| 2004年08月06日(金) |
平和祈念式典行ってきた |
ちゃんと約束通り、友人Yと平和祈念式典行って参りました。 高校にいる時分から行ってみたいとは思ってたけど、結局これが初めてです。 思ったよりもかなり人が多く、もう何処見ても 人、人、人、警察、人、警察、人、人、警察、警察、人、……みたいな。 県外からいらっしゃる方はおろか、国外からいらっしゃる方もおられるのだから当然か。
わたくしチビ助の上に人垣の最後尾にいたものだから、 献花とか、式典の中心部の様子は何ひとつ見えなかったが、 あの場所で8時15分に黙祷出来たことは大変意味のあることであったように思う。 暑くて汗ダラダラで、立ってるだけで「うおーっ」ってなりそうだったが、 行ってよかったです。 来年は被爆60周年だし、またちゃんと行きたいなぁ。
そういえば小泉首相が平和宣言か何かをなさってたと思うんだけど、 声が小さくて小さくて何言ってんのか全然分からんかったでよ。どうしたの。 またその上に、広島市長の秋葉っちがハキハキ喋るもんだから、 秋葉っちの直後だった小泉首相はますますしょんぼりして聞こえた。 だってね、小泉首相の後だった県知事の声さえもしゃっきり聞こえたんだもの。 ちなみに県知事とゆーひとは、のらりくらりとした平安貴族のような方です。 普段わたくしの母や友人Yとの間では「麿(まろ)」とあだ名しておるような……。 まぁ小泉さんもお疲れなのかもね。うーん。
それでやっぱり平和祈念式典に行ってきて思ったことは、 卒論の重点は、どうしても「原爆の被害」から離れたところに置けないな、とゆーこと。 「倫理的」に、どのように取り組めばよいのか、って困惑があって、 (そもそもまだ倫理学自体をよく分かっていないのだから) 殆どがクリスチャンである筈のアメリカは、どうして大量殺戮兵器を承認したか、 って切り口も考えてはいた。 でも人間って勝手な生き物だから、宗教なんて結局そんなに拘束力もなかろうし この切り口は底が見えているような気もしていた。 しかし別にそういうことでもないんだよ。 なんで「ヒロシマを伝えていかなければ」って思うのかといえば、 二元論的な善悪の問題だけではなくて、 原爆の被害、というものの悲惨さを知ったからだったのだ。 悪いことだから、とか、そんな単純な価値を越えて、 もう言葉に出来ないほどの何か、だと思う。 痛い、とか、つらい、とか、惨め、とか、不幸、とか、悪魔的、とか そのいずれもが当てはまり、いずれもが満たすことの出来ないもの。 一時的苦痛ではなくて、ずっと存在を小さくすることもなく留まり続けるもの。 原爆がもたらしたものは、そういうものだと思う。 当たり前のことなんだけど、再認識した。
とはいえ、相変わらずどうしてよいものやら分からないのよね。 しかし取り組み方が分からないのは、全体を知らないからだ。 ってことで、まずは第二次世界大戦を知ろう、と思い、 本屋で「世界の歴史 第二次世界大戦」という本を買ってきた。 著者、出版社は今本が手元にないのであしからず。 歴史的背景をよく知らなきゃ話にならんよね。取り組むのが遅いけど。 必要なことを挙げていくと、気が遠くなるくらいの資料を漁らんといけん訳だが まぁ4年生までに書けばいいんだし……と思って地道に頑張ります。うん。
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