ふつうっぽい日記
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2004年01月20日(火) ねこふんじゃった

♪ねこふんじゃった ねこふんじゃった〜
不器用な人でも割とスルスルと弾けちゃう名曲だ。

あれはたしか私が思春期で、景気もそこそこよかったような感じの時代。
バブルが弾ける前だろうか。
我が父は部下を家に招き、泊まり付きの宴会を企画したり、宿泊といかないまでも忘年会だかクリスマス会だか忘れたが、そんなふうな食事を伴うパーティが開催された。若い女子社員(その時まだ小さい私にはそう記憶されている)が上司の娘にと色違いのぬいぐるみ(ビーバー;オレンジと茶色)をプレゼントしてくれたりして私はそこそこなんだか楽しかった。
部下に慕われている父親の姿や、手料理をふるまう母親の姿もいい感じで私には映っていた。そして、小さい私も不器用なピアノ演奏で大げさな拍手や褒めの言葉を純粋に受け入れていて、得意げであった。

しかし。
思春期。

同じ調子で、某宴会タケナワとなり、酔いちくれたオヤジ達がピアノ演奏をせがんできた。
でも、私の中では同じ調子なんかじゃない。
酔いちくれたオヤジの前で弾かれるピアノの立場。
自分の姿。何やら猛烈に腹がたってきて、私は弾いた。
「ねこふんじゃった」を。

場はたしか静まった。
いや、すぐには静まってなかった。
私が雑にピアノの蓋を閉めて、その場を立ち去るまでは。
母が私を追いかけてくる。
どうしたんだろう?私は。
たしか「誰もちゃんと聞いてないのに、弾きたくない!酒のツマミじゃない!」とか言ったかもしれない。酒のツマミっていうのは、実際に言葉としては発してはいないかもしれないけど。
見たくない大人の姿を見せられた、知ってしまったという感じだった。
その後,妹がピアノを弾いたとかいうのは覚えていないが、私は多分退場して自室にこもったような気がする。もしかすると、なだめられて、「ちゃんと聞くから弾いて」と言われて素直に弾いたのかもしれないけど。
なんとなくその妙な空気と自分のイラダチは覚えている。
「ねこふんじゃった」とともに。
プライドとの闘いだったんだろう。


今日、夕方プロのシンガーでもあり、美顔の仕事に関わっている方が所用で我が家に来た。シンガーとしての彼女の姿はなかなか拝めてない今だけど、末永く音楽とは関わっていくような感じなので、もう少し私も落ち着いて“大人”なひとときを楽しめるようになってきたらさりげなく彼女のステージを見つめたいなと思っている。50歳くらいになって、健康に余裕があったらタバコなんかカッチョよく吹かしちゃったりなんかして(タバコはまぁカッチョいいイメージの象徴みたいな感じ)

プロのシンガーとして活動する前は,ちょっとしたイベント(文化教室の生け花&絵画発表会的集まりの合間)にカセットを持参して歌声を披露なんてこともしていたと聞く(その時私も近くにいたけどね)
その時の彼女と今の彼女とでは、歌に対する姿勢はいい感じで変わっていると思う。投げ銭制にせよ、お金をいただき、自分の歌を聴いてもらうっていう。カラオケボックスで歌を歌う感覚ではない。


経験を重ねながら、場を踏みながら、年も重ねながら、関わるモノや事の見つめ方、自分の価値と向き合う。それが好きなことであればあるほど、関係が深いものであればあるほど、思い入れが強い物であるほど、いろんなところ(苦手なシチュエーションとか…)で自分の価値は試される(と思わずにはいられないはず;少なくとも私は)

今この時も誰かが「ねこふんじゃった」をきっと、弾いているはず。
いろんな思いを抱きながら。







KAZU |MAIL