ふつうっぽい日記
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| 2003年10月31日(金) |
ちょっとぼやいてみる |
ちょっと、ドヨ〜ン気味。 気になっているくせに、気にしないように、笑顔を作ってきた。 自分をだましだましやってきた。
子どもがまだいないこの状況。 それはそれで、ちゃんと過ごしていけてる、楽しみも堪能してると思えてきたから、どうなってもそれはそれで受け止められると思っていたはずなのだけど。「子どもを大事だと思ってないの?」とか「仕事大切なのは分かるけど」とか「児童学学んできたアナタだから子どもが好きかと思っていたけど?」とか「アアイウのは、気持ちを楽にしてれば、自然と…」とか、言葉なり、文字なりを突き付けられると、なんか今までの時間は何だ?とかそんな風に見られていたのか?とかそういう風に考える自分が何か嫌になりそうになる。 そうなってしまうと、周りの圧力を減らすために、期待の声に答えるのために“アアイウ”ことをするような気がする自分が嫌だ。 また、「欲しくなったら観音様に…」と言われるのも、鬱々となる。 どの考えが普通か分からないけど、私は結婚した時にすぐにでも“できてもいい”と思ってきた。ただ、そこには「欲しい」とか「欲しくない」とかそんなものはなかった。“流れ”で(いつかは)そうなると思っていたからだ。
と言いつつ、案外、「しょーがないから、観音様だっけ?参ってみるか?」なんて、誰かのせいにしながらも、切に願う自分を見るのかもしれない。そして、“流れ”でそうなるようになっていたにせよ、その参る行為の後に結果が出た時に「○○様様」と自然に奉るようになるかもしれない。
分からない感情を気持ちを分かるために、あえて歩み寄るっていうのも無駄じゃないんだろうな。
例えば、“そういう”ことを言っている人と同じ立場に近付くことで。 でも、私は見下ろして、“アアイウ”ことを言う人間にならんようにしようって頑張りたい。
さすが、秋。 支離滅裂だけど、心地よい気持ちの交差。
今の結果が一つ前の行動で決まるのならば、失敗の次は成功が待ってることもあるってことだ。ってことは、私をドヨ〜ンとさせる言葉は、ヤッホ〜!とさせることに繋がるかもってこと?
秋だけど、“あき”らめんようにしような(誰に言ってるんだ?--自分です)
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