チャットっていうのは、していると 自分の中にたくさんの言葉がうずまいてるのがよくわかる。
相手がどう受け取るかを想像してない剥き出しの言葉。 おもいやりのある言葉。 身勝手な言葉。 冗談半分な言葉。 あえて伝わらないような言葉。 正直な言葉。 正直に言ったら幻滅されそうで回避する言葉。
たくさん、頭いっぱいに、 ぐちゃぐちゃと、ぐるぐると回っている。 頭だけではたりなくて 目までいっぱいになりそうなくらいに。
たくさんの言葉がせわしなく浮かんでくる。 その中から、ひとつを選ぶ。 それでも失敗したりするけれど。
たくさん浮かんできてしまうのは、 私が冷酷だからなんだろうか。
「こう言ったら、カチンとされてしまうかな」 そう不安になったりするのは 私だったらその言葉を言われてカチンとくる、と思うからなのか?
自分がそうだから、 人もそうだと思うのか?
たとえば、 ラーメンが好きだという人の気持ちを、 ラーメンを食べたことがない人にはわからないように。 食べた経験のある人じゃなきゃわからない。
たとえば、 人を好きになったことがない人に 人を好きになるという気持ちがわからないように。 好きなるという気持ちを経験しなきゃわからない。
でも、けれど。
人を好きになるなんていう気持ち、 小学生だって「わかるー」っていうし、 中学生だって「わかる。」って。 大人は子供に「いいや、わかってないな」っていう。 たいていの人がわかるっていう。
本当にわかっているのだろか? その人達全員が経験をしているのだろうか?その気持ち。 みんな? 大人でも??誰もが??
わかっていると思っていて、 本当はわかっていなかったとしたら、 浮かんできた言葉はなんだというのだろう。
想像なんだ。
|