二回目にフラれたあの日。 もう友達としてすら会ってくれなくなるのが恐くて 「じゃぁ、宣言していいですか? 私、もう好きにはなりません!」 って思わず言った。 そうしたら、 「いや、そんなの宣言することじゃないけど」 って言われた。
あの人は本当に意地も頑固もない人だと思う。 何か、絶対無理しない。 考え込んだり、悩んでも結果が変わらないことならいっそ悩まない。 どこにも無駄に力をいれずに生きてる人間。 私に怒ったのか、いさめたのかわからないけど、 あの人は 「人の気持ちなんて、宣言しても、結局どうなるかはわからない」 ってのを知ってるのかもしれない。
宣言することは、果たす義務が生まれることで 逃れられなくて拘束力はあるけれど、逆に苦しみにもなる。 宣言して 「私はああ宣言したから、もうこうするしかない!」 って自分を境地に追い込むから。 逃げられなくすることだから。
「勉強する!」とか「料理できるようになる!」とか そういう宣言は力になると思う。 私は実際、そういう宣言をよくしてきた。
でも、 「この気持ちは変わりませんよ宣言」はしない方がいいのかもと思った。 だって、・・・人の気持ちなんてどこで変わるかわからない。 私はあの人が一生好きと思ったって言ったけど、そっくりな人があらわれたら? やっぱり何が起こるか、どうなるのかはわからない。 意思が弱いとか、強いとか、そういう問題じゃなくて・・・ 人の気持ちが変わらないなんてことはきっと無いってこと。 だから、 「この気持ちは絶対変わらないから!」って、 自分を縛るような宣言はしない方がいい。 伝えたくて伝えたくて、しょうがないほど好きとか もう見たくもなくて無視とか心底嫌悪しているとかじゃないなら。 誓いをたてるなんて、結婚の時にするもの。 そんな簡単に、誓いや宣言なんてできるものではないんだと思う。
無理に宣言なんてして、 自分の行動を正当化しなくたっていい。 気持ちなんて宣言したって、 変わるときは変わるのだし、変わらないときは変わらない。 結局、気持ちや心なんて、 自分のものなのに自分じゃないように動いていく。 心からたてることができる誓いはそうそうない。 頭や理性で考えた誓いは、結局は心にふりまわされて苦しいだけ。
別れるのって、ただでさえ苦しいのに、 変な宣言して余計自分に苦しみ増やしていこうとするなんて、馬鹿な私。 どうせ諦めなきゃいけないなら、 もっとラクに諦めていったほうがいいに決まってるんだから。
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