ふつうっぽい日記
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2004年06月15日(火) 週末日記(その2)

日曜日は、前日に食べきれなかったお菓子などを食べ、小腹を見たし、11時過ぎにチェックアウト。天気は憎いくらいの快晴。
せっかくなので、シティホテルの近所の住吉大社で参拝。
この日は大安でお宮参りや結婚式があっていた。
お宮の掃除係だかの関係者から、「お宅はどちらからいらっしゃったとですか?」と話しかけられ、3名は気づくと私から少し離れていて、私が答えるのが自然なカタチになった。「大阪からなんですよー」というと、「それはそれは。遠くから。せっかくなので、表から参拝されるといいですよ。」と順路を教えてくれた。私は関西人気取りで「ありがとう」とお礼を言った。
私も人間的にオモシロくなってきたなぁと思った瞬間でもあった。
参拝を終え、博多駅へ。私の予定が午後1時半までだったので、博多駅の近くの店で昼食。楽しい時間はあっという間だった。
3名は夕方まで行動をともにできたようだった。

午後2時過ぎから父と母と北九州方面へ。
両祖父の墓参りと両祖母との面会が目的だ。
ずいぶんと、墓参りに行けてなかったので、ちょっと気になっていた。
新しい花を生けて、草むしりをして、写真も撮っておいた。
父方の祖父のお墓には裏側に父の名前も刻まれている。
祖父が買った墓であり、息子達の名前が連ねて刻まれているのだ。
家紋もある。整備の行き届いた霊園で広い。
祖父のお墓の場所は「さくらE」とか記号があった。
近隣の墓石を見ると、同じ家紋が結構あった。
母方の祖父のお墓は、結構旧い。通路も20センチくらいか?という感じで、大小デザインも、方向もいろいろ分散しているような感じで、昔ながらの墓地という感じだ。
家紋などは描かれてはいない。
両墓参りを済ませると、気持ち、何かが楽になったような気がした。
癒されたのか?

さて、祖母との面会。
両祖母とも介護老人保健施設にいる(いた)
先に、母方の祖母を訊ねるべく施設へ向かった。
父も母も久々の訪問のようだった。
面会ファイルをめくる。
?祖母の名前はない。
え?不安な気持ちが走った。
家に戻ったのか?入院か?それとも?いや、まさか。
祖母の家には長男が同居していて、施設から5分くらいのところなので、行ってみることにした。

門の前に車を寄せようとしたら、門の内側に見なれない女性がいて、訪問者の対応をしていた。父が「誰だ?お母さん、なんか知らない人が門のところに立っとぉよ!」と母に。「誰?ばあさんの知り合いやろか?」
母はその女性(オンナ)に「あのぉ〜ココの家の者なんですが、おばあちゃん、います?兄貴は?」と聞いた。するとオンナは「申し遅れました、私、ヨシコと言います。おばあちゃんは、入院しているんです。…(お兄さんは)ゴルフに今出かけていまして(略)今のあの人にはゴルフが生き甲斐のようなところがありますね。…(略)私も言ったんですよ。兄弟におばあちゃんのことを知らせなくてよろしいんですか?って。でも、あの性格なので…もう一度、厳しくわたくしの方から言っておきます」ヨシコは、伯父の世話をしている人だということ(旧い言葉でいうと、内縁の妻)が後から分かった。伯父は数年前に離婚しているので、ヨシコとは変な関係などではなさそうだった。父も母もヨシコの存在の動揺が大きかったらしく、祖父の仏壇に手を合わせることも忘れ、祖母の入院している病院に向かった。

祖母は3月6日に肺炎を起こし、病院に移されたとのことだった。
施設にいた頃の祖母には私は会ったことがない。
結婚して新婚旅行の土産を渡しに行った時、ちょっとボケているな、とは思ったが、家の中で歩いていたし、しゃべっていた。
病院で寝ている祖母は酸素ボンベをつけられ、声をかけられても、目を開けることはなかった。目尻に少し光るものを見た。メヤニだろうけど、最初見た時よりも、少しして輝いていた様な気がした。開けようと少し頑張って涙が出たのかもしれない…
祖母の病室は3台ベッドが並んでいて、同じように酸素ボンベを付けている方が眠っていた。もう1人は検温をされながらも、目をギロッと見開き口元は笑っていて、頑張って呼吸をする荒い息づかいが聞こえた。
看護師さんが病室まで案内してくれて、父が「いつから、こんな風に?」と聞くと「結構、初めっから、こんな風でしたね」という答が返ってきた。
なんとも言えない感じが漂い、15分くらいして、その場から離れた。
母は実姉に祖母の状態を伝え、「もう、長くないかもしれないから、会っておいたほうがいいみたい」的なことを言っていたようだ。
まだ、これから持ち直すかもしれないし、この状態であっても、何年か生き続けるかもしれない。だけど、私の帰省により、発覚したこの状態。
虫の知らせというのかもしれない。

最後に父方の祖母との面会。
母方の祖母との出会いが思ってもないことになったので、ちょっと不安な気持ちも正直あったが、父の「小倉(こくら)のおばあちゃんは、心配せんでいい。しゃべるし。子どもは?って絶対聞かれるから覚悟しておかな」というのは本当だった。

