ふつうっぽい日記
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2005年06月22日(水) 女と仕事についてダラダラと書く

私は今年は女の大厄という数えで33歳。
だいたい、三十路そのものが、二十代とは違って、世間の厳しさを違う角度から垣間見れたり、気力と体力の均衡をとるのが難しくなってきている自分自身を振り返る時期なのだとは思うのだ。

いろんな33歳がいて、子育てが一段落して長期的に続けられる仕事に関わり始める、主要な戦力として仕事で活躍する、恋愛のラストスパートをかけている、こんなに仕事頑張っているのに評価されない、学校に通ったり、資格を取ろうと動く…
結婚もできればしたいけど今はとにかく自分のやりたいことと関わりたい…

高校、大学時代の身近な友人も偶然だが、訳あって今やっている仕事を辞めて新しいことにチャレンジする、資格をいかした収入の期待できる仕事を見つける、とりあえず「今」よりかはマシと思える仕事と出会いたいと考えているようで、私も普通に、会社勤めをやっていたら、ふと、「今」を見つめなおしてみるのかもしれない。

安定した会社で仕事をしていても、機械相手で、流れ作業的な業務であったなら、人に接する仕事をしたい!と思うのも自然なのかもしれない。
生活する手段としての仕事と割り切るには、独身女性としては切ない。
人生は一度きりと、壮大なスケールで今後自分と関わっていく仕事を描けたら、そのための専門学校通いも「とりあえず」の人間よりも有意義なわけで。でも「とりあえず」の人等は、若い人間の場合が多いかもしれない。
「とりあえず」とはいえ、若さにはパワーがあるわけで、世間を知らないゆえに大胆に動けるし、「とりあえず」でも歩幅は大きかったり。そんな中で一杯一杯になりながらでも、学ぶ。


「周りの同じ年くらいのオバちゃんが、やっているんだから、自分にできない訳がないって言い聞かせてんねん」
そう、言ったのは今日配達に伺った取引先の女性(58歳?)だ。
彼女は、少し嬉しげに携帯を見せてきた。
「私も、やっと携帯を持ったのよ。この私が」とも。
“はじめてかんたんマニュアル”と書かれた取説を毎晩四苦八苦しながら読んでいるとも言っていた。
だいたい携帯というのは、会社が違っても、メーカが違っても、基本操作は同じなので、電話帳に登録するのも少し触っていたら分かってくる。
気づいたら、私は、彼女の携帯を手にとって、自分のデータを入力していた。その光景は不思議に映ったようだった。
「今のどうやってしたの?この本にも載っているのかしら?」
「慣れですかね」



「…慣れさせては、いけないかもしれないね。」
これも58歳女性の台詞。
話題は移る。
私ら夫婦の別居状態を伝えてあるのだ。
「単身のために借りた部屋はたしかに空間的には狭いから窮屈だろうけど、洗濯したり、ご飯作ったりとかいうの、ダンナさんは何て言ってる?」
「一緒にいるときは助かるってしみじみ言ってくれます」
「4月からだから3ヶ月ね。もう慣れたって言われるのも、若いアナタたちやったら寂しいんだろうね。…慣れさせては、いけないかもしれないね。少し様子をみて、アナタがご主人と暮らしたいと思えばそうすればいいんだし、なるようにしかならないんだから。そりゃ、周りからはいろいろ言われるやろうけど、言いたい人には言わせておいて、自分たちのいいように選択していけばいいんやと私は思うよ。アナタの仕事ったって、毎日忙しいわけじゃないんだし、動こうと思えばいつでも動ける程度のものなんだから」


もし、今の私の状況で、私がバリバリのキャリアウーマンだったら…
私は私で、夫は夫で、仕事を中心に「とりあえず」の夫婦のカタチを維持してるのだろうか?とも、妄想することもなくはない。
もし、今の私の状況で、子育ても落ち着いていたりしたら、夫には元気で働いてくれさえすればいいと思っちゃうんだろうか。


一人暮らし状態ではあるが、独身気分で日々満喫して暮らしているわけではないことをはっきりと書いておかなければ!








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