---□□草原で独り言□□---

2006年11月15日(水) 友達と話せば話すほど

友達と話すほどにわかることは、相手のことと同時に、それと比較した時の自分の黒さ加減だ。
ぶっちゃけた所、私は大嫌いなのだ。いつもへらりと笑っていて、うまく人に甘えることができ、失敗をしても「ドジだなあ」と愛敬で放免され、人に寄られそして人に呆れられることなく、自分に自信がないといい、人に向かってかんたんに誉め言葉を発し、だが実は心の奥底では裏と表をきちんと使い分けている、そんな人間がむちゃくちゃ得をしているようで腹が立つのだ。
しかし、私はその人に笑いながら話しかける。それはきっと私の性格の悪さを隠すためなのだ。それと、腹を立てて喧嘩をし別れたところで何らいいことはない。そんなことをしても、後悔するだけなのだ。自分の醜い姿に。それに、友達は少しでも多くて寂しいことはないと私は知っているから。気づいたから。
そう、その人に嫉妬をして、その黒い部分を周りに知られた時、困るのは自分だからときっと笑いかけていられるのだ。
だけど他の皆はどうだ。
本気で「可愛らしい」と思っているかのように話している。本気で「まったく、しょうがないなあ」と愛敬を感じているかのように寄っていく。本気で「素直な子だ」と疑いもしていないようにその子を見ている。
本気でそうなのだろうか。皆、私のように黒い部分がばれてしまわぬように自分を押さえているのではないのか。
だがしかし、私にはやはり皆は本気でそうなようにしか見えない。話をきいていてもそうとしか思えない。私はそれほど人とおしゃべりをする方ではないから、たまに友達と長話をしたりすると、自分と皆が同じだと思い込んでいたことが崩れることがよくある。
人間は誰でも腹黒いし自己中心なんだと、すべてを皮肉ってみていたのは、自分の黒さを普通なんだと、正当化したいだけの言い訳だったのか?と打ちひしがれる。


 < 過去  INDEX  未来 >


S.Soraka [MAIL]