食事前10分という微妙な時間で、食事室には何十人というお年寄りが集まっていた。父が食事室を覗いたので私もひょこっと顔を出した。
一斉に注目。介護士の男性が、「分かりましたぁ?」とこっちに聞いてきた。おばあちゃんを探す。介護士の男性のすぐ近くにいた。
車いす使用者が多い中、我が祖母はちょこんと普通の椅子に座っていた。「あ、あれだ!」と指を指した。介護士の男性から歩行器を渡されたおばあちゃんはゆっくりとこっちに歩いてきた。介護士の男性は「もう少ししたら食事の準備ができるけー、それまでそこでしゃべっちょり」と言ってくれた。小さなロビーの椅子に座った。

ばあちゃんはすぐには私が誰か分かってなくて、ちょっと間があって妹の名前を言った。「違うよー」というと、「KAZUちゃんねー。元気しとったねーアンタ、変わったネェー」と、そして「アンタ、赤ちゃんまだねぇ?ばあちゃん待っとるとよぉー」と言ってきた。元気でよかったというのと、心配かけさせているんだ、と、思うと、ウルウルして言葉が出なかった。その後は、撮影タイム。「じいちゃんのお墓参りもしてくれて、じいちゃん、喜んでるでぇーKAZUちゃん、ありがとうね。じゃ、もうここで、いいけん。ご飯じゃけん」とばあちゃんは歩行器を押しながら、ゆっくりと食事室の中に消えていった。

長い日曜日だった。驚きの事態もあったはずなのに、気が楽になったような感じが私の中にはあった。

大阪へ戻る月曜日。
朝9時過ぎに親友Rが車で迎えにきた。
9人乗りくらいのワゴン車。
空港方面にショッピング施設がオープンしたらしく、そこに行こうということになり、出発。地図にはない施設で、「分かるかいなぁー無事たどり着けるかいなー」と不安そうだったが、看板を見つけなんとか無事に到着。
土日は駐車するのに3時間待ちとか聞いていたのだが、さすが平日。
それもオープン10分前とあって、駐車場も選び放題。
空港には12時までには行かねばらなかったので逆算して11時半までの散策&ショッピングタイム。

「広いねー」「わー」と見上げながら、でも、しっかり店をチェック。
ある洋服屋さんで2人は立ち止まった。
「わー3000円が1000円だってぇー可愛いー」。
それからは、ちょい主婦ちっく。
ワゴンをあさる。
オープンしたてなので、色柄も選び放題。広げ放題(笑)
いつしか「KAZUちゃんは、どれにする?」と、買うモードになり、色違いで同じセット(キャミソール&なんかその上に重ねる坊さんの袈裟みたいなのん&カーディガン)を選んだ。
「私はいつもぶなんなものを選ぶのよね」とR。
「私は、珍しい色とか挑戦しようかなって最近思うのよね。持ってない色とか」と私。「8月にも帰ってくるんだよね?じゃー、その時にコレ着とかないかんね?!」「そうだね!」と2人。あ〜、いい感じのお買い物タイム。近所だったら、たまにこういうことは普通にやってるんだろうな…と思い、ちょっと現実を見てしまった。
それから食料品の店で自宅用明太子などを買い、最後に気になっていたロッテリ○の小梅ちゃんシェーキ(今だけ105円ってやつ)を堪能。
そして、空港まで送ってもらい、慌ただしくお別れ。

12時50分発だったので、チェックインを済ませて荷物を預けても時間があったので、ラーメンを食べた。今回は替え玉システムのないところで、味は、まぁまぁ。

12時30分に搭乗口へ。持ち物検査というか、セキュリティチェックというのか、それが結構時間がかかった。
検査される客は少なかったからか、じっくり検査されたような感じだ。
行きがけはこんなに時間は取られなかったのだけど、場所にもよるんだろう。土産物の紙袋はOKで、私とリュックが何かの反応が出たらしく、細かいチェックが入った。

「靴を脱いでください。ベルトを着用でしたら、それも外せるようでしたら、外してください」と。使い回しスリッパを履かされ、再検査。
OKサイン。靴とベルトは、リュックと同じようにトレーに載せられ赤外線(?)チェックに載せられた。

リュックに関しては「全部、見せていただいてよろしいですか?」と言われ、どうぞ、というしかない。
あらゆるポーチを開けられ、ずみずみまでチェックされる(女性検査員)
生理中であったので、それ関係のポーチもある。
「この中には何が?」といちいち聞かれる質問にも答えねばらない。
雑雑したメーク道具の入ったポーチも隅々までチェックだ。
別のポーチに美顔器を入れていたのだが、「美顔器で、化粧品です。あ、充電して使うものでして」と言うと、「ええーっと、歯ブラシですか?」って…それに対するツッコミはしなかったが、検査員は小道具1個1個をトレーに載せて、リュックを背負って、ふたたび検査機にかけた。

「原因は分かりましたので、もう結構ですよ」と言った。何が原因だったのかの説明はなかった。「自分でリュックに詰めましょうか?」という私の声を無視して、検査員は、リュックに1個ずつ、荷物を詰めていった。「お手間を取らせました」と言って、私は解放されたのだった…検査員は二十代くらいのまじめそうな女性。
私は検査の練習台になったのかもしれない。
最後の最後で事務的に流れるであろう場所でどっと疲れてしまった。

8月の帰省も、安全に過ごせますように。


KAZU |MAIL