- 2000年07月01日(土)
★1・「借り物」の「カテゴリー」
★2・過去の記念日
★3・ザ・スクープ
★1・「借り物」の「カテゴリー」
04/07/01 編集
☆「GID」のの中に「IS」に拘る人がいる(目立つ)わけ
(もしかしたら、私だけじゃないかもしれないなー、と思って(^^;)
いちいち書かなくてもいいことなのかもしれないけれど、自分の身体が「間違った方向」に育っていってしまうのを、なんとか自分なりに理解しようとして、「自分は実はISだった」、それも違っていたとわかれば「ISだったらなぁ」ということになるのですよね。
現実のISの人の中には、自分の身体のあり方を「認める」ことさえもできない人だっているので、こんなふうに「うらやましい」などと思われたらハラが立ちますよね。
で。それどころじゃなくて。
☆本当は、「IS」とひと言で括ってしまうのも、どうかなあ、という気がしてきました。
「性の種類は人間の頭の数だけある」という言葉を誰が言ったのか知らないけれど、「IS」とまとめて呼ばれてしまう人たちの中には、どんなに「カテゴライズ」してまとめようとしても「同性」というような括り方のできない人たちがたくさんいるのです。
その意味では、たとえ「分かりにくい」ものだとしても、一つ一つの「性別」(それは、現在はそれぞれの「症例」とされているけれど、なぜそれが「〜症」と病気の名前で呼ばれなくてはならないのだろう?)について、できるだけ多くの人が「知る」べきだと思うのです。
ただ、それが結局ステロタイプな「性別概念」を作り上げてしまい、そこから「あてはまらずに抜け出す」人が出てくるのでしょうけれど、そうなったらGIDと状況は同じになるので、それはそれでいいのかもしれないとは思いませんか?
☆そして、私は
自分の身体がどうしても認められない人。
「IS」(ってけっきょくひと言で括ってしまっていますけれど、許して!個別に指す言葉がないんだもん、まだ)の人たちが自分の身体のことを知ったばかりの頃(あるいは、それから長いこと)の状態と似ていると思います。
そうして、GIDの私は、ISの人に言われます。
「甘い!」
確かにそのとおりなのかもしれません。
現実に存在する身体を自らの「宝」として受け入れていくこと、本来それが「正解」であるはずです。
なのにごちゃごちゃと理屈をつけて(決してそうじゃないんですけれど、周囲にはそんなふうに見えるのでは?)「変えられないことを受け入れようとしない愚かさ」にしがみついている。
そこまで分かっていれば、GIDから離脱すればいいじゃないか。
…いいえ、だめです。
どんなに筋が通っていても、私にとってはもはや、後戻りすることは腐ったはらわたの臭いがする地獄のようなところへ帰っていくのと同じようなことなのです。
「人間は、人生は、しょせんきれいごとでは生きていけないものなんだ。いつまでも子どものようなファンタジーにしがみつくのはよせ」と言われても、身体があの恐怖に対して怯え、すくんでしまうのです。
「今の私は男にも女にも見えない」と、どこかの掲示板に書きました。
でも、本当は、まるっきり「男」にしか見えないようですね。
足首を切り落としたり、内臓を抉ったりすれば少しは大きすぎる身体が小さくなるのでしょうか。
でも、そんなことをしても、私はいっそう「私ではなくなる」だけなので、そんなことはしたくありません。
たった1ヶ所だけでいいです、自分が女性であることをちゃんと確信することができれば…
「FtM」なんて、言いません。
「女性であることを自己確認できる」なんて、典型的なMtFなのでしょう。
しかも、私の場合、それは「自分に対して」できればいいです。
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★2・過去の記念日
04/07/01 編集
…でした。
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★3・ザ・スクープ
04/07/01 編集
私の知っていることがらも、かなり入っていた。
「布川 敏」さんのところを見ていて、私は思わず涙ぐんでしまった。
とても素敵な、やさしそうな人。
この人だけが、「正しい性別」の戸籍を持っているおかげで自分の顔を隠さないで生きていられるのか。
私は?
「だから、なんか勘違いしている男だろ?」
ならば、この身体を壊して。消して。焼き尽くして!
私は、自分が「男として生きていた」時を、この頭から、心から、すっかり消し去ってしまおうとは思わない。
けれど、これからの人生をそれでも「男」として生きていかなければならないとしたら、それは私にとって地獄の業火に焼かれ続けるのと同じことなのだ。
生きることは地獄を歩むことなのか?
「そういうことだってあるのさ」なんて、したり顔する人は、きっとそういう目に遭ったことがないのよ。
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