努力もしていないのに、ごたいそうな夢を語る 実力も伴わないのに、身のほど知らずな選択する わかってもいないだろうに、まるでわかったような顔をする
私はそういう人になるのが嫌みたいだ。そういう人だと見られるのが怖いみたいだ。
だから、自分自身が怠慢していると感じると、私は夢を語れない。 結果が見えないと、決断できない。 自分に自信がない私は、いつも「わかったと思っていても、上辺しかわかっていないのかも知れない」と不安になり、いつだって疑問にわかったという顔ができない。
昔は恥よりも、なによりも、「後悔」がこわかった。けれど今は「恥」をおそれているのか。醜さとか愚かさとか、失敗するのがいやなのか。人に嫌われるのがいやなのか。 「恐れていて」と表現したら、まるでそれだけで臆病者のようだけど…、けれど、後悔をおそれていたあの頃の私にはそれと表裏するように「勇気」があった。自分の理想を貫けずに後悔することを何よりも恐れて、その後悔をしないためならば、失敗や醜態をさらすこともおそれない、足を踏み出す勇気があった。
はやく目をさませ、わたし。時間はわずかしか残っていない。泣いても、這いつくばってでも、私には成し遂げなきゃならない理想がある。不様にでいい、目を醒ませ。
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