日記病者

For God so loved the world that He gave His only begotten Son,
that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
John 3:16




2004年10月17日(日) 生存の合理性

日本シリーズのおかげで放送時間がずれ込んだようで、
仕方なくEZ!TV(フジ系列)見てたら、自殺サイトについて取り上げておった。

健康な状態、というか何というか、高校生くらいまでの私は、
集団自殺とか自殺サイトとか聞いて、
「人がいっぱい集まって死ぬなんて怖いなぁー」
と、なんとなく思っていた。それくらいだった。
生きることが苦しい、とか、何故生きなければならないのだろう、とか
そういった困難に行き当たることは勿論それまでにも何度かあったけれども、
ただ単純に、生命を人為的に断ち切るという行為が怖かったし、
そのような不自然な行為を更に複数の人間が一緒に行う、という異様な形が怖かった。
それはそれでまことにありふれた、ごく自然な感想だと思う。

しかしここ最近、ふと思うのだけれど、自殺の非合理性を一体誰が説明出来るんだろう。
そもそも、生きているということ、
――宗教的には生かされているということ――、
それ自体が不条理ではなかろうか。
何で生きてるんだろうっていっても、それは生まれたからに過ぎないし、
じゃあ生まれたからってどうしてこの生を持続させなければならないのかというと、
それ以上はもう何ら説得力のある回答は用意されていない。
では生存することの合理性が証明出来ないなら、当然死の非合理性も証明出来んわな。

電車に飛び込んだりとか、あんまりにも人様に迷惑掛けてしまうような死に様は頂けないが、
自殺自体を頭から否定されるのには納得いかん。
自殺って最終的な逃避手段だろう。
いいじゃないか、そこまで思いつめたんなら、死なせてやってくれよ。
死ぬ以外に出口が見つからなくて、死ぬことでやっと逃げ出せたんだから、
責めてやらないでくれ。頭から否定して掛からないでやってくれ。
――なんつー弱者の立場に偏りすぎた意見はあまりにも鬱患者すぎるだろうか。

おいらが死んでないのは、何でなんだろう。
やはり臆病者だというのが一番の原因なんですかね。
怖いのとか痛いのとか嫌なんだもん。
あとはやっぱ、どうしても家族とか友人とか思い浮かぶのだな。
一人でも自分が死んで泣いてくれる人がいる限りは、おいらは死ねそうもない。
死んじゃったら意識も何もかもなくなって終わりになって、きっと楽なんだろうと思う。
でもなぁ。なんかなぁ。だめだな。
少なくとも、母様より先に死んじゃいけない気がしてな。
苦しくても生きていかなきゃいけないんだよ。人間て因果な生き物だね。
なんで自分は生かされてるのか、神様と直接お話出来たらいいのに。


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東風 [MAIL]

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