| 2007年03月08日(木) |
もしも口にしないなら |
「想い」って 口にしなかったなら、とても不確かな存在だ。
もしもだれかに出会ったとして。 それを誰にも言わなかったとする。 そう、一切なにも言わなかったとする。
その人と仲良くなったことも。 そこから生まれた悩みも喜びも。
友達にも、誰にも、口にしなかったとする。 日記にもなにも書かなかったとする。
すべてを自分の胸のうちにしまいこんで、 普段は自分のいつもどおりの生活をする。 そうしたのなら、 それはまるで現実味がなくなるんじゃないか。
そうして、2年、3年たったのなら
きっとその時の「想い」は まるで夢の中の不思議なあたたかい光景のように やさしく語りかけてくれるんじゃないか。
もしくは一晩の夢のように、 醒めたら消えてしまうのではないか。 まるで浮遊していた心が、地に足をつけるように。 「あれは夢だったな」と現実の世界からきり離せるのではないか。
「想い」は本当に不確かだ。 「自分はあの時なにか想った」そのことを覚えていても、 それが現実だったのか、もしくは夢の中だったのか、 危うくなる。 私は私のなかの夢と現実を区別する術をもっていないのではないか。
現実にあったことを私が他人の話して、 それを誰かが覚えていてくれて、確かになったりするんじゃないか。 現実になにかヒントをのこしておかないと、 想いはリアルの世界に形をなしてくれないのではないか。
もしもなにも口にしなかったなら、 想いはいつのまにかすべて夢と同化してしまうのではないか。
残したい想いは口にしなければならないのかもしれない。 そして逆に、 いつか忘れたいと願うかも知れない想いなら 誰にも話さなければよいだけなのかも知れない。
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