- 2000年08月25日(金)
★1・調整、回復
★2・Pesfisの記事
★3・女の父親
★4・小説「反(ANTI)」をUP!
★1・調整、回復
at 2000 08/25 10:36 編集
☆私は、少しずつ「調べもの」を始めています。
今までの1週間強は、能面のような表情で、低い呟き声で「泣き叫んでいた」状態でした。
(ちぐはぐな修飾語と動詞の関係は、そのまま私の状態であると思ってください)
きっと、もうそろそろ「調べもの」ができるほどには気持ちが落ち着いてきているのでしょう。
それか、もう引き返せないところまで来ているか……。
この記事のトップへ
ページのトップへ
★2・Pesfisの記事
at 2000 08/25 11:01 編集
拘りと無力感。
自分のどこが悪いのか、未だに分からない。
けれど、やっぱり「半陰陽(Intersex)」の人のことに私が触れると、どこかで必ずそういう人のことを傷つけてしまうことがあるらしい。
(幸い、たった一人だけ、当事者でありながらお付き合いさせてもらっているお友達がいる。こんなに嬉しいことがあるだろうか!感謝!! 「なのに」…と続けるほうがいいのかしら?)
なぜか、久しぶりに「Pesfis」へ行ってみた。
http://home3.highway.ne.jp/~pesfis/index.html
そこで、「Intersex Essey」というのを、読んだ。
http://home3.highway.ne.jp/~pesfis/intersex1.html
「TRUTH」さん、というお名前は知っていた。
でも、前とは内容がかなり変わっていた(ように思う;私が「変わった」のかもしれない)。
そのエッセイに描かれていたのは、
外見のせいで心に繰り返し刻み込まれるトラウマ
以外の何ものでもなかった。
(引用の許可をとっていないので、これ以上詳しい内容は書けません)
私は「自分と同じ!」と思ってしまうのだけれど、先方から見たら「どこが?」と思うに違いない。
私は、自分が「男性だったら健全な姿」を持っていたのを知っている。(今は過去のことだけれど)
でも、そのことが、自分で許せないのだ。
なぜ?
なぜ?
なぜ?
なぜ私は「男の姿」をしている?
もちろん、一生懸命、この姿に合わせて生きようとしてきた。
(それが当然、と教えられたし、自分の外側の世界ではそうであるのが当然、ということは、私自身信じて疑わなかったから)
でも、どんなにがんばっても、この姿に見合った生き方など、できはしない。
必ず、どこかで「ストップ」がかかるのだ。
私はその正体を知っていた。
小さな頃から、私のいちばん真ん中にいる。
それが、「里花」。
私自身。
この記事のトップへ
ページのトップへ
★3・女の父親
at 2000 08/25 11:27 編集
女の子の親で男のほう、じゃないです。
女である父親。
ときどき、ひょっこり顔を出す言葉ですが、どうやら、それ、実在していていいみたいです。
「父親」は「家庭内にいる社会の代表」みたいなものなんだって。
必ずしも遺伝子の提供者である必要などないらしい。
私が「自分の子ども」って言って愛情を感じるのも、ともすれば「支配欲」とか「自己実現仮託願望」とか、そういうおどろおどろしいものにすり替わりそうな気がすることが、全くないわけではない。(たぶん、かなり淡いとは思うけど)
そういうとき、私は自分の感情に強い恐怖感を覚える。
「これじゃ、オトコじゃないのっ!!」
自分の子どもを、そういう汚らわしい感情で侵したくない。
自分が「オトコ」という、社会的・生理的環境に曝されつづけた結果だというのはわかる。
けれど、支配して踏みにじるのは、絶対いや。
この記事のトップへ
ページのトップへ
★4・小説「反(ANTI)」をUP!
at 2000 08/25 14:47 編集
「年なし、性別なし」に掲載しました。
でも、これ、書いてて思ったんだけれど、とても「危険な表現」に満ち溢れているし、最近起きた事件や災害をなんだか妙に想起させる内容が含まれているように思う。
(そう思うのは、言葉の「意味」が分かってしまっている、書いた本人だからなのかも)
だから、トラウマ、フラバ系の人は、読まないほうがいいと思います。
この記事のトップへ
ページのトップへ