相愛が前提な訳だけども、 結局お互いに相手が『愛する人』なんだから、 自分が相手を必要とする重みと、相手が自分を必要とする重みは同じであろう。 『愛する人』の命によって救われた自分、ってのは、何か皮肉で苦しいなぁ。 未経験者はそう考える。
うーん、上手くまとまって言葉に表現出来ない。 未熟者だな。お恥ずかしい限りであります。 ツヨシさんがそーゆー詩をお書きになるのは、 そんなに何も見えなくなるくらいに人を愛したことがあるからなのか、 それともあたしより遥かに乙女心を持ってらっしゃるからなのか。 ……どっちもありそうな気がする(笑)。 でも彼もあたしに負けず劣らず(ひょっとするとそれ以上?)の理想家ですよね。 どうやって育てたら、あんな純粋な子が育つんだろう。 ツヨシさんのお母様を尊敬しつつ本日の日記は終わる。
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